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自分を知る方法

「自分の手を紙に描いてください。」と言われたらあなたはどうやって描くだろう?

多分利き手でペンを持ち、反対の手を眺めながら紙に手を描いていくだろう。けど他にも方法はある。利き手と反対の手を紙に置き、その手をペンでなぞるという方法だ。

どちらが優れた方法か、という話じゃない。どちらも正しい方法だ。

何が言いたいかを話す前に、脇道にそれる。

「あなたは自分を知っていますか?」と聞かれたら、あなたはどう思うだろう?何が好き?何が嫌い?何がしたい?どうなりたい?何を得たい?何が幸せ?…と聞かれたときに出てくる答えは、本当に本当にあなたの本心なんだろうか?

自分では好きだと思っていたのに実はそうでもなかったと後で気づいた。自分では好きだという自覚はあまり無かったが何だかんだでずっとやってるし、結局は好きってことなんだと気づいた。…みたいな経験は誰でもあると思う。

そう。意外と自分は自分を知らない。

子供の頃は家族が世界のほぼ全て。親が法であり親の思考が正義だった。学校に通うようになれば学校では先生が法になり正義になる。小さければ小さいほど現実的に子供は大人に逆らえないし、納得がいかなくても子供なりに(いや、先入観がないぶん本質をついているかもしれない)理不尽を感じても周りの大人の顔色を伺い従うしかない場面は、個人差はあれど無数にある。

そんなことを繰り返し、自分の本心なんかガン無視した『周りの大人に褒められる対応』をインストールし続ければ自分が分からなくなるのも自然な流れだろう。元が個性的なソフトでいっぱいのパソコンも、その個性的なソフトをアンインストールし普通のソフトだけをインストールし続ければ結局普通のパソコンでしかなくなるように。

「将来の夢は?」
『プロ野球選手!』
「何を馬鹿なことを言ってるんだ」
「将来の夢は?」
『…特にない』
「最近の子供は夢が無いな」
「将来の夢は?」
『…生活できれば何でもいい』
「目標が低い」
「将来の夢は?」
『…○○大学(そこそこの偏差値)を出て△△(そこそこウケが良さそうな職種)に就職する』
「ちゃんと将来のことを考えていて偉い!」

おそらくテレビで紹介されるような仕事以外あんまり知らないであろう子供に将来の夢を聞くことも、ましてその子供が大人になる5年後や10年後にどんな仕事が存在するかなんて知る由もない今の大人が今の自分の常識だけを根拠にダメ出しすること自体が意味不明だが、こんな応対を無数に繰り返せば自分が本心からしたいことなんて自分でも分からなくなるのは当然の流れだろう。

だからこそ、自分を改めて知る必要があると僕は思う。自分が何をしたいのか、自分の根源的な欲求は何なのかを知るために。自分の周りのごく一部の他人が勝手に描いた幸せをただ追うだけの、一見何となく違いがあるようで実はそこに個なんて存在しない、人生ゲームのコマのような人生にならないために。

「自分の手を紙に描いてください。」

自分の手を正確に描くには、手を見ながら描く方法もあれば自分の手をなぞる方法もある。

自分を見つめることで自分を知ることができる。自分をひたすら見つめ続け、醜さやつまらなさにも向き合い、自問自答を繰り返すことで見える自分もある。自分の手を見ながら手を描くように。

他人に触れることで見える自分もある。他人の価値観に、他人の思考に触れ、自分が無意識に当たり前だと思いこんでいた何かが実はたった1つの視点においての当たり前に過ぎないと知ることで見える自分もある。自分の手を紙に乗せペンでなぞることで手を描くように。

自分を見つめるなら見栄も周りの目も他人との比較も抜きにひたすら自分だけを見つめるべきだ。よそ見しながら自分の手を描けないように。

他人に触れるなら自分の常識とはかけ離れた狂人に触れるべきだ。より濃く太いペンでなぞる方が自分の手がハッキリするように。

今日は自分を見つめただろうか?自分をなぞるペンに触れただろうか?

僕は僕を知りたい。

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