知らんけど。(ふぉ〜ゆ〜辰巳さんの演技の所感)

 昨日は全然違うことについてノートを書こうと思っていて、今日は日曜だしまだ時間もあるからこれを書き記して一旦落ち着いたらそちらには着手するのだろうけど、とりあえず今辰巳さんについて私が受けた衝撃を残しておきたくてこのノートを書いている。

 タイヨウのうた、9月8日(土)2部公演を見てきた。丈くん目当てだけれども、丈くんが出るシーンでも丈くんばかりを見るわけでもなく、全員を見ていた。双眼鏡で一人一人の表情を覗いて、一人一人の人生を覗いている気持ちでいた。

 「山Pに似ている」「チャラい人がすきな人はすき」という前情報以外は一切ない辰巳さんを見ながら、ほうほう確かに顔は山Pに似ているなあなどと思っていた。

 路上ライブでなんとなく足を止めたコウジに気がついたカオルがケータイを渡そうとして、コウジが怒鳴ったシーン。「あ、この人、今恋に落ちたんだ」ってわかった。表情が、動きが、いちいちすべて青春だった。その瞬間、舞台という2時間半で何度も何度も繰り返される空間で確かに辰巳さんは今、この一回を生きているんだなあと思った。

 「モテる」キャラ設定なのもあってコウジはすごく気障な態度だし、サーフボード持って歩いているところなんて少しは自分のこと好きなんだろうなあと思ってニヤニヤしてしまうぐらいなのに、叫んだり、もどかしかったりやるせなかったり、ちょっと自慢げにしてみせたり、戸惑ったり、誰かを好きになってしまってしっちゃかめっちゃかで頭でっかちなコウジがそれはそれは、もう、本当に、どんどん子供返りしていくかのようにコロコロと変わって。唇を噛む、頬をふくらませる、思いっきり顔をしかめるとか、表情と動きによる演技をしているのはもちろんあるんだろうけれども、「全身で演技をしていた」なんて言葉じゃ表せないぐらいの演技を彼はしていた。とにかく見たことないタイプの演技で、コウジという男の子の恋愛が眼の前で展開されていて、ただただそれに圧倒されてしまった。

 こういう言い方をすると、いわゆる「憑依型」みたいなのが挙げられると思うのだけれども、ただの憑依型っていうわけじゃなかった。そこにいるのはコウジで、でもじゃあ辰巳さんが全くいないかというと多分そんなことはなくて。今までの辰巳さんがいないとこのコウジはいないんだ、とはっきり思い知らされるような演技だった。それでいて、このコウジはきっと今しかいないコウジだった。また明日には違うコウジがいるんじゃないだろうか。極めて近いけれど、違うコウジなんじゃないだろうか。

 人生で演技をしていた、みたいな表現が私のなかで勝手にしっくりきている。多分辰巳さんは人生において記憶のキャパシティがすごく広くて深いひとなんじゃないだろうか。長いジャニーズ生活で、はもちろん、「辰巳雄大」という人生を生きるなかでそれぞれの時点でのスナップショットがあって、それを、才能でか稽古でかは知らないけれど、必要に応じて引っ張り出してきて、今の自分にさらっと纏える人なんじゃないかなと思う。「コウジ」は、台本の文字でできたコウジに、辰巳さんの人生の一瞬をあてがって、そのうえから辰巳さんの経験で肉付けされた、2時間半だけの男の子だった。

 私、過去の経験を引っ張り出してきて今に活かせるタイプの人がすごく好きで。自分自身、ものすごくそういう人になりたくて。そんなひとに憧れて、コンサートなり舞台なりを見てブログを書くときとかも、「私の経験」「私のフィルター」を通して見た世界、っていうのを残したいな、っていう気持ちで書いている。

 街中でサラリーマンを見るとき、老人とすれ違うとき、この人の人生はどんなのだったのだろう、と考える。若い頃は膝に擦り傷作って夕方まで公園で遊んでいたのかな。初デートは、初恋はどんな感じだったんだろうな。この人がもう少し年老いて、人生を終えるときになったら、どんなふうになるのだろう。そんなことをよく考える。ここに今存在している私達は3次元で、4次元は見えない。ただ私は4次元を体感したがっている。だから上で書いたように、どうしても、人の過去とか未来を覗いてみたくなるのだ。

 この話を家族や親しい友人にしてみても、あんまり通じることがなくて。説明の仕方が悪いのかもしれないけれど、今この瞬間の自分、点の自分を理解していて、そのうえで「自分の人生」の枠を持っている人。そんなひとっていないのだろうかと思っていた。辰巳さんはそれがわかっているひとだった。

 それと、愛。愛に満ちた顔。舞台が進捗して、辰巳さんの恋がどんどん愛に変貌していくさまを見ていて。恋に、困惑が、戸惑いが、責任が、後悔がのしかかって、それをうけてどんどんどんどん、コウジが、辰巳さんの演技が、変わっていった。纏っている匂いまで違うんじゃないか、みたいな。リアコとかキャー///とかそういう感じではなく、どうやったらこんなに優しく支えられるのだろう、手を添えられるのだろう、どうやったらそんな目で、愛するひとを見つめられるのだろう。コンサートで担当に対して思ったことはあるけど、舞台でここまで感じたことはない。純粋に彼の過去に興味が湧いてきた。人生のフィルターで、彼の経験で、今の演技が出来上がっているのだとしたら、何をしたら、どう育ったらこんなに「愛」がわかるひとになるんだろう。いや、23歳ぽっちの、恋愛経験もロクにない私に愛なんて語る資格もないのは承知のうえで。

 ストーリーの終わりなんてわかっていたし、予想できない展開ではないのだけれど、コウジのあの目を見ているとそれが正解だったか、とか間違いだったか、とかそういう解釈をする余地すらも与えられていなかった気がした。だって目の前でコウジの物語を見たのだ。コウジの人生を見たのだ。ひとの人生を見て、間違っているだあっているだ言う資格はない。言おうとも思わない。辰巳さんの芝居を観た。コウジの人生を観た。

 双眼鏡でコウジを演じる辰巳さんを観ながら、本当に漠然と、「ああ私このひとの人生ずっと観られるなあ、みたいなあ」と思った。彼のいろんな演技が見てみたいし、彼の人生のスナップショットが今後増えていって、どんなふうに演技が変わるのかもみていきたい。増やすような経験や場所があるのであれば、そこに立ち会いたいし、なんなら私が主体となって増やしたいぐらいだ。いきなり何?担当宣言かよ、って脳内の私が突っ込んだんだけれど、もうひとりの私は漠然と「いやこの演技にはそのぐらいの力があるよね。」と思っていた。

 帰ってきてタイムラインでふぉゆ担のお友達に「こんばんは。辰巳さんを今日はじめてみました。いいところを布教してほしいです(23歳・ジャニオタ歴4年弱)」って送ったら来た返事がこれ。

辰巳くん、何と言っても自他共に認める芝居好き。舞台もTVも関係なく演じること、役として生きることに全力を傾けてる人です。あと、いい意味で愛が重い。愛情の塊みたいな人。辰巳くんの発言で大好きなのは、「流行りじゃなく文化になりたい」です。

「ゔぇえ..........ゔぇ............え、なんだろう.........すごい今日見たものと.........解釈が..........................................一致してる............ありがとう.........................」ってリプした。

 私辰巳さんのことマジで何も知らない(今も下の名前が雄大であっているのか不安で仕方がない)けれど、そんな何も知らない私でも辰巳さんが演技で目指しているようなところをほんの少しだけでも感じ取れた気がしている。いや本当にすごい演技だった。まさかこんな爆弾がまだ事務所内に落ちているって、ジャニオタまだまだあがれないじゃん。本当に人生って面白いなあ...パワープレイだよ辰巳さん...。とりあえず今はただの興味なので、ふぉ〜ゆ〜ってなんか個別のメールみたいなのあったっけ?それに登録します。

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