セミが好きだ。

 男受けのいいハイネックのノースリーブのカットソー。二の腕は出しておかなくちゃだめだ。ヒールは低め。どんな男性が来るかわからないから。

 今日したいくつかの会話と、うけた印象を反芻しながら夜の公園を歩いていてふと足をとめる。街灯が少なくて、暗い公園。道に落ちているセミを見つける。落ちている、というのは違うのかもしれない。そのセミは今土から出たばかりなのか、半透明の羽をしていて、私の通り道を横断するかのようにそわり、そわりと歩いている。

 「あんただめじゃん、こんなとこいちゃ。押しつぶされるよ」

 ひとりごちて、セミの頭のあたりにそっと手を添える。待つこと5秒ほど、ゆったりとした歩みで、手の上にセミの足のあの独特の引っ掛けてくるような感触をおぼえる。ずいずい、と手を登っていく。よかった、元気そうだ。

 あのままあそこにおいておいたら死んでしまうのだ。だからセミを拾う。

 猫や犬なんてとてもじゃないけど拾えない。というか、都内にそんなにぽんぽん、猫や犬は落ちていない。でもセミは拾える。そしてすぐに助け出せる。

 男性は、私がセミを拾うとしったらドン引きするのだろうか、と想像する。


 3回目のデート。今日はイケるかもしれない、と思う男。例えば肩など触れさせながら、ムーディーな夏の夜、それこそ浴衣でも着ながら街を歩いているとしよう。ふと立ち止まる私。どうしたの、という彼。無言でしゃがみ、浴衣が着崩れるのも構わずセミが最も上りやすいように、手の角度を調整して、息をひそめるように、何かに祈るように、セミが手の上に登るのを待つ私。突如かがむ私の体調を心配していた男は、その正体を見た瞬間おそらく「え、なにしてんの」とか「セミ気持ち悪いよ早くいこうぜ」とかいうのかもしれない。私はただ黙っている。黙ってセミと戯れている。真っ黒な目が私を見据えて、あの足で食らいつくように上がってきて。男はそんな私をただ見ている。おそらく見ているのはセミなんかじゃなくて私のうなじとかそういうところだろう。カバン持とうか、などと気を遣ってくれたら上等。

 私がセミを拾って、手の上にのったそれを少し眺める。損傷はないか。大きく足りない箇所はないか。そして、そのあたりの木に向かって、伸ばせる限り手を伸ばす。セミはじりじりと木にくらいついて、人間のそれなりにきめ細やかであろう23歳の皮膚から、樹齢はまあそんなに大したことないであろう街路樹の表面にあの足をひっかけて、体の重心が、そっと羽のほうが重いいかのように、反り立つような角度になる。その体を傷つけないように、また落ちたりしないように、私はそっと手を離す。一歩離れて、今そこに私が作り出した作品を、私がすくいあげたであろう命を、うんうんと満足げに眺める。男は、例えば私がセミを拾っている間タバコをふかすかもしれない。今のところ人生で喫煙者と付き合ったこともないし付き合う予定もないけれど、私がセミを拾うことを許してくれる人はそんな人しかいないかもしれない。

 汗をじんわり書いた浴衣で、「蚊にさされたかも」などといいながらその男と歩く。体はきっと触れ合わない。まあそのあとなにか、手をつなぐでも、頭をなでるでも、顔に手を添えてキスをせがむでも、おおよそ手に関わるものを彼がそれからするとしたら、手も洗えずそのセミのあの触感が食らいついてくるような女と仲良くなんざなりたくないだろう。私はそれをしったうえで、熱弁する。私はセミを救っていると同時に、人間をすくっているのだと。

 世の中には多分、セミが嫌いな人とセミが好きな人の二種類しかいない。そりゃ嫌いな人にとったら、どんな虫よりも存在感を放ち、その鳴き声自体が季節のシンボルみたいになってしまっている生き物なんて憎むべき対象でしかないだろう。そんな嫌いな虫だとしても、たとえ「絶滅しろ」と憎んでいる人がいたとしても、自分の足で、アスファルトのど真ん中で不意に踏みつけてしまうのは不快だ。
 スマホでLINEを見ているか、上司からの嫌なメールを見ているか、そうしていても俺はぶつかったりなんかしません、ながらスマホでぶつかる田舎者とは違うんですよと言わんばかりの男でも、気をつけないとセミは足元で待ち構えているのだ。踏んだ事がある人だったらわかるだろう。ぐじゃり、となにかが潰れる音がする。やってしまった、と顔をしかめる。アリなんかを踏むのとは全く違う。セミには存在感がある。しっかりと今、命をふみつぶした、そういう感じがする。ぴかぴかの靴だったらいやだろう。今日は大事なプレゼンなのに、幸先悪いな、とか思うかもしれない。足をそぉっと持ち上げて、やっぱり踏んだものは落ち葉なんかじゃなくてセミだと気づいて、潰れ方や、アスファルトに残るシルエットや、周りに群がる虫の有無を即座に確認する。周りにアリなどがせわしなく動いていれば、、「ああこのセミはもともと死んでいたセミだ、踏んだだけだ」と少しは安堵するだろう。もしも、潰れたその虫以外の周りがキレイであったら、紛れもなくそこに落ちているセミだったものは数秒前まで生きていた命で、まるで吐瀉物のような見た目で、こちらを恨めしげに見つめてくるのだ。お前が殺したんだと。
 だから私はそういう人間まで考慮しているのだ。セミが好きな人のみならず、セミが嫌いな人も救うため、私はセミを拾っている。羽化したてのまだ飛べないセミ、羽がちぎれて思うように飛べないセミ、足がとれているセミ、だいぶ衰弱したセミ。そういうセミがアスファルトのうえで、なんとも思っていない人たちに不慮の事故で踏み潰されて死んで行くのが耐えられないのだ。だったら木とか、植え込みとか、そういったところにいてほしい。だから私はセミを拾う。元ある場所に戻してあげる。夏だからか霊媒師チックだ。ダーウィンとかに言わせれば、鈍臭いやつはそのへんでのたれ死んどけって話なのかもしれないけれど、そんなこと人間社会で言われたらまずいの一番に死ぬ気しかしないので、そういうモノたちを放っておけないのだ。

 でもそろそろ私の前には「あの日助けたセミです」みたいな王子様が現れてもおかしくないと、半分冗談、半分本気で思っている。だいたい毎年平均4~5匹はすくっている気がするのだ。そういったらその男は何というだろうか。もう隣を見たらいないかもしれない。帰りの電車を調べているかもしれない。それとも、冗談で「僕がセミだよ」とかいってくれるかもしれない。

 

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