抽選の結果、国会図書館のチケット(概念)をご用意いただけました

無限に広がる本棚があればよかったのに

小さい頃の私が両親にどこかへ連れて行ってもらうとしたら、図書館かプラネタリウムだった。
家にも本はあるけれど、どうせなら図書館でいっぱい借りていっぱい読みなさい、という家庭だった。
図書館で借りられる本を、初めて本屋さんで買ってもらったときは嬉しくてたまらなかった。
そして成長した私は、「自分で本を買う」という幸せを手に入れた。
読み返したいときは本棚に手を伸ばせばいい。それは私にとって、とても素敵なことだった。

しかし、本を買えば失うものもある。本棚の隙間だ。
実家の私の部屋は、壁にそれなりの大きさの本棚を並べている。
けれども、どの区域もだいたい埋まっている。
本とは、気がつけば勝手に増えている不思議な生き物なのだ。

そんな私の今の住まいは、はっきり言って読書家には向かない。
私の部屋は、間取りの関係で背の高い本棚を並べて置けるようなスペースがないのだ。
そうなると、手元に置く本は厳選しなければならない。
そこで私は図書館回帰を果たした。
最寄りの公立図書館はそこまで大きくないけど、運動がてら歩けば母校の大学の図書館があり、自分の専門の本にはさほど困らない。
それに、我が家は永田町へ通うのがそんなに苦ではないところにある!

永田町の国立国会図書館は、そのまま住みつきたいほどの理想郷だ。
「あの本読みたいな」と思ってリクエストすれば、少し待つだけでほぼ何でも出てくるのだ。
少しの情報を得るために何日も待つのが苦手なせっかちにとって、その日のうちに情報が確かめられるのはとてもありがたい。
もちろん所有するに越したことはないけれど、あの本が読みたいと願えば比較的すぐ叶えてくれる魔法のような場所だ。
「これはもう、国会図書館が自分の書庫だと思おう」
そうして私は、今の住まいでのスペース問題を強引に解決した。
なぜなら私は自由業で、平日でも比較的身動きがとりやすい。
パソコンを持って電車に少し揺られるのは、人から見れば不便かもしれないけど、そこに行けば大抵の書籍が閲覧可能な国会図書館はそれ以上の価値があった。
少なくとも、私にとっては。

「書庫」をあっさりと失った春

さて、2020年現在、新型コロナウイルスが全世界で猛威をふるっている。
3月、地元の図書館も国会図書館も母校の図書館もサービスに制限がかかっているなか、私は仕事のために調べものをしたくなった。
そこで、珍しく地元の図書館に本をリクエストした。
最寄りの図書館には所蔵されておらず、別の図書館からの取り寄せとなる。
もちろん、即日来てくれるわけはない。1週間は覚悟しなければならない。
短気な私は、検索画面を見つめながら「今までは、永田町に行けば、こんな思いせずに済んだのに」とため息をついた。
そして現在の私は「こんな性格ではなかったら、こんなに長い文章を書かずに済んだのに」と同じようにため息をついている。

私は本当に短気なので、いち早く中身を確かめたいのに何日も待つという「ステイ」ができない。
しかも、「この本ならきっと必要な情報を得られるだろう」と思って肩透かしを食らうこともよくあるので、数日も待った甲斐があるだけの情報が得られるかわからないのにリクエストできる予約数が限られているのも嫌だった。
絶対、思ったように情報が得られなかったときに、「こんなことなら、この本でなくあっちの本をリクエストすればよかった」と言うに決まっているからだ。
非常事態になってすぐに治る短気なら、もっと別の人生を歩んでいる。
こういう性根なので、国会図書館の遠隔複写サービスを利用することすら、ためらいが出てしまった。
ピンポイントで必要な情報だけを指定するなんて、私にとってはなかなかハードルの高い行為だ。
この状況で、煩雑な手続きを踏んで、待って待って、ようやく手元に来たコピーで肩透かしを食らったら、多分崩れ落ちる。
書いてみると、我ながらワガママである。もちろん、しばらくして後悔する。

図書館で新規の調べものをするなら、開架でも閉架でも検索画面で出てきた本をできる限り目を通し、最も有益な数冊を持ち帰りたいのだ。
公立図書館で閲覧行為ができない、というのは思った以上にストレスになることをここで知る。
私にとっての図書館は、開いていて当然の場所だった。
それがどれだけ恵まれたことだったのかを実感する。
いち市民が気軽に足を運べて、本を好きなだけ引っ張り出せるような環境を整えてくれた人々の偉大さを思い知った。

しかも、コロナ禍が拡大し、図書館は完全にサービスを止めてしまった。
まだリクエスト中の本があったのに、「いつお渡しできるかわかりません」というメールが届いたときの落胆といったらない。
来館サービスの再開が待ち遠しくてならず、「やっぱり本は手元に置いておくべきだな」としみじみ思った。
私の「国会図書館が自分の書庫代わり」は、あくまで自由に来館できるからこそ成り立つものだった。
今回の災害は、物理的に文化財や書籍が失われたわけではない。
自分の身近な人たちも、幸いなことに無事だ。
それでも、何か大切なものを奪われてしまったような気持ちになってしまった。

3月に欲していた情報は、結局、この状況下で入手できる範囲のものだけで間に合わせることになった。
そして、自粛期間中に新しく記事にしたいネタができた。
依然として、裏付けをしようにも手持ちの資料にもインターネットにも限界があった。
実家から一部の本を移してみても、どうしてもはっきりしないままのことはある。
1ヶ月以上の自粛生活で多少落ち着きが出始めたとはいえ、どうしても半端な知識で記事を書きたくないという気持ちが生まれてしまった。
こういう人間は個人事業主に向かない。コストを無駄にかけるからだ。
そんな私に、5月末になって、ようやく国会図書館の来館サービス再開の報が届いた。
両手をあげて喜んだのもつかの間、私の目に飛び込んできたのは、「抽選予約」の文字だった。
ですよねー。
このときはじめて、図書館がどんなコンサートや舞台よりも遠く感じた。
これが、元々立ち入りに制限が設けられているような図書館ならわかる。
国会図書館、あなたはそうじゃないでしょ!?と永田町に向かって吠える。

抽選の結果、当選するのは、1日200人。
あの規模で、たったの200人。
きっと私のように、サービス再開を心待ちにしていた人は多いだろう。
みんな、国会図書館で無限に調べものしたいよね。
死んだ魚の目をしつつ身動き取れる日に応募してみたものの、私のメールボックスに当選の連絡はない。
そう、今までぴあやイープラスで何度も何度も見てきた「厳選なる抽選の結果、チケットはご用意されませんでした」の状態だ。
ただし、こっちは落選の場合、連絡がこない。
私はこんなに愛しているのに、国会図書館は私を選んでくれない。
ようやく当選したのは、6月下旬になってからのこと。この週は4日ほど応募して、1日だけの当選だ。
それでも私が狂喜したのは言うまでもない。

やっぱり楽園はここにあった

そして当日。
私はもう、家を出る時からご機嫌だ。
いや、その前からいろんな人に「やっと行けるの!」と言い回り、まるで遊園地に行く子供のようにはしゃいでいた。
図書館に行ける。それがこんなにも嬉しいことだなんて思わなかった。
手指の消毒も、サーモグラフィによる体温の検査も、利用者カードを出す時もニッコニコで傍からは不気味に見えたことだっただろう。

ロッカーに荷物を預け、入館ゲートに入った時「ようやく日常が少し戻ってくれた」と思わず感激してしまった。
利用者間の距離を保つために、立ち並んだパソコンの半分は利用不可のうえ、「一時離席中」も含めて塞がっているものも多かった。
それでも席を確保し、検索を経てリクエストのボタンをクリックしたときは心の中で万雷の拍手が響いた。
今なら踊り出しても許されそうだと思うくらい、浮かれていた。

私の国会図書館は「この資料を取り寄せるのに数日かかります」なんて絶対言わない。(ただし、ないものはない)
待ち時間は決して短いとは言わないけれど、リクエストが通ったら必ず即日見られるのだ。やっほい。
待っている間に足を運んだ人文総合情報室で、分厚い書籍を取り出してはいちいちときめく。
なお、地元の図書館は6月後半には書架の立ち入りが許可されたが、それは今は置いておく。(ちなみに母校の図書館はいまだに入れない)

そんな状態なので、リクエストした本がカウンターに到着し、受け取ったときの感動はなおさら大きかった。
これこれ、これだよ。
デジタルコレクションにも一般の図書館にもない本を、こうして届けてくれるありがたさ。
家にはなかなか置く勇気が持てない、大人でも両の腕で抱えなければならないような書籍を何冊も持ち運ぶときの重み。
時には本館(書籍)、時には新館(雑誌)へ移動しながら、本をリクエストしては目を通し、必要な情報だけを抜き出して返してはまた別の本の閲覧を申請する。
幸せは、永田町にある。
肝心の調べものについては、「まさかここまで情報がないとは……」と想像以上に空振りしてしまったけれど、それでも大満足だった。

博物館も図書館も、社会が平和だからこそ、その日の気分で利用できるものだ。
これ以上感染者が増えず、早くこの災害が収束することを願っている。

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