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書評「決戦前夜」(金子達仁)

最近、思い立って金子達仁さんの作品を読み直しました。

10代後半から20代にかけて、金子達仁さんが書いたスポーツノンフィクションをたくさん読みました。1980年から90年生まれの世代にとって、金子さんのスポーツノンフィクション作品が与えた影響は大きいと思いますし、金子さんの作品をきっかけに、スポーツノンフィクションを読み始めたという人もいると思います。

僕が金子さんの作品を読み直すきっかけになったのは、FIFAワールドカップロシア大会でした。FIFAワールドカップロシア大会の試合を見ながらSNSを眺めていると、試合を見た人がSNS上で様々なコメントをアップし、戦術について具体的な分析を映像を交えて行っている人もいましたし、言いたいことが多すぎて、指定した文字数をオーバーしたと思われるくらい、1試合を解説するコラムを書いた解説者もいましたね。

試合に関する様々な解説を読み、皆様の意見に感心する一方で、自分もレビューを書きながら、僕はこうも感じていました。

サッカーって、こんなに細かく見なきゃいけないスポーツだっけ。

試合のポイントだけ絞って解説してくれるならまだしも、1試合を通じて解説するような文章に、(自分も含めて)飽きてきていたとき、金子さんの書籍のことを思い出し、もう一度読み直してみようと思ったのです。

前置きが長くなりましたが、本書「決戦前夜」は、1998年のFIFAワールドカップフランス大会最終予選中に、中田英寿と川口能活の2人に試合後にインタビューし、厳しく、苦しい予選をどう戦っていたのかをまとめた1冊です。

「今なら絶対に作れない」作品

僕は読み終えてこう思いました。

「今なら絶対に作れない」作品だな、と。

本書には、今だったら絶対に日本サッカー協会やマネジメント事務所にNGをもらうようなエピソードが数多く収録されています。監督や先輩選手への批判、カザフスタン戦後に起こった井原と川口の掴み合い、信号停止中のバスの中にいた川口に対して高校生が「お前のせいだ!お前のせいで、日本はこんなになっちまったんだ!」と叫んだエピソードなど、ほとんどが掲載されないだろう。

ましてや、中田と川口のコメントは、最終予選終了後ではなく、最終予選中に公開されていました。たしか金子さんから直接訊いたのですが、試合後のロッカールーム内で、2人からコメントをもらったこともあるそうです。

現在はメディアがコメントをとるエリアは制限され、メディアやジャーナリストとアスリートは一線を引き、付き合いを深めることは稀です。そう考えると、ジャーナリストと選手ではなく、1人の人間同士の会話から生まれた、良くも悪くも、おおらかな時代だからこそ、作ることが出来た作品だと言えるかもしれません。

アスリートの生の声が読めるメディアがない

よく考えると、若手社員が先輩社員が抱えている仕事やプレッシャーを知らずに、飲み屋で口にした愚痴が、メディアを通じて、ジャーナリストの手を通じて、多くの人に伝わっただけかもしれないと思ったりもします。でも、この作品が予選中に連載された影響は大きかった。なぜなら、この連載を通じて、ワールドカップ最終予選に興味をもつ人が増えていったからです。

反響があった要因は、メディアにあまり出なくなった中田と川口のコメントが読めたという希少価値だけではなく、アスリートが、悩み、苦しみ、目の前の問題をなんとか解決しようとする姿を、丁寧に描いたからではないかと思います。読み進めていると、横に中田と川口がいると錯覚するほどですし、「歴史を作ろう」とする人間が持つ言葉の力は重みがあります。

僕は今なら絶対に作れない作品だなぁと思う半面、またこのような作品が読みたいなぁと思います。完成されたアスリートではなく、1人の人間の声を伝える。アメリカでは「Players Tribune」というアスリートの声を伝えるメディアがあるのですが、日本にはアスリートの声を、鮮度高く伝えるメディアがありません。

「今なら絶対に作れない」作品だけれど、作るためにはどうしたらよいのか。そんなことを考えさせられた1冊です。


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