ティノ・セーガル「これはあなた」を見る

京都市京セラ美術館で上演されていたティノ・セーガル「これはあなた」を見に行った。

「月末まであるから、大丈夫だ」と何度も先送りにしていたが、最終日になんとか滑り込みで鑑賞することが出来た。

会場は京セラ美術館の日本庭園。最終日である日曜日は秋の京都らしく、人も多い。過去に江之浦測候所でティノ・セーガルの作品を鑑賞した人の話を聞いていただけに、こんな人がいる中でどうやっって上演するのだろう?と思っていた。

演者を探すような形で少し庭園の中を歩き回ると、1人の女性が日傘を持って立っていた。「ああ、何となくそれっぽい」と思って近付いた。すると、その女性も私の存在に気付き、私の方向を向いて歌を歌いだした。綺麗な歌声でワンフレーズほど歌うとハキハキした声で「ティノ・セーガル2006、これはあなた」と言って終わった。

少し想像していた作品とは違っただけに戸惑いもあったが、清々しく終わった女性の様子に何となくニコニコして拍手してしまった。そして、その場を後にしたのだが、何となくこれはもう一度見た方が良いように思えた。
「これはあなた」って何なんだろう?演者も鑑賞者を認識しているという事なのだろうか?イマイチ、感触が掴めなかった為、庭園を一周回って再度女性のもとに向かった。

再び同じ場所に向かうと、今度は女性の周りに複数の人がいた。意外なことに演者である女性は普通に鑑賞者と作品の話をしている。そして、私よりも前にいた男性に気付くと、また男性の方を向いて歌いだした。さっき私が聞いた曲とは違う曲だ。そして歌を向けられている男性は踊りだした。なんか、面白い風景だ。

面白そうな空気感に、私も入ってみたくなってジワジワと近付いた。すると、やはり演者の女性は私の存在に気付いた。彼女は「さっきも来てくれましたよね。ありがとうございます!」と言って再び歌い始めた。またさっきとは違う曲で、今回はエーデルワイスだった。私は演者の人と目を合わせる形で歌を聞いた。すると、何だか耐えられなくて涙が出てきた。

その瞬間は突発的に涙が溢れたような感覚で、何で自分でも泣いているのか分からなかった。歌っていた人も流石に驚いたようで、歌い終わった後に「大丈夫ですか?ハンカチ持ってますか?」と聞いてくれた。

とりあえずハンカチは持っていたので、「大丈夫です」と答えると、そのまま作品について会話をした。彼女はその中で「この作品は鏡なので、その人に対する印象に合わせて歌を歌います。あなたはすごく美しく見えて、だからエーデルワイスの歌を歌いました」と言った。けっこうガッツリ作品について喋るんだなぁと意外な発見はあったものの、急に泣いてしまった自分に動揺したこともあって、その後はすぐに家に戻った。

泣いてしまった理由は何となく心当たりがあった。しかし、何故あのタイミングだったのかが分からなかった。

歩きながら、そのことについて考えた。そして、たまにエーデルワイスを歌ってもらったことを思い出しながら、再び泣いた。ああ、なんでこんなに涙が止まらないのか?

悶々と考えていると、私を見つめる演者の澄んだ瞳が綺麗だったことを思い出した。そうそう、その瞳に見つめられながらゆっくりとエーデルワイスを聞かされたんだ。

ああ、私は彼女の美しさに耐えられなかったんだ。

何となく、そんな結論にたどり着いた。そして、歌い終わった後に女性が言った言葉を思い返した。

「この作品は鏡なので、その人に対する印象に合わせて歌を歌います。あなたはすごく美しく見えて、だからエーデルワイスの歌を歌いました」

完全にその時はスルーしていた、私に対する「美しい」という彼女の言葉は、まさに歌によって私に反映されていたのだ。なるほど…と腑に落ちた気持ちと共に、私はその美しさに耐えられなかったという事実が彼女ではなく、私自身の問題であったことに気が付いた。

そうか、私は自分が美しいことを認められない状態なんだな。

そんな結論に達すると、あまりにも上手く行き過ぎた鑑賞体験だけに、良い意味で心がえぐられたような感覚になった。

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