『水曜日が消えた』を水曜日に見てきた感想

注意:致命的なネタバレはできるだけ避けていますが、「物語のラストに触れている」というパンフレットの話題とかはあります。

『水曜日が消えた』という作品。
http://wednesday-movie.jp/

テレビか何かでCMを目にしたときは、実はそんなに惹かれなかった。私は元々、監督や役者さんで見るか決めるタイプではなかったし、そもそも最近はコロナ禍で映画館に行くことがなかった。
それでも頭の中には残っていて、「大まかなストーリーだけ知りたいな」とネタバレ感想を探した。そして途中で、私はスクロールを止めた。

これ、やっぱりネタバレなしで見たい。

主人公は7重人格で、日替わりで人格が交代する。その中の1人「火曜日」の視点でストーリーは進む。
「火曜日」と呼ばれるその人格はちょっと損な役回り。図書館も店も休みで(そういえば美容院も火曜休みが多い)、他の曜日から通院や掃除など面倒なことを押し付けられがち。「火曜日」以外は結構自由奔放らしく、苦労人のようだ。
そんな「火曜日」に突然、水曜日が訪れる。火曜日とは違う風景、いつも閉まっていた図書館に行ける喜びを彼は噛みしめる。
そして「火曜日」は、図書館の職員に好意を抱く。しかし、どうやら彼女は「水曜日」と何やら関わりがあったようで……。

うわ、これ絶対、「水曜日」が消えた葛藤生まれるやつじゃん。そのうち喜べなくなるやつじゃん。こういうしんどいの大好き。※まだ観てない

気づけば私は近くの映画館の上映情報を調べ、席を予約していた。たまたま時間が空いていて、レディースデイで安かったから、水曜日になった。
そうして、すごく久々に私は映画館に行った。

1人7役という触れ込みだったので、7人がもっと入れ代わり立ち代わりで登場するのかと思ったら、主役はあくまでも「火曜日」なので、彼視点で物語は進む。そもそも、曜日同士の交流は思ったよりも薄い。
多重人格者が脳内の部屋で会話する手法はよく見るけれど、この物語の彼らは直接喋ってコミュニケーションしない。各曜日に割り当てられた色の付箋で伝言を残すか、自分の行動記録を残す。あと、「土曜日」は他の曜日とチェスとかゲームを楽しんでいるみたい。
「火曜日」は問題児の「月曜日」の後始末を頻繁にさせられる一方で、水曜日がどういう人なのか実はそんなに知らない。
確かにこのシステムだと、「前日」の行動は直接自分に関わってくる反面、「翌日」はある意味一番影響がなくて遠い存在なのかもしれない。

そういうわけで、多彩な演じ分けを期待する人は最初、ちょっと拍子抜けする可能性はある。でも、そういう人ほど最後までじっくり観てほしいし、なんなら私はもう一回映画館に行きたくなった。というか、一時停止とかできる環境で観たい。自宅で一定時間を消費するのは性に合わないくせに。
まず先述の、「彼ら」がコミュニケーションに使っているふせんが絶妙に見えづらいのだ。字も結構癖があるうえに、ピントがしっかり合ってないのか、文字を認識するまえに画面が切り替わってしまう。
そして、とあるネタばらしが行われたときは、「さっき、もしかして……!」と巻き戻したくなった。

主人公がこんな厄介な体になったのは、子どもの頃の事故が関係している。その映像はとても美しく、作中で何度登場しても飽きることなくずっと見入ってしまう。
それを筆頭に、画面づくりが丁寧だと思った。特に言葉で説明しなくても、直接そのシーンにいなくても、状況や登場人物たちの人柄がなんとなく伝わってくる。
そう、この映画は直接的な説明が少なめな気がする。私はネタバレ記事を途中まで読んだからなんとなく脳内補完ができていた気がするものの、完全に前情報なしで行ったら細かい部分が気になってしまったかもしれない。(主人公の生活資金とか)
キャストに並んでいる人たちも、「主人公」以外は、いざ見てみれば最低限の役割だけ果たしていた印象。そこはちょっと淡々としているように感じられた。

でも本当にキャッチ―な設定だと思う。『水曜日が消えた』というタイトルと3行プロットから始まったらしいこの映画は、とにかくフックが強い。
曜日ごとに人格が変わるファンタジーな設定だけど、それが彼らの日常だった。なのに、「水曜日」が消えて、ずっと保っていた均衡が狂う。「火曜日」は、非日常である水曜日へ迷い込むのだ。一般の人間からすれば火曜日を迎えれば次に水曜日が来るのは当たり前のことなのに、「火曜日」にとっては紛れもなくそこは自分の世界とちょっとずれた異世界だった。

パンフレットを読むと、監督にとって「最も地味でつまらないキャラクターから見た世界を描きたい」という理由から、「火曜日」が主役になったらしい。その通り、「火曜日」は地味で貧乏くじばかりだけど(ただし、テレビの特集が猫なのはむしろラッキーじゃない?)、結局彼が一番主人公らしかった。そう扱われるよう描かれていたし、少なくとも私はそう思う。
その「火曜日」の、ちょっと不安定で「まとも」でない人っぽさがすごい。これは中村さんの演技力だ。多重人格になってから約16年だけど、「火曜日」はその7分の1しか生きていない。外見に反して中身はまだ子どもというアンバランスさ、話し慣れていなくて拙い口調が絶妙。
でも、本編を振り返ったり、パンフレットを読んだりしてると、同じ条件のはずの「水曜日」や「月曜日」はそういう自分たちの弱点を隠してうまく生きている。「火曜日」はそういう知恵が未発達。まあ、真面目な彼は「療養中」だからとなるべく外に出ないようにしてるし、仕事になるほどの特技もないようだし(旅行ブログの代筆が彼の仕事らしい)、店や図書館は休みで情報・刺激が与えられにくいからだろうか。
「木曜日」や「土曜日」はやや引きこもりに見えるものの、それでも「火曜日」よりは外との接点をうまく持っている。「金曜日」と「日曜日」はそれぞれ独自ワールドを形成。

「金曜日」は和室や廊下に植物を置いて水やりの指示を出したりするので、多少の主張が感じられる。
「日曜日」が、一番人柄が見えづらい。なんといっても、行動記録が魚拓だもの。釣った魚をみんなに分けたりするけど、すごく不思議な存在。日曜日は近所が騒がしいので、彼は人里離れた静かな場所へ行きたがるらしい。闇が深くないか、この設定。
「火曜日」が一番不器用なんだろうな。通院で一番自分の状況を把握できる立場のはずなのに、幼くて自分のコントロールが下手。好き勝手生きている兄たちの割を食う末弟のような雰囲気。
個人的にキャラクターとして好きなのは、芸術家気質の「木曜日」や、静謐で浮世離れした「金曜日」(パンフレットで寝相が悪いと発覚するのもいい)。友人にするならもちろん、一番真っ当に社会と接している「水曜日」。「土曜日」は家で一緒にいるなら楽しいかな。
「月曜日」は、「火曜日」視点で見ると問題児で厄介だけど、最後まで物語を追った観客は好きになる人が多いんじゃないかと思う。

パンフレットには彼らの行動記録が2枚ずつ掲載されている。これがまたすごく楽しい。
「火曜日」:書式に沿って真面目に書いているのは伝わるけど、やっぱりどこか幼い。
「月曜日」「土曜日」:意外と律儀に時間と行動を書くものの、字があまり綺麗ではない。
「金曜日」「日曜日」:書式の逸脱が激しく我が道を行きっぱなし。
「木曜日」:書式には沿っているものの、ちょっと字に癖があって詩的。
そして「水曜日」はとにかく簡潔で、趣味嗜好はわかっても意外とここからは人柄が見えにくい。「水曜日が消えた」というタイトルで、自分のうちの1人が消えたわりに、最初はそんなに「火曜日」が喪失感を抱いていないのも、こういうところにあるように思えてきた。

この物語は彼らにとってハッピーエンドだ。エンドロールを見れば、それが伝わってくる。7重人格の彼らは、16年という時間を7等分して生きてきた。「水曜日」が消えたことで彼らの均衡は一度崩れ、エンディングを経てようやく、人生を他人よりも7倍楽しめるようになったのではないか。
もう少し「火曜日」(+「月曜日」)以外の生活や人となりを作品内で知りたかった気はするものの、いい作品だったと思う。
個人的には、1週間のうち1日しか過ごせないなら、月曜・火曜は避けたい。博物館や美術館は月曜もしくは火曜休みだからだ。あと、うちの地元の図書館は月曜が休み。

【追記】
小説も買って読んでしまった。細部やラストは、ちょっと映画とは違う。映画だと説明されていなかった部分を保管しているものの、やはりすごく情報量が増えたわけではなかった。
先生との対話や月曜日くんと一ノ瀬さんの微妙な関係は、小説版のほうが好きかな。ただ、映画のラスト(エンドロール)の楽しげで幸せなノリも大好き。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?