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【ネタバレあり】歴史が好きなだけのライト審神者が『天伝 蒼空の兵 -大坂冬の陣- 』でとうとう刀ステ現地参加を果たした話


※まだまだ公演は続いていますが、配信だった今までと違ってメモを取りながらの鑑賞ができなかったので、記憶がまだ残っているうちに感想を書きたいと思いました。ネタバレに寛容な方だけご覧いただけたら幸いです。
※個々の刀剣男士にあまり触れていないのでご容赦ください。
※記憶と事実が異なっていたらごめんなさい。
※関連記事をあらかじめ読んでいただくと、どんな人間が書いた感想なのかわかりやすいかと思います。

歴史が好きなだけのライト審神者が初めて刀ステに触れた話
https://note.com/nishikannnnnnna/n/n268b4c7b9e79

歴史が好きなだけのライト審神者がその後『映画刀剣乱舞』に触れた話
https://note.com/nishikannnnnnna/n/n47dc4d9bf1b2

歴史が好きなだけのライト審神者が『科白劇 舞台「刀剣乱舞/灯」綺伝 いくさ世の徒花 改変 いくさ世の徒花の記憶』を見ながらガラシャ様のことばかり語った話
https://note.com/nishikannnnnnna/n/n7784b494592e

前書き

5月の一挙発信、8月の綺伝改変の配信を鑑賞して、感じたことを書き散らしているうちに、とうとう現地参加を果たしてしまいましたよ、刀ステ。
こんなはずではなかった。一年前の私は「ゲームと近隣の博物館関係をたまに追うくらいで」という意識だったはずだ。しかもゲームすら、たまにログイン勢だった。
コロナ禍はなお続き、その影響を避けられなかった公演ではありましたが、IHIステージアラウンド東京まで参じました。


両陣営の頭、それぞれが見せる火種


今回の題材は、豊臣氏が滅亡した大阪の陣。
天下統一を果たした豊臣秀吉の死から時は流れ、秀吉の継嗣である秀頼は立派な若者へと成長。(秀吉には他にも子がいたものの早世)
しかし、今や極めたはずの豊臣家の栄華は陰り、世は徳川家に移ろいつつあるという。
戦を経験することもなく、秀頼は父親の出世物語の結末を飾るだけの存在のような虚しさが漂う。
しかも、序盤から早速「自分は本当に秀吉の子か?」と疑問をこぼすという。

一方、戦国を生き抜き、征夷大将軍となった家康。
彼は、このまま平穏な余生を送って畳の上で死ぬのは嫌らしい。戦闘民族。
彼曰く、秀吉のような死に様はみっともない。(せやな)※秀吉の最晩年の印象がとにかく悪い私
そして引き合いに出すのは、本能寺の変における織田信長の死に様。
家康は最後まで「いくさ人」でありたいんだな。そこがアイデンティティなんだな。
その点では、自分の有り様に悩む若者・秀頼との格の違いが最初から出ている。
でも、三方ヶ原とか伊賀越えとか数々の修羅場をくぐり抜けすぎたせいなのか、感覚がかなり麻痺していると思うよ権現様。その表現はさすがにどうよ権現様。

すばらしい対比。この時点で既に好き。
戦を求める心が戦を作り出す、そんな空気を感じながら物語は進む。

「他の誰でもない自分」を手に入れたい秀頼


先述のとおり、アイデンティティに悩む秀頼。
戦を知らない、生まれながらの天下人である彼は、亡き父の栄光に守られて今の地位にある。
秀頼自身が得た功績は特にないので、お飾りのような存在であることは自覚している。
何につけても「秀吉の息子」という肩書きがついて回る。

そんな彼をさらに苦しめるのが、秀吉の実子ではない疑惑。
秀吉は多くの側室を抱えていたものの、彼の子を生んだのは淀殿(茶々)のみ。
実はもう1人、秀吉の子を産んだ側室がいるのではないかという説を持ち出したいけど、ここはぐっと我慢。
淀殿は秀頼の前にも男子を産んだ実績があり(ただし早世)、「どうして彼女だけ?」と首を傾げたくなるのは昔も今も変わらないらしい。

秀吉の息子以外の何者にもなれないのに、その「息子」ですら確実ではない。
つまり、何者でもない空虚な存在として大阪城に君臨している。
だからこそ、秀頼は戦を望んでいた。
父である秀吉が低い身分から自らの力量で成り上がったように、秀頼も自分で戦って真の天下人になりたい。
この願い自体が、自己確立の礎だと思うんだけどなあ。

この物語の彼を見ると、生まれた時期がとにかく気の毒というか。
いわゆる「戦国の世」の時代は終わっているものの、実際に戦に身を投じていた世代が上に大勢いる。
生まれるのがせめてもう10年遅かったら……秀吉が死んでるからそもそも生まれないか。

劇中、複数の口から出てくる「間に合った」という言葉。
確かに秀頼は、最後の大戦に間に合った。
徳川の方が戦力が充実しているものの、同じく戦を経験しながらその徳川につかない勢力も万単位で揃えられる程度にはいたわけで。
でも、この場合「間に合ってしまった」のほうがしっくりきてしまった。
「間に合わなかった」のほうがよかったような気がする……そのifの芽は摘んでおこう。
ちなみに秀頼は劇中で一期と刀を交えるシーンがあり、当たり前かもしれないけど、思った以上に弱かった。慈伝のデジャブ。

同じく劇中、一期一振に「お前は何者だ?」と問いかけるシーンがある。
一期は豊臣家ゆかりの刀だけど、記憶が大阪城と共に焼け落ちたらしい。
そんな彼は、弟がいっぱいいることから「兄」と答える。
知らないとはいえ、「秀吉の息子ですらないのなら、自分はいったい何者だ?」という疑念を抱えている秀頼に。
「うっわ、地雷踏んだ……!」と客席で息をのむ筆者。
案の定、秀頼に「弟たちがいなかったら?」と問いを重ねられる。
まあ、自分の定義づけに他者の存在を出すこと自体は悪くない。
しかし、秀頼への回答としては模範的ではなかった。
でも、この2人にこういう会話をさせるお話の作りはすごくうまいと思った。

秀頼のアイデンティティや父親に対する複雑な思いは、劇中で美しい答えを得るので、そこは実際に鑑賞されたし。
ところで、「生まれながらの天下人」である秀頼の物語をやったなら、「生まれながらの将軍」である家光が戦を求めるifがあってもいいのでは!?(圧力)

「父の物語を背負う息子同盟」信繁


私が幼いころはまだ「幸村」という呼び名が優勢だった信繁。
彼を人気武将に押し上げたのは、言わずもがな今回の大坂の陣。(上田城の戦とかは脇に置いておく)
家康に死を覚悟させたほどの兵(つわもの)であり、その遺髪は取り合いになるほどの人気だったとかなんとか。
後世では数々の創作物のモチーフになり、彼の臣ということになっている「真田十勇士」は「本当は創作で、実在しないんだよ」とあちこちでわざわざ述べられるほどには知名度が高い。

とはいえ、大坂の陣の前は、彼もまた父親である真田昌幸の陰に隠れた存在であったらしい。
信繁もまた、父の物語を背負った息子であり、戦うことで自らの逸話を立てなければならない人なのだ。
そんな信繁が秀頼のもとへ参じる、この構図がやっぱりよい。
「何者でもない人が、何者かになろうとする物語」は私に効く。

自分の行く末を教えられた彼は、「死ぬまで生きる」の家訓に従い、生存戦略を立てた。
詳しくは弥助の項で触れるけど、「諸説へ逃げる」という方法を彼は選ぶ。
こういうの大好きです、ありがとうございます。
手法自体はいろんな前例があるものの、刀剣乱舞の世界観でやるとまた違う趣を感じられる。
あと、信繁に関しては、先述した非実在的存在である真田十勇士の利用方法もよかった。
そして最後の展開は予想していなかったので、夏の陣がますます楽しみではあるものの、彼は秀頼とは別の意味で「間に合った」の言葉が苦い。
ただ、真田丸のセットを見たとき、大河ドラマの方の『真田丸』で「俺たちの視聴料で城が建った!」と歓喜したのを思いだし、「俺たちのチケット代で城が建った!」と叫んだ。心の中で。

「その手があったな」弥助、そして死してもなお恐ろしい官兵衛


白状すると、5月の一挙配信での記憶がだんだんとおぼろげになっていたうえに(ジョ伝が構成凝っていて面白かった記憶だけは残っている)、忙しさにかまけてチケットだけは取っておいたもののキャストを事前にちゃんと確かめないで行った。
何度目だ。いつも前情報を調べないで挑むのを反省しつつ、記憶力がないので多分またいつかやる。
だから彼が登場したとき、一瞬「……弥助?」とフリーズして、慌ててジョ伝の記憶を引き戻した。
刀ステは弥助の使い方が天才。
劇中でも触れられているとおり、彼の本能寺後の消息はわかっていない。
つまり、史料に書かれていなかっただけということにすれば、いくらでも使える。
大坂の陣にひっそり潜り込んでいる弥助、いいな!

官兵衛の置き土産を利用して、弥助は「信長を諸説へ逃がす」という手段を試みる。
この「諸説」というのは、「実は生存していたっていう説があるんだよね~」という、主に後世の人間の夢だ。
死んだということにして歴史の表舞台から去るだけで、実は裏でこっそり生きていたというあれだ。
敗者、滅亡の美しい輝きに魅了された類の人間の大好物。
既に何度も見てきたはずが、というか映画の感想できゃっきゃと語っていたのは何だったのだと後で思いつつ、「ああ、その手があったか~」とその場で手を打ち鳴らしたくなった。

刀剣乱舞は、歴史の改変を防ぐために戦う物語だ。
生き延びるべき人間を正しく生かし、死ぬべき人間を正しく死なせる。
夏の陣で死ぬ人間を冬の陣で死なせても歴史改変。
どうせ同じ結果になろうと、タイミングを変えさせることすら許されない。
どうしてもその前提で見てしまうのに加えて、私はすぐにいろいろ忘れるので、「あったまいい~!」と自慢のIQ数値を溶かして笑顔。
「史実と事実は違う」という言葉のとおり、「史実」と呼ばれる記録に改変がなされなかったら、事実は違っててもいい。
よしよし、丸く収まるな。信長を生かして、ついでに森兄弟も生かそう。みんなハッピー。
けれども、この物語の主役はあくまでも後世の、政府側に所属する刀剣男士なので、やっぱりそれは許されないのであった。
刀剣乱舞の面白さのひとつは、あちらこちらからにょきにょき生えてくる歴史ifの芽をひとつひとつ確実に刈り取っていくことだ。

弥助の行動の裏には官兵衛の存在があるけど、ここでは既に官兵衛は亡き人である。
こっわ、死んでもなお他人を動かして歴史に干渉してくる官兵衛めっちゃ怖っ!
ついでに、かつて奴隷であった弥助に「刀剣男士は歴史の奴隷」と言わせる脚本も怖い。やめてほしい、しんどい。

物が語るから「物語」、そして物語に縛られる刀と人間


今回も出てくるキーワード「物語」。
刀剣は、物語(逸話)を持つことで、数多くある消耗品から特別な存在に変わる。
天伝では、それをこう利用するかと唸る仕掛けが施されている。
褒め言葉として、頭おかしいと言いたくなる。
実際は劇中で刀剣男士たちが指摘したとおりだと思うけど、そのやり方にテンション上がった。

物語に縛られ、すがるしかない。
それは刀剣男士だけではなく、人間も同じかもしれない。
たとえば父親の物語に縛られている息子たち。
けれども、人間は自分の意思で物語を選択できる可能性を持ち、逆に刀剣男士は自ら物語を選択できない、と思った。
その物語が自分のアイデンティティを形作るのだとしても。
刀は「断ち切る」ものなのに……ああ、別の歴史への道を断ち切っているか。

その他雑感

IHIホールは初めてだったけど、すごく面白かった。
私は乗り物酔いが激しいので「もしかして具合悪くなったりしないかな~?」と少し心配していたものの、杞憂に終わった。
360度に組んだセットという存在に胸躍ったし、そのひとつひとつが凝っている。
序盤で使われていた家紋のセットで、陣営に合わせて裏返るのを見ただけで、もう楽しくなってしまうほど。
とにかく舞台がぐるぐる回るから、役者さんたちは大変だったかもしれない。
動く歩道状態でその場に留まるところとか。
いつも配信だったけど、今回は現地に行ってよかった。
役者さんの細かな表情はわからなくても、遠目から全体を眺めることに価値があったと思う。

昨今の事情で開演時間が前倒しになったものの、空席は意外と少なかった印象。
「密」を意識する人はちょっと気になるかもしれない。
消毒液はあちこちにあり、場内は会話を控えるようにアナウンスされる。
トイレは一方通行で、流れは早い。
終了後は席の列単位で退場の案内がなされた。
舞台上の役者陣はマウスシールドをしていたようだけど、照明の光が反射しなければそんなに目立たなく思った。(少なくとも中程の席からは)
感染対策を取りつつ上演してもらえたことにただただ感謝。
科白劇という形式を取った綺伝改変のときとはまた状況が変わってしまったけれど、今後もなんとか続いてほしい。
とりあえず私にできることは、2週間後まで元気で過ごすことくらいしかない。
無事に正しく生き延びて、夏の陣を見にゆかねば。


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