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僕を救った1人の英雄

僕は子供の頃からの夢だったマンガ家になるために15歳からマンガを描き始め19歳で上京した。僕なりに必死に努力をし、21歳で念願のプロデビューを果たした。そしてマンガ家として活躍するために今まで以上に努力をしたのだが…その努力の仕方は明らかに無茶苦茶で数年後には重度のうつ病になってしまった。

では何でそんな無茶な努力をしたのだろうか?

マンガ家になるまでは漠然と「マンガ家になりたいから!」だったが、なった後はと言えばこれまた漠然と「単行本をいっぱい出してヒットしてアニメ化もしてバンバン稼いで忙しい毎日を送りアシスタントたちをビシバシ鍛えて高いマンションに住んで僕のマンガを新人たちが真似するようになる…」みたいな、一言にすると「成功したかったから」だ。

別に特別珍しい目標ではなく、とーっても分かりやすい「成功」だと思う。マンガ業界特有の表現を無くし、ストレートに「業界で大活躍してめっちゃ稼いで良いとこに暮らして周りから尊敬される」と言えばマンガ家じゃなくても想像がつくと思う。普通に誰でも考えそうな、いわゆる「成功」だ。

別にこの「成功」に何の問題もないし、皮肉でも何でもなく高い向上心を持ち野心を持ち熱を持って業界の高みを目指すのは凄いことだと思う。何となくそういう成功に憧れつつも実際には行動を起こせない人がほとんどだろうし、自分なりの100点を目指してストイックに努力できることが既に1つの才能だとさえ思う。

僕も「成功」を目指して自分なりに頑張った。6年間丸1日の休日を作らず1日15〜16時間労働を基本とし、病気と診断される直前の1ヶ月くらいはトイレや調理時間込みで休憩を1日1時間以内にし病院の待合室などの隙間時間には脚本のノウハウ本などを読んでいた。

この話をすると張り合う奴も何人かいたがよく話を聞いてみると実際にはここまでやっていない。これ以上をリアルでは誰も知らない。

もちろん結果としてうつ病になって死にかけた以上僕のこのやり方が間違っていたのは確かだが、それでも自分なりに当時出来る最大限をやったのは間違いない。間違った結果を反省はしているし後悔もしているが恥じてはいない。

では何でこんな風にしてまで「成功」したかったのか?

実はその理由を僕は知らなかった。ずっと自分では「成功」を追うのが正しくて、そしてその「成功」は自分が心から求めているものだと思っていた。なのに「成功」したい理由を僕は知らなかった。…というより、そもそも理由を知らないことにさえ気づいていなかった。

けどある日突然、僕はその理由に気づいた。

理由はたった1つ。周りを見下したかったから。

生きていれば気に食わない奴なんていくらでも出てくる。家族だってクラスメイトだって同業者だって目上の存在にだっていくらでもいる。僕はそういう人たちを見下したかった。そいつらが欲しくても手に入れられない「成功」を手にし、そいつらを黙らせたかった。ただそれだけだった。

その反骨心(と言えば聞こえはいいかな)のようなものが強いモチベーションとなり、そのためにどこまでも頑張れる人もいるだろう。周りを黙らせるためだけにのし上がる人もいるんだろう。その人たちはそれでいい。

でも僕は自分の理由がそれだけだと気づいたとき、ただただ虚しいだけだった。僕が目指した「成功」はただ周りが物欲しそうに見ているから手にしたかっただけで、実際には僕にとって価値のあるものではなかった。

形はどうあれ、僕は人生の舵を他人に握らせていたのだと分かったのだった。忘れもしない5年前の11月中旬に。

かなり長い前置きになったが、この5年前の11月中旬にタイトルの「英雄」が現れた。人によってはこの先が寒いネタに見えるかもしれない。でもこれは真面目なエピソードで、僕にとってこの英雄との出会いは本当に衝撃だった。

僕はウィンドブレーカーを着ながら外を歩いていた。その歩道の反対車線にはある男が歩いていた。

その人はかなり太っており11月中旬なのに汗をかきながらTシャツ1枚で歩いていた。無精ヒゲで増えるワカメみたいな髪の毛をして機能だけを考えたであろうダサいデカいメガネをかけ、Tシャツはよく分からん英語がいっぱいでダボダボのあちこち擦り切れたジーパンを履き、靴は田舎のスーパーに売ってそうな安っぽいスニーカーで多分1回も洗わずに何年も履いているんだろうな…という、僕の価値観では「ダセェ人」そのものだった。

失礼極まりないが僕はその人を「うわぁ…」という目で見ていた。だがそんな目も知らずその人は500mlのコカ・コーラのフタを開け、歩きながら飲み始めた。思いっきり顔を上げ地面に対して垂直になるくらいにコーラを傾け(立て?)ゴクゴク飲んでいた。そしてプハッと口から離し顔を下ろした。

そのときの顔が物凄く幸せそうだった。僕はその幸せそうな顔に衝撃を受けその場で固まった。その場でジーッと見つめる僕と目が合うも、その人は構わずコーラをまた垂直に飲みそのまま歩いていった。

呆然としながら僕は「僕はたった100円のコーラであんな幸せな顔が出来るのだろうか?僕は若いうちにプロデビューしようが初連載でオリジナル(原作がないという意味)の単行本を出したが、あんな顔は出来なかった。僕は少しは羨ましがられるものを手にしたけど幸せなんか感じちゃいない。でもあのコーラデブはコーラ一本で幸せなんだ…。」と、敗北感を勝手に味わっていた。

そして「幸せって端から見てどうとかじゃないんじゃないか?」と何か大切なことに気づいた。

「僕の幸せって何なんだろう?」初めてそんなことを考えた。ひたすら考えて、気づいた。

「あぁ、僕は周りを黙らせることしか考えていなかった。コーラデブさんはコーラで幸せになるときに僕のことなんか少しも考えていなかったろうけど、僕は常に周りばかりを見ていたんだ。周りが求める成功像が違っていたら、僕は今の成功なんて追っていなかったんだ。」

とにかく虚しかったけど、周りがどうだとかは関係ない「僕の幸せ」を探そうと決意した。いざ決意すると、高いマンションも高級車も豪勢なディナーも高級腕時計も活躍してチヤホヤされることも羨望の眼差しも豪華な仕事場もメガトン級の金も別に求めていないんだと良く分かった。大理石の床より畳でゴロゴロしたいし、チヤホヤされたってされる前と後で何かが物理的に変化したりするわけじゃないし。

もしコーラデブさんと出会っていなければ僕は今も無茶苦茶な間違った努力をしていたかもしれない。中途半端に結果を出しては周りを見下し、それを繰り返すだけの虚しい人生になっていたかもしれない。

今もコーラデブさんはコーラを飲んでいるんだろうか?またあの顔をしているのだろうか?あなたはただ好きにコーラを飲んでいただけだけど、あなたは一人の若者を救いました。誰がなんと言おうがあなたの社会的なステータスがどうだろうが、あなたは僕の英雄です。ありがとう。

※コーラデブはうちの夫婦にとっては敬称です。

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