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書評「プロ野球死亡遊戯」(中溝 康隆)

今はなくなってしまった「スポーツナビブログ」でダンドツの人気をほこり、文春オンラインの「文春野球コラムペナントレース」では2017年ではセ・リーグの人気1位となり、2018年もダントツの1位を走る人気スポーツライターとなった、「プロ野球死亡遊戯」こと、中溝さん。

僕はあまりブロガーのコラムは(サッカーに限らず)読まないのですが、「プロ野球死亡遊戯」は毎回更新を楽しみにしてました。

本書「プロ野球死亡遊戯」は、ブログ、Webメディアなどに掲載された、著者のコラムを1冊にまとめた書籍です。音楽に例えるなら、「ベスト盤」と言ってもよい作品です。

僕は、著者の文章の特徴は主に3点あると思ってます。

プロ野球選手も一人の人間である

1つ目は、「プロ野球選手も一人の人間である」ということを、2010年代の文体で書いたことです。

これまでも、山際淳司さん、永谷修さんなど、プロ野球選手の人間像を描いてきた作家はいました。これまでのプロ野球選手を描くときの切り口は、酒、タバコ、金、そして、女。大抵この切り口で 選手の苦悩を描いていました。昭和の時代は、この文体でよかったと思います。

しかし、酒、タバコ、金、女だけでは、2010年代のストイックで、競争が激しいアスリートを描くのは難しい。そんな時に突然現れたのが、著者でした。

著者が持ち込んだのは、スパイダーマンやダークナイトや最近のスーパーマンのように、一人の人間として苦悩するヒーローの姿です。

プロ野球選手であっても、気に食わない上司はいるだろし、理不尽な扱いも受けるだろう。新人にやお気に入りや古株には甘いけど、外様の中年に厳しいのは、プロ野球の世界だけじゃない。サラリーマンだって同じだし、重要なことが、会議じゃなくて、タバコ部屋で決まるって、どういうことだよ。といった会社員のリアルを、昭和の文体のよさも理解しつつ、上手くプロ野球という世界を描くのに持ち込んだのは、著者の発明だと思います。

プロ野球の世界に生きる人たちへのリスペクト

2つ目は、「プロ野球の世界に生きる人たちへのリスペクト」です。澤村の筋肉、村田さんのゲッツーに関する文章には、著者のプロ野球選手に対するリスペクトが伝わってきます。

あくまで、自分に出来ないことをやってる人にも、自分と同じような悩みがあるはず。そんな、共感や理解という言葉にも置き換えられるような態度、つまりリスペクトする態度で接しようとするからこそ、著者の批評は批判や文句の言いっ放しにはならないのだと思います。

著者が普通の人の視点を大切にしている

3つ目は、特にありません。じゃなかった。オカダ・カズチカじゃないんだから。

3つ目は、著者が普通の人の視点を大切にしている、ということです。

記者席ではなく観客席で試合を観て、あくまで「観客の一人」として、文章を書く。ファンであること、プロであること。この2つを上手く行き来しながら書いていることに、いつも感心しています。

フォローする立場から、フォローされる立場になったリアル

本書を読み終えて感じたのは、「今後どうするのだろう?」ということでした。

これまでは、「今に見てろよ」と体制に歯向かうことがかっこよく見えた人でも、売れて、名前が知られるようになると、いつの間にか自分自身が「今に見てろよ」と言われる対象になってます。いつまでも、「今に見てろよ」では続けられないと、僕は思います。

そして、売れることによる苦悩の始まりは、自分に似た文章を目にすることから始まるのかもしれません。著者も寄稿している「文春野球コラム」を読んでいると、著者より年齢が若いと思われるライターが書く文章は、どこか著者に似ています。

フォローする立場から、フォローされる立場に。会社員でも、今までは年上の人の姿を参考にしていればよかったけど、気がつくと参考にされる立場になったら、分かっていても戸惑うものです。もしかしたら、そんなことを考えてるんじゃないかなと、本書を読んでいて感じました。

ミュージシャンがベスト盤をリリースするのは、レコード会社との契約が終わったタイミングというリアルな理由だけじゃなく、これまでの自分に区切りをつけ、新たな一歩を踏み出すためにリリースする。そんな意味もある思います。

著者のコラムに触れたことがない方も、触れたことがある方も、ぜひ読んで頂きたい一冊です。なぜなら、ベスト盤って、そういう作品ですから。


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