ゎたしの原宿

平成の原宿を総括しよう!という話ではなく
通っていた頃の私がみた原宿を書き残そうと思う。

きゃりーぱみゅぱみゅもまだ出てきていない、
だからと言って竹の子族がいた昭和には遡らず。

けれど
原宿という唯一無二が盛り上がっていた
と、思っている頃。

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当時私は高校2年生だった。
愛読書はjunie(廃刊...涙)とZipper。
眉毛は存在を薄くするのが流行っていて、私は全剃りしていた。若毛の至り。

2週に1回のペースで、片道1時間半かけて
東京メトロの、明治神宮前5番出口で友人と待ち合わせをしていた。

友人はヴィジュアル系が大好きでカラオケに行くとよくシャウトしていて
原宿に行く際はだいたいゴスロリ。
私はといえばわかりやすく裏原系(だと思っていた)にはまりつつ
ファンシーなものが大好きで毎週飽きずにお店を渡り歩いていた。

竹下通りに入ってすぐある
プリクラ機しかない店でお洒落にキメてきた格好をしっかり残したら、
地下へ続く階段の先にある、はなまるうどんで肉うどんを食べ
セブンイレブンの上にあったゴスロリの店に必ず行くと
友人の気持ちいい買いっぷりを見学した。

竹下通りを抜けてムラサキスポーツ側に行くと
いよいよ裏原宿へ。
おめめ柄がプリントされたワンピースや
馬鹿でかいメガネモチーフのネックレス。
懐中時計にナチュラルな生成り色のレースヘアバンドだとか
ジッパーでできたイヤリングや謎のアジア感あるアクセ。
キッチュでシュールな、何のためにこうした?感も
おしゃれでしょうがないかけがえのない個性たち。

淡いピンク色でふわ〜ん女の子〜〜ファンシ〜なお店では
めちゃくちゃ高いマカロンのアクセだとかを指をくわえて眺めながら
プラスチック製のリボンアクセを買う。

輸入されたパステルカラーの海外キャラクターといったら
なんて可愛いんだろう...
ふわふわのチュチュも店内でひらひらと眩しさを放っている。

明治通りや渋谷方面(ファイヤー通り)にも好きなお店があり、
ヒールをはく友人にめちゃくちゃに怒られない限りは
携帯で写メった地図を見つつ歩いた。
そしてよく迷って、迷っては道を覚えた。
渋谷と原宿では明らかに歩く人々のファッションに違いがあって
大切にしているものの違いというか
そういった街の様子を見るのもとても好きだった。

爆発セール以外の時期は
お手洗いの時だけ行列に並びに行ったラフォーレの中でも
服を見るだけでブランド名が言えるくらいどこも違いがあって
だからこそいくつものブランドを覚えれていたんだと思う。

ずっと残って広まり続けていくと疑わなかった
私の知る原宿が変化するのを察知したのは、数年後。
渋谷でしか見かけなかったギャルと呼ばれていた子たちを
原宿の真新しい古着屋で見かけた時だった。
ぶいぶいいわせていた古着屋が独自ブランドを打ち出して新品メインになり、渋谷にも進出した。
悪いことではないのに、チクリと痛んだ。
ずっと一緒にいた友人が遠くへお嫁に行っちゃうみたいな気持ちだった。

その人によってこれこそ原宿だ。と思っているものは違うだろう。
ゎたしの原宿は
いろいろな人がいるからいいという考え方に
ファッションを通して、育ててくれた場所だ。
もしこの原宿じゃなかったら読んでいた雑誌の内容も違っていただろうし色々と変わってくるので想像出来ない。
時代にも左右されて街は変わっていくんだろうけれど次見たときにはどんな光景になっているだろう。

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