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第6号 減電暮らし・城戸口家

 「ある家族が電気を引かずに生活している、節約だとかそういう次元ではない、最先端の暮らしなんだ」そんな話を複数人から立て続けに聞いたことが始まりだった。果たして、この現代で電気を引かずに暮らせるのだろうか?冷蔵庫に照明、通信手段など生活や仕事に最低限必要なものは数え上げればキリがない様に思える。そして、そのほとんど全てに電気が使われていること。それ以外の方法は、とても困難で手間がかかるのではないか、と様々な疑問が積もる。そんな電気を引かない暮らしを送る大工・城戸口徹さんの仕事ぶりを撮影する依頼が入った。渡りに船とはこのことだと大工仕事の撮影時に、徹さんの暮らしも撮影したい旨を伝えると快い返事をもらえた。百聞は一見に如かず、気になって仕方がない電気をなるべく使わない「減電暮らし」を取材させていただいた。大工仕事の方は電子版の第2号で特集しているので、詳しくはそちらをご覧いただきたい。

・真昼の城戸口家

 初めて城戸口家を訪問した日は、冬晴れた日曜日の昼間であった。私の住む民宿から車で15分ほど山道を登っていくと城戸口家のある木場地区に着く。住居は事前に聞いていた通りの長閑な古民家という印象だ。

 子山羊や烏骨鶏をはじめとした数種類の鶏達が軒先を闊歩している。家の前にある畑では季節の野菜を育てているそうだ。徹さんは奥さんと4歳の長女ちゃん、1歳6ヶ月になる長男くんの四人家族。自給自足を目指した田舎暮らしのお手本にも見える一家の姿がそこにはあった。

 居間にある薪ストーブの暖かさに驚かされた、室内を暖めるだけでなくスープの保温も出来る多用な器具だ。台所には、小型のガスボンベから引いている業務用のガスコンロとカセットコンロを使用。奥の方には竃(かまど)も見える。こちらの竃では羽釜でご飯を炊いたり、湯を沸かしたりするそうだ。米を炊くといえば、電子ジャーと遠い昔の記憶にあるキャンプの時に使った飯盒炊きの経験しかない私には、何をどうしたら良いのか皆目見当がつかない。

・夜の城戸口家

 昼間に訪れた際は快晴であった為、明るい外光が沢山入る古民家に見えたが、近くに外灯もない山奥にある家の夜をどう過ごしているのだろうと、その日の夜にまた城戸口家へお邪魔させていただく。室内を照らしている光源は、なんと蝋燭だった。しかも、その蝋燭は徹さんと奥さんで蜜蝋(みつろう)を使い手作りしたものだというのだから二度驚くこととなる。

 来客時には5本の蝋燭を立て、普段は3本の蝋燭で夜を過ごしているそうだ。夜が更けていくにつれ本数も減らしていく。可変式の特殊な形状の燭台は平たい場所だけでなく、壁に掛けることも可能である。ぐるっとスムーズに形を変えてくれるこの燭台は、家の中を移動する際には持ち歩き、明かりが必要な場所を照らしてくれる。勝手知ったる家の中であれば、この灯りで充分に事足りる様を目撃してしまった。

 この暮らしを始めた頃は、結婚式場などで使われたパラフィンの再利用蝋燭を使っていたのだが、蜜蝋の方が暖かみや安らぎ方が段違いだそうだ。夜の古民家に蝋燭だけでは流石に暗いなと感じていたが、時間が経つにつれて目が慣れる為か、随分と室内が明るく見えていることに気がつく。薪ストーブで焼かれた芋を頬張りながら、蜜蝋の蝋燭独特の吸い込まれる様な柔らかく暖かい火をずっと見つめてしまう。

・蜜蝋燭作り

 同じ地区に住む利点を発揮し、月に一度行われる蝋燭作りも取材することができた。蜜蝋とは、養蜂でハチミツを抽出した際に残る副産物のことで、働き蜂より分泌される蝋成分と様々な蜂由来のものが固まりあったものを指す。原料となる蜜蝋は天草の養蜂家から購入しているそうだ。城戸口家の灯りとなる蝋燭作りは、固めた蜜蝋を斧や鉈を使い細かく砕くことから始まる。

 砕いた蜜蝋を熱し、固形から粘度がうっすらと残る液体にする。同じ長さに揃えられたタコ糸の束と、小さな物干し台の様な道具が登場した。液状になった蝋の中に、Uの字に曲げられたタコ糸の両端を浸す。引き上げるとタコ糸に蝋が付着する。この作業を何度も繰り返して蜜蝋の蝋燭は作られる。

 夏は固まりにくく、冬は固まり易くなる為、春や秋の方が作業としての効率はよい。塊を割る作業から、2〜3時間ほどかけて家庭で使うひと月分の蝋燭と販売用のものができるそうだ。

 仕上げに燭台用の穴を開けて完成。2人で作業した方が効率はいいのだが、徹さんの仕事の都合次第では、奥さん一人で作業することも多く、この蜜蝋作りでは場数をこなした奥さんの方が一枚上手とのこと。一本の蝋燭は季節によって差異はあるものの、おおよそ3時間ほどで燃え尽きる。どうして、所謂普通の照明器具や家電製品といったものを使わないのかと質問すると、理由やきっかけは幾つかあるが、そのひとつに、電気を使う機械や照明の動作音がなくなると、現代の暮らしで得られる感覚とは違うものを感じるようになるという。本当の意味での、ノイズなしの「自然」と「生活の音」のみを聞いて暮らしていると様々なインスピレーションが湧いてくるそうだ。大工仕事や生活のなかでの発想にとてもよい作用となっていて、その感覚を大切にしたいから、こういった暮らしを送っているのだと聞かせてもらった。

・保存食

 気になっていることのひとつに食料品の保存がある。電気を引いていない城戸口家のコンセントには、プラグを差しても当然通電しない。冷蔵庫は勿論使用できないので、その日に使いきれる分の肉や野菜を都度購入する。イノシシの干し肉や大根、筍、牛蒡などの野菜の瓶詰や乾燥させたものが真空パックされている。家の前にある畑で収穫した野菜に鶏達が産んだ卵などもあり、食材を購入せず保存しているものや栽培しているものだけで豊富なラインナップとなっている。

・「減電暮らし」のきっかけ

 電気を極力使わない暮らしを送ろうという思いが固まったのは徹さんが22歳の時に起きた「9.11 同時多発テロ」のニュースをリアルタイムで見てからだそうだ。どんな災害や事件が起きても揺るがず、生き抜ける暮らしを送ることが出来るようにしていきたいと考えるようになる。東日本大震災後もそういった思いは更に強くなり、東北・山形に住んでいた城戸口さん一家は北海道・ニセコへと移住する。ニセコに暮らしている時は、使用こそ抑えてはいるが、一般的な電気のある暮らしを送っていた。本格的に家族で電気を極力使わない暮らしを始めたのは、ここ天草に居を移してからのこと。現代生活では電気を使いすぎていると感じ、電気をなるべく使わずに暮らすことができるということを示したいと思い、この生活を本格始動させた。基本的なことで電気に頼らないという暮らし方は、災害などの非常事態にも柔軟に対応することができる。

 しかし、全く電気を使わないという縛り方をしている訳ではない。その例のひとつに、蝋燭の補助灯として太陽光で充電するスタンド式のLEDライトの併用がある。ここで初めて電化製品と呼べるものが登場した。主に料理をする際に使用し、夜間に火があると危険が及ぶ恐れがある場面では、このライトが活躍する。この日の晩の献立は「根菜とじゃこのかき揚げ」であった。揚げ物をする際に蝋燭だと不測の事態が発生するかもしれない。理にかなった使い分け方だ。電化製品といえばそうなのだが、自家発電タイプなので発電所由来の電気ではない。電気のない暮らしを送っていると聞けば誰もが大変だろうと口を揃えていうそうだが、苦労だとか特別な不便さというものは城戸口家からは感じられない。

・「子育て」と「減電暮らし」について

 夏が過ぎた秋間近の夜に城戸口家を再度訪ねた。少し成長した長男くんの動きが活発になっている。最初の訪問時には赤ちゃんで抱っこされているばかりだったが、この時は様々なものに興味があるようで、私の持つ三脚をしきりに触りに来ていた。火の灯った燭台も例外ではなく、触れようとはするのだが、ひっくり返すというわけでもなく、発せられる熱をしっかりと指先や手のひらで感じているように思えた。暮らしの中に火の存在が身近にある幼い姉弟は、どんな感覚を持つのだろう。蝋燭での暮らしも二年半ほど送っているそうだが、これまで火傷や怪我などの出来事には見舞われてはいないとのこと。

 晩御飯の後には、歯を磨いて寝室に蚊帳を張り、その中に布団を敷くといった、眠りへの支度が始まった。さあ眠ろうかという時に、長女ちゃんが「日本昔話が見たい」と言い出した。特別な願いを聞く風でもなく、徹さんはノート型PCの電源を入れてDVDを再生し始めた。ひとつの話が終わっても、長女ちゃんはまだ寝付けないようだ。「次で最後だよ、これを見たら寝ようね」と徹さんの優しい声が聞こえる。ふたつ目の話が佳境に入る頃に、ようやく眠ったようだ。

 少し意外に思い、子ども達が寝付いた後、城戸口夫妻にPCとDVDについて質問すると「普段は絵本の読み聞かせや手作りの楽器を使う遊びが主です。週に三日くらいですが、眠る前にDVDなどアニメーションといった映像を子ども達に見せる日にしています」と返ってきた。PCの充電は自宅とは別の地域に構えている事務所で行う、減電暮らしは現在のところ自宅で過ごす間に限られているようだ。大工道具も電動ノコギリやインパクトといった電気が動力の道具を仕事の内容によっては、勿論使用するので事務所には電気を引いて充電している。ほぼどんな仕事でも、欠かすことのできない通信手段は携帯電話を使い、情報収集は調べたいことがある時にタブレットを使用する。そのどちらの電子機器も車のシガーソケットから充電しているそうだ。

 聞けば、完全に電気を使わない暮らしを徹さんは20代の半ばに山形の山奥で約2年ほど独りで実践していた。徹さんは「電気を使うことや発電自体を否定しているわけではありません。むしろ、火力発電などの方法は有難いと思っています。僕自身、電気を物凄く使う暮らしを送っていた時もあるし、どちらにもいいところがあるので、それらを尊重し肯定していきたいです。大人ならば、自ら選んで電気を使わない生活を送ることもいいとは思いますが、子どもを親がしたいからと選んだ暮らしに無理に付き合わせるのではなく、子ども達にはどちらの暮らしを送りたいか、分別がつく年齢になったら子ども達自身に選択してもらいたいと考えています」といっていた。

 正直、今の世間では一般的だとはいえないこの環境で育っていく姉弟はどんな大人になるのだろうかという勝手な思いはあったが、この考えを聞いてから色々と疑問であったことは霧散し、撮影させて欲しいと不躾に頼んだ際、好奇だけの眼差しでいたことが、とても恥ずかしくなってしまった。「大工の仕事」や「子育て」そして「減電暮らし」といった様々な思いや現実、理想が重なり合っている、城戸口夫妻が今一番大切に考えていきたいことは「子育て」であると教えてもらった。城戸口夫妻は普通の人々よりも、ずっと幅の広い選択肢と経験、そして強い意志を持っているのだと確信する。

 城戸口家が電気を極力使わない暮らしを送る理由、実状や表層だったりと断片的ではあるが、随分と知り考えることのきっかけができた。私自身は日常の生活はいうまでもなく、更にデジタルカメラとPCを使用して写真を撮っているので、電気がない暮らしなどは到底考えることはできない。そんな電気や機器にまみれた私だが、蝋燭の灯りを見つめ、自然の音だけに包まれて過ごすという、驚くほどに居心地のよい夜を、自身の生活サイクルの中に偶には取り入れてみてもいいのではないかと思うようになっている。城戸口家の暮らしを目の当たりにし、本当の豊かさとは何なのか、更にわからなくなってしまった。その答えは結局すぐに出せやしないのだが、静かで暖かな光を見つめているだけで時間を忘れてしまう。あの夜の感覚は一生忘れることができないだろう。

写真・文 / 錦戸 俊康

※こちらの特集記事は2017年10月15日に発行した
『天草生活原色図鑑 電子版』の再構成記事です。

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