見出し画像

昔話(タイムトラベル)は楽し。大阪でクソ雑魚漫才師だったころの思い出

今から16~17年前、クソ雑魚漫才師だった私は大阪を中心に活動していた。
コンビ名は「ポールポジション」。
名前だけがエンジン全開で先頭を走っている。
そのころの私たちの主戦場は「ワッハ上方」という「なんばグランド花月」の真向かいに位置する、劇場兼お笑い博物館のような場所だった。
上方演芸の聖地とも言える、難波千日前。
そこで月に数回開催されるライブに、同い年の相方と出演していたのである。

クソ無名漫才師の私たちに楽屋などという快適空間があるはずもなく、出番前は閉館後の展覧スペースでネタ合わせをしたり、ウロチョロしたりしていた。
ハタチそこそこの若造とはいえ、大の大人が落ち着きなく歩き回る光景は、はたから見れば滑稽であっただろう。
だが、仕方がない。
閉館後の博物館ほど、静かなのに落ち着かない場所もない。
懐かしすぎる喩えで恐縮だが「みんなのうた」の『メトロポリタンミュージアム』を思い出してほしい。
私はあの歌に「ひんやりとしていて、悪意がないのにどこか不気味」なイメージを持つ。

ウロチョロする大人たちのなかでも特に滑稽だったのは、"戦闘服"に身を包んだ「R藤本とぴっかり高木」さんだろう。
R藤本さんは"下ネタ満載のジャムおじさんネタ"をやめてぴっかりさんと組み、ドラゴンボールものまねを始めたころ。
ベジータはじめたての彼は、「中田ダイマル・ラケット」師匠のステージ衣装が入ったケースの前で、小声でネタ合わせをしていたのである。
乱暴で威勢のいいセリフを、暗がりで遠慮がちに吐くベジータとナッパ。
もはやこのような光景を目にすることも珍しいだろう。懐かしくて貴重なクソ小粒漫才師時代の思い出の一部である。

「THE SECOND」決勝に「ななまがり」さんが出られると耳にした。
彼らも同じライブに出ていたので、ふと思い出した次第である。
当時から異質の才能を見せていた彼らに一度も順位で勝てなかったクソミソ漫才師の私だが、同じく「暗がりの小声ネタ合わせ空間」を過ごせた。
昔話をするのはなんだか悔しいのであまりしたくないのだが、とはいえ楽しくもある。
ひんやりと明かりの消えた、博物館の思い出話。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?