歴史が好きなだけのライト審神者が『科白劇 舞台「刀剣乱舞/灯」綺伝 いくさ世の徒花 改変 いくさ世の徒花の記憶』を見ながらガラシャ様のことばかり語った話

※刀剣男士については最低限しか触れていません。この舞台で刀剣男士たちがどんなふうに活躍したか確かめたい場合は、まったく役に立ちません。
※例によってネタバレを含みます。関連記事をあらかじめ観てくださると、どんな人間が記事を書いているのかわかりやすいです。

歴史が好きなだけのライト審神者が初めて刀ステに触れた話
https://note.com/nishikannnnnnna/n/n268b4c7b9e79

歴史が好きなだけのライト審神者がその後『映画刀剣乱舞』に触れた話
https://note.com/nishikannnnnnna/n/n47dc4d9bf1b2


前書き

仕事が全然終わらない。納品しても納品しても、仕事が続く。
個人事業主としてはありがたい状況ではあるものの、まとまった空き時間が全然取れない。
そんな状況で、連隊戦は治金丸ひとり確保。山鳥毛もひとり出てくれたので勝利勝利。日光一文字は厳しそう。
そんなわけで、本放送も再放送も逃した刀ステの科白劇『綺伝 いくさ世の徒花 改変 いくさ世の徒花の記憶(‘綺伝 いくさ世の徒花‘に取消し線入る)』(以下、綺伝改変)の、ディレイ配信を見ることにしました。繰り返し見られるので確かめながら記事が書ける! やっほい!

過去に刀ステと映画刀剣乱舞の感想記事を書いたことだし、特に義務はないけど書かなきゃと思い、こうして記事をしたためることにした。あえて言えば、自分との約束だ。
刀ステの感動の勢いで申し込みしたものの、綺伝改変は見事にチケットご用意されなかったので、配信を見られるのはとてもありがたかった。

刀装:講談師

特殊な形式の舞台になったゆえに、思わぬ存在が追加された。まさかの講談師。2.5次元舞台でお目にかかるとは思わなかった。
口元にはシールド。これは全キャスト共通。以降、キャストさんがアップで映るとたびたび曇っているのがわかる。飛沫感染と顔が覆われるのを防ぐ最大公約数なのを実感する。

この刀装、とても素晴らしい性能で、導入に科白劇の説明をちゃんとしてくれるのはもちろん、役者さんの動きが最低限で済むように絶妙にアシストしてくれる。時に打撃を上げ、時に衝力を上げ、ちょっとした接近も縦横無尽の殺陣もできないというハンデが、彼の語りによって打ち消される。
しかも、刀装なせいか、刀剣男士がちょくちょく絡みに行く。刀剣男士と刀装の会話、いいな。刀装もっと出てきてくれないかな。

今回は、別の本丸の特命調査の内容を、刀ステの本丸が垣間見る形。改変だもんね。自分たちの本丸の舞台とはきっとちょっと違うもんね。こういうとき「とある本丸」システムは大変便利。

あ、この子こういう感じなんだ……途中実装組のキャラたち

私は初期に始めたけど、途中長らくサボっていたので、一定の時期に実装された男士たちはほとんど知らない子だった。なんなら、プレイ時間の関係で初期実装組ですら理解が追い付いていないこともある。

【今回の出演組と私の関係】※これ以降、略称で呼ぶ
歌仙兼定:初期刀、この中で唯一の極
古今伝授の太刀:歌仙の特命調査だったので頑張って手に入れた
地蔵行平:同上
にっかり青江:早くから手に入れてたけど育成が追い付いていない
獅子王:同上
亀甲貞宗:鍛刀でポロっと来た(そして育成が追い付いていない)
篭手切江:歌仙の特命調査で復帰した後に江の里で手に入れた
山姥切長義:先日の狂気の62振りプレゼントでようやく会えた

というわけで、歌仙以外はあんまり馴染みがない顔ぶれだったりする。平均レベルは、極の歌仙を除けば40くらい。
なんとなくTwitterとかの受動喫煙で把握しているつもりになっているから大丈夫。多分。刀ステは慈伝までは一気見して、維伝は未視聴だけど、まあ大丈夫。多分。

亀甲くんはキャラが立ちすぎているせいか、こんな私でも言外のニュアンスがよくわかってしまう。弊本丸は近侍が基本歌仙なので、遠征で彼を部隊長にして行かせると、帰ってきたときに微妙にセリフが噛み合っていて面白い。そういうわけで、実は遠征部隊長には結構任命している。今回のはだけタイム、楽しみにしていたのに。

篭手切くんはかわいい。獅子王との砕けた口調の会話が、すごく少年っぽくて、「そういえば脇差だったな」(にっかりは?)ときゅんとする。途中のアイドルっぽいパフォーマンスの生き生きっぷりが素敵だった。あそこ、シリアスだった流れがいい感じにぶち壊されたし。拍手のおねだりもかわいい。

長義くんは、私の記憶が慈伝で止まっているので、やたら布バッサバサ掛けられるうえに、イキって山姥切国広にあっさり負けた人という認識だった。今回は有能さをいっぱい出してくるし、なんなら聖書の一句を引用したうえにそれにちなんだ引っかけ芸とか披露しちゃう。あまりに違和感なくてこの記事書くまで気づかなかったけど、すごく成長したな!?
それなりの教育を受けた気配があるの、政府は刀剣たちに聖書も教養の一環として読ませているのだろうか。引用したときのさらっと感が、付け焼刃ではないんだよな。

ここくらいしか書くスペースがないけど、今回銀髪とか薄い髪色が多くて、大変だなって思った。このカラーだと、メイクがなかなか映えにくいと常々感じている。

むしろ生で見ないでよかったガラシャ様

うちの初期刀である歌仙は、メディアミックスだとあまり目立つ位置に置かれない。なぜだ。雅だからか。私だって微妙に主人公よりもサブの方が映えそうな気がしてくるではないか。
そんな彼の、満を持しての特命任務の舞台。ゲームのイベントからして張り切って復帰した私は、冒頭で出てくる古今ちゃんと地蔵くんを見て「ああ、この二人を取るために頑張ったなあ」と懐かしみながら微笑んだ。
が、次の瞬間、この世のすべてが一瞬止まった。

ああああああああガラシャ様美しいいいいいいいい!!!
画面越しにいい匂いが漂ってくる!!

凛として、どこか艶があって、でも媚びていなくて。さすが宝塚の男役スター。もともと私は女性の出演に抵抗なかったけど、逆にすごい、やばい。
口元シールドに加えて画面越しという二重フィルターでよかった。生で観ていたら致死量だった。同じ高さの床に絶対立てない。なんなら、客席と舞台の段差が5メートルくらいないと無理。
これは惑わされる。忠興もヤンデレになるわ。様を付けないといけない。
すっかり心は地蔵くんに重なった私、やっぱり今回も時代改変に手を貸したくなってしまった。
地蔵くんと古今ちゃんの刃が合わさる……という表現だけど、あくまでもソーシャルディスタンス。それでも役者さんの刀を握る腕の震えで、力の拮抗や跳ね飛ばした感が伝わってくる。講談師刀装の実況が、またいい効果を与えてくれる。
ガラシャ様と地蔵くんの逃避行が始まった瞬間から、もうすでに切なくて泣きそう。ここ、まだ開始10分経っていない。

そんななか、どんどん登場するキリシタンたち。あ、ジョ伝と官兵衛の役者さんが一緒だ。ここにはいないけど、忠興も義伝と同じ役者さんなんだよね。作品を重ねていくと、こういうことに嬉しさを感じる。
大友宗麟が大将格なのは理解できるけど、あまりに常識人っぽい性格で違和感。私の脳が逸話に汚染されているからだろうか。でも、『殿といっしょ』みたいな、茶目っ気はあるけどひたすらダメなおっさんであってほしいんだ宗麟は。
蒲生氏郷がいないのも実はちょっとしょぼん。

今回は音楽も美しい。私、かつては中世~近世のヨーロッパの合唱をたしなんでいたものの、世俗曲ばかりやっていたせいで宗教曲の素養がさっぱりだったのがここで地味にダメージ。自分で歌う分にはちょっとだけ現代に近いところをかじったくらいで、キリシタンの間で歌われてきた『おらしょ』も、他の合唱団が歌ったのを聞いたくらい。せっかくなら、ガラシャを題材にした戯曲も予習しておけばよかった(ちなみに、悪逆非道な夫に苦しみながらも信仰を貫いて命を落とした感動ストーリーらしい。あらすじだけ聞いていると間違っていない気がしてくる)。こういうとき教養の有無がボディブローのように効いてくる。

それにしても、キリシタン弾圧回避とは、またうまいところついてくるね~~~~~~。でも、キリシタンは奴隷がむにゃむにゃ……というわけで、私の心境としてはキリシタン弾圧自体は別に回避しなくてもいいし、珍しく秀吉を擁護する事案である。
そしてやってくる、古今ちゃんの入電。ゲームのときも思ったけど、わかりづら! これ、うっかり歌仙が不在で伝わらなかったらどうするの。ガラシャの辞世の句を微妙に匂わせてくるのやめて。しんどい。匂わせは世間から好かれないよ。

ここで、やっとオープニング映像。忠興が惨めなくらい薄汚い格好だけどネタバレじゃないのか。サイトにも出しているからいいのか。どうした忠興。鼻の傷、目立つな。史実どおりとはいえ(自分の行いが原因で実の妹に憎まれて切られた)、義伝でもこの傷あったか? (サイト確認)あ、うっすらあった。綺伝改変のほうが傷が濃いのは、その分こっちの忠興は業が深いのかもしれない。
とか思ってたら、名前は出てこないけど、ボロボロの忠興が早速登場する。もう狂っておられる。さすが戦国を代表するヤンデレ。私の忠興への物言いがひどいのは仕様です。

いろいろ飛ばして、逃走中の地蔵くんとガラシャ様の話をしよう。
ガラシャ様の口から、忠興との心のすれ違いが語られる。まあ、あやつ、仲間としてはいいかもしれないけど、愛情が絡む関係になると厄介すぎるよな。父親の幽斎様はどこで教育を間違えてしまったのだろう。
このシーンでのガラシャ様、本当にすさまじいファム・ファタルっぷりを発揮する。適度におんな言葉を使うけど、いくさ人らしい胆力もあって、記号的な女性らしさはあまり感じない。私は細川ガラシャに勇ましいイメージは抱いていなかったものの、解釈違いという言葉すら跳ね飛ばすほどかっこいい。だからこの人は、ガラシャ「様」。
それでいて、地蔵くんとの姉弟について語るやりとりが、無邪気でわがままな少女みたいなんだ。私が思い描いていたガラシャ像っぽいんだ。これ、姉上と呼んじゃうよ。好きいいいい!
特に、「逃げましょう」の部分がちょっと妖艶なのずるい。そりゃあ、忠興もヤンデレになるよね!?
で、地蔵くんの弟力がまた格別。叫ぶときは迫力があるのに、ガラシャ様の弟として扱われるときはかわいいんだ。もう世界一の弟と言っていいほど。

この行き止まりの、放棄された世界で

微笑ましくて心が痛むガラシャ様と地蔵くんの会話が行われたあと、口先だけで敵陣に踏み入れた長義くんと亀甲くん。
そこで交わされるのが、お約束の歴史問答。歴史とは何か。
私はかつて、刀ステの記事で「多くの人が信じてきたものの集合体と言えるかもしれません」と書いた。これは、私が過去を調べるのが好きな人間であり、後世の者としての見方。思えば、重大な事件・出来事のときにしか、自分が歴史の中にいると実感することはあまりないかもしれない。(コロナ禍がまだ続く今は、ずっと歴史の中にいるような状態だけど)

一方、黒田孝高(官兵衛)にとっては、歴史は「連綿と続く人間の営み」。これはまさに当事者の考え。だから彼にとって、自分が今生きているこの時間も歴史と言える。
「詭弁」「改変された歴史は歴史ではない」と切り捨てる長義くんは、いかにも政府の監査官出身らしい。彼の中にある歴史は、あきらかにこのキリシタンたちの歴史とは異なるし、正誤がはっきりしている。
長義くんは、「救いを求めて別の歴史を選択した自分たちを、正義のために滅ぼすのか?」と尋ねられて「正義ではなく、本能」と答える。これに亀甲くんも同意し、歴史を守るのが自分たち刀剣男士の本能だと明言。

ここで改めて思う。刀剣男士とは何ぞや。なぜ刀剣男士は歴史を守るのが本能なのか。なぜ歴史を守るのが刀剣なのか。屏風ではいけなかったのか。茶器ではいけなかったのか。建物ではいけなかったのか。装束ではいけなかったのか。
相手を斬るもの、戦で消費されたもの、権威を表すもの、美しいもの。そんな役割を果たしてきた刀剣だから、そんな本能が身に付き、政府の指令のなか戦っているのか。
長義くんは「ガラシャ様を斬れるのか?」と問われ、「斬れるか斬れないかではなく斬る」と答える。やはり斬ることこそ、刀の本能のような気がしてくる。

ふと、過去の自分の記述を振り返ってみる。
「この令和時代を生きる私たちもまた未来へ続いていく歴史の一部であり、美術品や文化財は未来の人たちへの預かりもの。」
彼らは過去だけでなく未来も守っている。今からずっと未来、人間よりも長い時を重ねてきている刀剣たちは私たちの知らない歴史も知っているはずだ。どんな未来か私は知らないけれども、この時代から刀剣乱舞の時間軸までにも何らかの物語があるはずだ。
戦う日々も戦わない日々も知っているはずの彼らが、歴史を守ることが自分たちの本能というなら、彼らにとって守るべき未来はとてもとても尊いものなのかもしれない。そう思ってしまうのは、私自身が「この未来じゃなくてもいい」と思ったら、過去を変えるのに抵抗のない人間だからだろうか。
いろいろ解釈に悩むぞ、刀剣乱舞。

ヤンデレ夫婦の愛と憎悪

いろいろあって、ボロボロ忠興は刀剣男士とキリシタンに捕獲される。どうやらガラシャ様を殺そうとしているらしい。忠興のことを「独占欲が高まれば、あの妻さえも殺す人物」と認識している私は「ほーん?」と話を聞く。
なぜ殺そうとしているのか問われた忠興は「裏切ったから」と答える。「別の男たち(キリシタン仲間)に囲まれてるから?」と思いきや、妻がキリシタンの国を作ったことで細川家は秀吉の怒りを買い、お家取りつぶしとなったらしい。意外ともっと武家らしい理由だった。
まあ、あの太閤さん、そういうところあるよねー。

ガラシャ様を罵る忠興を右近が必死に宥める。そのとたん、「お前に何がわかる! あいつとできてるのか?」とヤンデレ嫉妬を発揮する忠興。うんうん、やっぱり忠興はこうでなくっちゃ。(偏見)
忠興から見たら、ガラシャ様の夫は自分ではなく「信仰」らしい。さすが夫(ヤンデレだけど)、よくわかっている、と言いたくなる。
右近が言い聞かせれば言い聞かせるほど、勝手に嫉妬するヤンデレ。キャラがブレない。うちの歌仙が極になってから、やたらと「お前の男」感をアピールしてくるというか、束縛や執着を感じさせるような物言いが多くなったのは、あなたのせいですね。どうしてくれるんですか。

噂をすれば影、ということか、いつの間にか歌仙と古今ちゃんの語らいに。
そして語られる、歌仙兼定の名前の由来。手打ちにした数(戦で殺した数でなく)が三十六人、それを三十六歌仙に引っ掛けて「歌仙兼定」。
忠興の狂気と文化人ぶりをよく表したこの逸話が私は昔から好きで、歌仙を初期刀に選んだのであった。(こつこつ手打ちの数を重ねた説のほかに、一気に三十六人または六人手打ちにした説もある/六人の場合は六歌仙由来になる)
歌仙の名が生まれたのは、忠興がああいう人だからで、妻への深い愛情とそれゆえの嫉妬も絡んでこそだと思うと複雑だけど、この舞台の物語に奥行きが出るよね。

さて、そんなガラシャ様はというと、かつて夫に蛇と呼ばれたことを地蔵くんに漏らしていた。その声色は悲しみに濡れているというよりも、どこか芯のある響き。この人の心には、夫の忠興の存在と、彼が望んでいたはずの自分の死が石のように沈んでいる。そんな彼女に地蔵くんは「蛇ではなく花だ」と答え、驚かせる。
刀剣男士は、歴史に基づく物語から成る存在。(私はこれを「本来、刀剣とは名もなき道具・消耗品であり、記録に残らずに消えゆくもの。それが大なり小なりの物語(由来)が付随することで、名を持ち、他の数多の消耗品とは異なる存在となる」と解釈する/『星の王子さま』の狐の話みたいな)
ガラシャ様が「花」と思う地蔵くんの心はどこから来たのか問うと、彼は自分の物語にいる忠興の心から来たという。
それを聞いたガラシャ様は、忠興の心を、自分が蛇なのか花なのかを確かめるため、地蔵を連れて熊本城へ行くことにする。そのとき、一度後方(客席側)を見やる表情が、喜怒哀楽のどれでもないのに美しくて、ため息がこぼれた。
ゲームのイベントだけではわからなかった、地蔵くんとガラシャ様の逃避行。このやりとりを見て、「姉上」と呼ぶ女性を連れて逃げていたゲームの地蔵くんの尊さが上がった。

いろいろあった末に、とうとう夫婦は再会を果たしてしまう。
忠興、開口一番にガラシャ様への憎しみを吐露する。自分でもわからぬほど強い憎しみの正体は、彼女への愛おしさ。見事に愛憎の関係。抱く思いが深ければ深いほど、その方向が反転したときの振り幅は大きい。自分の理想にピタリとはめてくる台本が私は憎くて愛おしい。
お互いを狂っていると言い合う細川夫妻。ガラシャ様、自虐を言うときも声色がいちいち強い。悲しみさえ、彼女を決して弱くしない。それは、深い感情に支配された人物だからだろうか。
細川ガラシャは横暴な夫に振り回された哀れな女性のように描かれることが多いけど、ここでのガラシャ様はここで、忠興と同じくらいの憎しみと愛をぶちまけ、忠興に斬られることを望む。ああ、ヤンデレ夫婦。
細川ガラシャの死には、自殺を禁ずるキリスト教の教えが絡みがちであるものの、このガラシャ様はそんなの関係なく、ただ忠興の手で殺されたいように思えた。それが、この夫婦の愛。

と思ったところで、右近が邪魔をする。ガラシャ様相当なファム・ファタルだけど、右近は右近で細川夫妻をどこまでも翻弄するよな。高山右近は世間的に知名度低い(と思ってる)のに、彼がいなければかなり歴史が変わっていたはずで。
さて、ここからガラシャ様の狂気がどんどん出てくる。罪を洗う、などセリフがどこかキリスト教徒らしい言い回し。
忠興が妻のことを「蛇のような女」と評した逸話はもともと有名だけど、それはいつのことか。キリストの教えに触れてからか。
キリスト教で蛇と言えば思い出すのは、アダムとイヴ(エバ)の楽園追放。イヴは、神に禁じられていたはずの善悪の知識の実を食べ、アダムにも勧めて食べさせた。その結果、二人は楽園を追われる。これにより、人類は原罪を背負う。
イヴがなぜ実を食べたのかといえば、蛇にそそのかされたから。この出来事で蛇は神の呪いを受け、足のない姿となって地を這いずることになった由来とされている。また、この蛇は悪魔ともいわれている。
この舞台を見るまで全然考えてなかったけれど、そういう点を踏まえてガラシャ(たま)が「蛇」と呼ばれたこと、「鬼の妻には蛇が似合う」と返したこと、この物語の中でガラシャ様が「夫に蛇と言われた」と何度も言うこと、胸に刺さりませんか。私はグッサグサです。よく知っていたお話ふたつがこういう絡み方するとは思わず、情緒が一気に大波小波です。

ガラシャ様はどんなときも美しい

闇堕ちしたガラシャ様……山姥切国広のごとく布をかぶっていて姿は見えないけど、声が違う。もっと淡々としていて、男っぽくなった気がする。正確には、性別がなくなった。
そんなガラシャ様に、地蔵くんは地獄までついていくと宣言する。地蔵菩薩は地獄の苦しみから救う存在であり、その名を持った彼だからこそ、このセリフが熱い。
彼女たちが去った中、右近にガラシャ様を斬るのを邪魔されて致命傷を負った忠興は、斬らずに済んだと感謝している。彼女がそれを望んでいたとわかっていても殺せなかった。本物だ、この男。
ステ本丸の歌仙は、「忠興らしくない、雅ではない」と言うけれど、私はすごく忠興っぽいと思ったのでステ歌仙と解釈違いを起こしているようだ。まあ、いいんだけど。

一方、黒田孝高は大友宗麟に、ある話を語る。
孝高いわく、彼らのいる世界は現状、流れているうちは清かった水が、堰き止められてどこにも行けずに濁った池のようなものらしい。ただし、この濁りは他の時間軸(本来の刀ステの本丸とも)と繋がりをもたらす。
ここで、獅子王がキリシタンたちに抱いた印象(記事内では省略)と、刀ステという作品を重ねたことが生きてくる。これ、ずっと刀ステ追っていた人には胸熱よね。このシーンで、刀ステの官兵衛好きになった。

場面は、細川夫妻の過去語りへ。まだこじれる前のたま(ガラシャ)様、歌声まで美しい。この頃、忠興はまだ病んでなくて健やかに見える。たま様もはつらつとした若奥様。そっか、本能寺の変は結婚してまだ数年の出来事だったね。若夫婦の幸せは長く続かなかった。
明智光秀の謀反により離縁となったものの、帰すべき明智家はもうないため、忠興は妻を幽閉する。この間に子どもが複数生まれているのは事実なので、忠興が彼女を愛していたのも事実だったんじゃないかなーと私は思っている。
幽閉がとかれて、ついにやってきた有名なあの話! 美しい奥方に見惚れた庭師をカッとなって斬り殺した事件! 待ってました! 独占欲全開の忠興、私の知ってる忠興だった。(何度も串刺ししたかどうかは、書かれていないケースもある)
血に濡れた刀を妻の着物で拭う忠興。ここで、たま様(の着物)に赤いライトが当たるんだけれども、その表現の美しいこと美しいこと。配信期間過ぎて見逃しちゃった~という人も、ぜひこれは円盤で見てほしい。
このときの夫を見下ろすたま様の目、すさまじいほど冷たいの。最高。そのまま射殺してほしい。
ちなみに、こういう忠興のヤンデレ全開の逸話は、着物で血を拭き拭き&蛇呼ばわり以外にもいろいろな情報がある。このときの着物をたまが数日着たとか、このとき(あるいは別件で)手打ちにされた者の生首を忠興がたまに向かって投げつけたとか。またまた、その生首をたまが数日ほど部屋に飾って、無言の圧力を感じた忠興が父親の幽斎も巻き込んで謝ったとか。バリエーションが結構豊富。
忠興が暴君なのは、キリスト教とかが作り出した虚像とする見方もあるけど、歌仙兼定が公に残っている以上、複数人手打ちにした刀に「歌仙」とご機嫌ネーム付けちゃう忠興像はもう史実でいいだろうと私はみなしています。
ここで歌仙が「血染めの着物など風流ではない」と悲しそうに言うけれど、個人的に鶴丸先生の見解も聞いてみたいところ。

その後、地獄への逃避行となったガラシャ様と地蔵くんが登場。闇堕ち以降、ガラシャ様は引き続き深く布をかぶった姿だったけど、ここでベールを脱ぐ。
人ではなくなってしまったガラシャ様、全体的に白くなり、声だけでなく服装も性別がなくなっていて……これ宝塚じゃないか!? 御髪のロールが芸術的!
はわ、はわわわわわっわわ、神々しい。宝塚未履修なんだけど、あの沼の人たち、いつもこんなの浴びてるの? 強! そして、こんな美しい人と同じ舞台に立つ宝塚の娘役が、そこらの女性とは別格の存在だとついでに思い知る。
ガラシャ様、その姿を蛇のようと言うけど、白蛇だとしたら神の使いではないですか。確かにお召し物には蛇の意匠があしらわれているとはいえ、全然禍々しくない。
弟感全開の地蔵くんに声をかけるときだけ、ガラシャ様ちょっと優しいんだ。けど、すぐに人外らしさを取り戻す。
そう、ここにもう人間はいない。刀剣男士は付喪神だし、ガラシャ様ももはや別の存在になってしまった。それなのに、交わされるのは「心」の話。しんどい。
他のキリシタンたちもお色直ししているけど、まあそれは置いておこう。宗麟がかっこいいのは、悲しい解釈違いかもしれないので。

そして戦闘につぐ戦闘。ガラシャ様の武器はもちろん薙刀。もう勇ましすぎて戦乙女かと思った。薙刀さばきすらも美しい。この記事内で何度美しいと言ったか、クイズになるくらい連呼しちゃう。事実だから仕方ない。ゲームのイベントのときは、追われる地蔵くんとガラシャに悲愴感を勝手に重ねてたんだけど、あんまり心配しなくてよかった気さえしてくる。旦那様より強いかも。
と思ってたら、いきなりガラシャ様が「あの人が来る」「鬼だ」と絞り出すような声を出す。「え、忠興? 生きてたの?」と思ったところで、場面が切り替わってしまう。

その疑問は、仲間の刀たちの奮戦に助けられた歌仙がついに白ガラシャ様と対面を果たしたところで明らかになる。
歌仙兼定、細川忠興の刀。
刀たちはそれぞれに物語を持っている。その物語が、刀剣男士たちの心を形作る。すなわち、ガラシャ様の言う鬼とは。
この舞台は、間違いなく歌仙の物語だ。歌仙でなければならない。
細川忠興という人を語るうえで欠かせない、手打ちにした人数をすぐれた歌人たちの総称にひっかけたという刀。後世の人々が細川忠興像を思い描く、依り代ともいうべき刀。
よかった、私、初期刀に歌仙を選んでよかった……。
十数年推しつづけている武将の槍は全然登場しないのに、思わぬ形で自分の戦国好きとして積み重ねた時間からの贈り物を渡された気分になりました。この勢いで人間無骨実装されてほしい。同じ之定ですよ。

神仏よ、私の無知は罪ですか

同じ刀剣男士と対立してまで「姉上」を守ろうとした地蔵くんに、ガラシャ様自身が引導を渡そうとする。ここで彼の名前である地蔵菩薩を出してくるのは卑怯ではないですか、姉上。インフェルノと地獄はやはり違うのですか、姉上。地蔵菩薩の手はインフェルノまで伸びないのですか、姉上。
仮初の姉弟の縁を断ち切られた地蔵くんがすごく悲しい。突き放す姉上は麗しい。葛藤。

最終的に一人になったガラシャ様に歌仙が駆けつけるところで、「アヴェ・マリア」の歌がかかる。先述の通り、微妙に宗教曲に疎いので解釈が追いつかない。どのアヴェ・マリア?から始まる我が身が悔しい。歌詞がセリフとかぶっているので聞き取りづらいけど、「Ave Maria, gratia plena」と歌っているなら、「ガラシャ」の名が入っていることになるはず。でもよーく聞いていると、ラテン語じゃないかもしれない気がしてきた。

歌仙を鬼と呼ぶガラシャ様。闇堕ち当初の凛々しさは鳴りをひそめ、むしろ彼女自身が鬼のような気配になっている。役者さんってすごい。
虚伝(再演)のときは、蘭丸に生き延びてほしくて仕方なかった。でも、この綺伝改変、ガラシャ様がこの閉じられた世界で存在し続けることを私は望めなかった。忠興がいなくなり、正史から切り離されて摩耗して濁った世界は、この美しい人にふさわしくない。だから、歌仙がとどめを刺すことは意外と辛くなかった。

最期のガラシャ様の言葉は、本当に泣ける。彼女自身が鬼または悪魔のようになってしまったはずが、ここでは当初の優しくて人間味のある声に戻っていて。彼女は救われたのだろうか。
途中、ガラシャ様のセリフに登場したように、私にとってキリスト教における「罪」は洗い流されるもののイメージだ。若いころ、何度「Wash my sins」などと歌ったか。あとは動物の犠牲くらいしか思いつかない。
「罪の救済」と「斬る」というと、私は仏教を思い浮かべてしまう(刀剣乱舞にはあまり関係ないけど、最上義光の娘である駒姫の辞世の句は泣ける)。仏像ではしばしば剣を持っているものが見られ、これは悪や人々の煩悩、因縁を断ち切ると聞いた。知恵の象徴でもある。
ガラシャ様は、忠興の妻として蛇であることを望んだ。信仰も生前の行いも異なっているはずの二人は、同じ場所に行けるのだろうか。そもそも、正規の時間から切り離されて独立したこの世界は、天国地獄への道が存在しているのだろうか。
徒花とは、咲いても実を結ばない花、無駄な花だ。花も人も、いつかは散る。散ったら、土に還る。その土はやがて新しい命をはぐくみ、つながっていく。なら、放棄されて起点も終点も失ったこの世界で散ったものはどうだろう。ここでの死はただの消滅だったとか、裏があったらもう悲しくてたまらない。
考察したいけど自分の中の情報が足りない。足りない、全然足りない。揺さぶられる情緒に対し、悲しいほどに私は無知だった。

そうしていろいろ考えが浮かんでは消えるなか、ガラシャ様も消える。歌仙が己の未熟さをぽつりと漏らすけど、これって極になるフラグかな?
かつて、刀ステは山姥切国広がいくつもの作品を経て成長していく物語だった。一方、綺伝は、歌仙の成長物語……のはずだ。
彼は、忠興が自分を斬った人数を誇らしげに掲げているような、実装されている刀剣の中でも物騒な逸話から生まれた刀である。しかも、名前の由来となった三十六人(または六人)の多くが名もなき人々で、もしかしたら忠興が斬るほどの罪もなかった人もいるかもしれない。さすがに「いやあ、三十五人斬ったか~。あ、もう一人斬ったらちょうどいいやんけ!」なんて忠興も考えなかったと思いたい。風流ではないもの。
「歌仙兼定」である以上、その物語は彼の中心に居座り続ける。そんな歌仙が、忠興の象徴として、彼を語るうえで欠かせないほど深く愛した妻の成れの果てを斬る。それは、自分の存在との戦いとも言えるんではなかろうか。
恐ろしいことに、これはあくまでも綺伝改変であり、刀ステ本丸とは別の本丸がたどった物語である。それを最後に強調している。改変ではない綺伝がどうだったか、見たくてたまらない。
そのときはまた、この美しいガラシャ様に出会えるのかと思うとわくわくする。

そういうわけで、ガラシャ様ガラシャ様とうるさくするだけで終わった鑑賞時間だった。実はまだ大演練のディレイ配信を残しているけれども、綺伝改変で胸がいっぱいなのでそちらは多分記事にはできないだろう。
七海ひろきさん、素敵なガラシャ様をありがとうございました。そして、この情勢でなんとか公演を駆け抜けた出演者とスタッフの皆様にも感謝。

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