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多様性を考える【キャリコンサロン編集部】

毎週決まったお題について何か書くという、キャリコンサロン編集部の活動。

今週のお題は「多様性」についてです。

このお題、実は以前にも出ていて、そのとき私は、人は一人ひとり本当に違うということ、一人として同じ人はいないということ、みんな違ってみんないい、そんなことを中心に書きました。

ですから、今日はちょっと視点を変えてみたいと思います。

多様性は確かにある。それを尊重しなくてはいけないのも事実。

でもね、人間には多様性と逆の部分もあるんじゃないかとも思うのです。

「多様性」の対義語は、「画一性」とのこと。

皆、同じであるということですね。

ふと思ったんですよね。

「人それぞれ」っていう言い方。

確かにそのとおりなんだけど、それを言ったらあらゆることでそれが結論になっちゃって、話が終わってしまう感じ。

でも人には決してそうじゃない部分があるんじゃないかと。

例えば、映画や音楽がヒットするということがありますよね。

ヒットするということは、多くの人が同じように「この映画はいい!」「この音楽が好き!」ということが発生したということ。

人の感性が本当に「人それぞれ」だったら、多くの人がこぞって良いと思うものが生まれるはずがない。

また、私のような仕事(キャリアコンサルタント)では、相談者に「共感」することが大事ですが、これも本当に「人それぞれ」だったら、共感もできなくなる。
同じ経験をしたら同じように感じる。
という、人として同じ感性を持っているからこそ、共感できるわけです。

この世には、「人それぞれ」ということはあるけれど、それと同時に、
「皆おなじ」ということも存在しているのは間違いない。


「集合的無意識」という考えがありますよね。
ユングでしたっけ?

デジタル大辞泉によれば、「集合的無意識」とは、

「個人の経験による無意識より深く、同じ種族や民族あるいは人類などに共通して伝えられている無意識。」

とのこと。

この「集合的無意識」があるから、多くの人が同じものに感動したり、共感し合ったりすることができるのではないでしょうか。

「人類皆兄弟」という言葉もありますが、世の中は、多様性を尊重する、つまり「人それぞれ」だけでは、人と人との繋がりやまとまりを生み出すことはできない。

「多様性」と「画一性」の対極する双方が必要、いや必要というより、そもそもその両方が人間には備わっているので、その両方を理解して尊重することが必要なのではないかな? と思ったりしました。


今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました!

私が参加させていただいているキャリコンサロンはこちらです。

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