何者にもなれなかった私と学芸員資格

「一応学芸員資格は持ってるんですけどね~、それだけなので」
そんなことを時々、雑談の中で言ったりする。たいてい苦笑いで。
こんな言い方になるのはもちろん、資格を活かしているわけではないからだ。
こういう人はそれなりにいるのではないか。

先日、オンラインのシンポジウム「今後の博物館制度を考える〜博物館法改正を見据えて〜」にて、たくさんのお話をお聞きした。
その後のTwitterでは、視聴していた人からも視聴しなかった人からもいろいろな意見が出ていて、追える範囲で目を通しながら浮かんだのは、冒頭の言葉だ。

私は研究者でも実務従事者でもなく、個人の会員として日本展示学会には入っているけれど結局これは趣味の範囲だ。
熱心に業界の最新情報を追っているというと、また微妙なところ。わりと重要なことを逃しがちである。
今は目についた展覧会に足を運んだり、ときどきライター業の傍ら、展示機能を持った施設のスタッフをやったりする「展示が好きな人」としか、自分を表すことができない。
現在ライター業の自己紹介でたまに使っている「何者にもなれなかった」という言葉も、その延長にある。

これは、そんな人間による自省文の羅列だ。
自分の履歴を振り返ってみると、シンポジウムの視聴者や関心を持った人の中ではかなりマイノリティと思われるし、実際誰かの心を打つようなことは何も言っていない。
本当に、ただただ「ぼーっと生きてるな、自分」と再認識するためだけの記事である。

読み飛ばしても問題ない、筆者の迷走歴

思えば、小さい頃から私は落ち着きのない子だった。
興味がすぐにあっちこっち逸れて、思考は常にぐちゃぐちゃ。
夢中になると我に返るまでひたすら突き進む傾向にはあるが、やり遂げたものより挫折したもののほうがおそらく多い。
今でも頭ゆるふわ族から脱却できない私だが、大学生まではもっと脳がふわふわしていた。物心がついたのは20代になってからではないかと、時折自分を疑うほどだ。

今でこそミュージアム大好きな私だが、幼いころから親と博物館美術館通いをしていたかといえばそうでもない。
むしろ図書館やプラネタリウムによく連れていかれた。
星座の本を買ってもらい、一時期は星の名前などを諳んじたものだったが、その流れで最終的に興味を持ったのが地学でも宇宙工学でもなくギリシャ神話。そう、私は天文少女でなく人文少女だったのだ。
ただし、ギリシャ神話ひとすじでもなく、その後も歴史を中心にいろいろなことに興味を持ちつつ、深くは考えず、ふんわりと成長してしまった。
学校の勉強はそれなりに怠けたりしながらも大学受験を経て、私は人文学の道に進み、学芸員課程に興味を持った。

学芸員課程のスタートは3年次だが、2年次に志望者の面接やレポート提出といった選抜がある。
頭ゆるふわ族の私でも2年生になるとさすがに「あまりにも何もやってなかったら、やっぱり落とされるかな~」と危機感は持つようになった。
そこで、地元の美術館にて、来館者との対話やワークショップのお手伝いをするボランティア活動に参加した。
これが自分でもびっくりするほど楽しくて、毎年うきうきと通い詰めた。
そのうち、来館者むけのパンフレット製作やワークショップの企画運営にも参加させてもらえるようになった。
一応私は美術分野の学芸員資格を取るつもりでいたが、4年生になると美術よりも教育普及のことで頭がいっぱいになるほどだった。
私の人生はだいたいこういう雰囲気で進む。

さて、私の代ではすでに、学芸員としての就職は非常に難しいと言われていた。それでも大学の学芸員課程は、博物館好きを増やすことにはつながっているとも。
私もその言には納得したし、卒業後は会社員になるつもりだった。ちょっとだけ、大学院で学ぶ憧れはあったけれども。
まだギリギリ、本当にギリギリ、売り手市場と言われていた世代だった。
そもそも私は子どものころから本が好きで、昔から出版社に入ることに憧れていた。そして出版社に就職が決まり、在学中からその会社でのアルバイトを始めた。
そんな大学4年生の私の脳内では、

博物館実習とボランティア活動≧就職先でのアルバイト>卒論

という序列ができていた。
卒論の優先度が低い、低すぎる。これがのちのち自分の首を絞める。

学部卒業後は単なるミュージアム好きの会社員として過ごしていたが、出版社を退職することになったとき、ふと思いつきで展示施設で働ける仕事を探したのが転機となった。
学芸員として雇用されることや分野にこだわらなければ、展示やワークショップに関われる仕事は意外とたくさんあった。

現在の私はフリーランスのライターをしつつ、時折文化庁のこういうリストには載っていないような施設中心に、スタッフとして展示物の解説や来館者の応対をしている。
家に引きこもって文章を書いてばかりの生活を送っていたところ、久々にインタビューに臨んだら全然口が回らなかったことがあった。
そこで適度に人と接しなければと思い、どうせならと展示機能を持った施設でお客様と接する仕事ばかり選んでいる。
ちなみに、事務のお手伝いで潜り込んだ館もあったが、そこで主に得たのは私にまっとうな事務職としての適正がないという悲しい現実だった。来館者と接点がある立ち位置が好きなことも、そこで知ったけど。職場としては素晴らしい館だった。

学芸員資格があってもなくても

複数の施設に出入りしてみたが、ここではまとめて「展示機能を持った施設」と呼ぶことにする。
というのも私が仕事で関わったことのある施設は、博物館の機能として挙げられる
・収集保存
・調査研究
・展示公開
・教育普及
をきちんと満たしているか(特に「収集保存」)判断が難しかったり、業務上学芸員資格が必須でもなかったり、実際上記のリストには載っていなかったりしたので、とりあえず。(ボランティアしていた館は載っている)
学生時代の私、収蔵庫とか大好きだったのにな。

私が覗き見してきたのは多くの人が思う博物館の世界ではないかもしれないが、学んだのは「学芸員資格を持たなくても、展示機能を持つ施設に所属して学芸員らしい仕事をしている人なら、学生時代の私が思っていた以上にたくさんいる」ということだ。
頭の悪い言い方を交えると、バリバリ展示とか教育普及とかを担当していて、調査もバリバリで、私からすれば「ふわぁ、すごいな~、めっちゃ有能だな~」と憧れるけど、資格は持っていないという人もちらほらいた。(それはキュレーター、それはエデュケーターとか、そういう話はいったん置いておいて)
なお、この間ずっと、私の学芸員資格の証書は部屋の片隅で眠っている。フォルダーを開いてみないと生きているか死んでいるのかわからないし、今のところ開ける予定はない。
そういうわけで私はつい、実務経験・実績というものに目がいってしまう。
あと、「登録博物館どころか博物館相当施設でもないけど、私にとってここは立派な館だし」と思う場所も多々あるので、かつて勉強したことといろいろ一致しないなと感じたりも。

見直し後の世界の境界線

そんな私が「あ、その日なら参加できそう~。こういうの久々だな~」とふんわり気分で視聴を申し込んだのが先日のシンポジウム。こんなゆるふわで参加して申し訳ない。
登録博物館制度や学芸員資格の見直しについて語られたわけだが、正直に白状すると博物館関係者(当事者)ではない身の上に加えて、特に最近は勉強サボってたので、強く問題意識を持ったり自分の見解をきちんと提言したりする段階には至れなかった。
そもそも、私がもう制度の当事者になる機会はきっとない。
言ってしまえば私が持っているのは資格だけで、修士以上の学歴も研究成果も実務経験も、何もかもない。ついでにいうと、所属する組織も今はない。

代わりに考えたのが友人知人のことで。
学芸員の資格を持って学芸員という肩書で働いている人でも、その職場は登録博物館、博物館相当施設、類似施設などさまざまだ。
学歴だって、院卒もいれば、学部卒でストレートに学芸員として就職した人もいるし、雇用形態も人それぞれ。
先述の人たちも含めるとどこまでもグラデーションが広がって、「ここに新しい線引いたらどうなるのか」「認定ってなんだろう」「区分ってなんだろう」「本当にこれが見直しになるのか」「どれだけの人が境界線の中に入れるのか」とひたすら考えるだけで終わってしまった。
とりあえず、私が境界線の外側にいることだけは確かなんだろうけれども。
博物館好きを自称して、あちこちをふらふらしている一般市民としては、見直し後の世界を鮮明に思い描けなかった。

私の場合は、「博物館好きっていうけど、『博物館』の定義をちゃんと認識しているのか」というそもそも論から始めなければならない気がする。
正直、あまり堅く考えないで、「展示が好き~、ワークショップが好き~、来館者がいる空間が好き~」と気楽に言いたい。
他に望むとすれば、今後資格を取る若者のためにも、「学芸員は基本忙しい」「就職を希望する有資格者がたくさんいるのに枠が少ない」というふたつの当たり前が長らく共存している現状は変えてほしいな、と。あと待遇も。

たまに、「私は『博物館好き』と自称しているけど、振り上げた拳を下ろすタイミングを失ったように、ただそう言い続けているだけではないか」と感じることがある。
でも、10年以上あちこちの館に行って(逃す展示も多いけど)、たまに末端で働いて展示解説や来館者との交流を楽しんだりしているので、今回取り上げられた問題の当事者にはなれなかったとしても「博物館好き」にはなれたんじゃないかと思いたい。当初私が大学で言われたとおり。
資格の見直しは必要だと感じるし、特に熱意のある若年層が報われたら嬉しい。
ぜいたくを言えば、見直し後の世界の端っこにほんの少しだけ、資格を持っているだけの「博物館好き」がいてもいい場所があれば嬉しいなと思う。

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