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母の13回忌に寄せて

命日はもう少し先ですが、今日は母の13回忌の法要です。

13回忌はこの世を去って満12年後、数えて13回目の命日のこと。

12年!小学生が中学生になってしまうほど長い年月!

時間の流れは恐ろしく早く、ときどき飲み込まれそうな気持ちにさえなってしまいますね。

母は「激情の人」でした

「母親への激情をただ受け入れるようになった話」でも書きましたが、母は私にとって「激情の人」です。

本人が「親に愛されず育った」と認識していた通り、毒親育ちだったんでしょう。とにかく愛されたい人。そして自分の子どもは「誰にも愛されるいい子」にしたかった人。

12年経った今なら、言えるんだけどなあ。

「お母さんの心のなかにある理想の子どもを見ないで。それは私じゃないよ。目の前にいる私をそのまま受け入れてほしかったよ」ってね。

でも13回忌にわざわざ言うことでもないとは思う。それさえすでに受け入れたことだから。

今日、私が母へ言うべきことはなんだろう?

今日は、家族にお坊さんまでマスク姿で驚くのだろうか。

(これがニューノーマルなんですよ、お母さん)

2人のおばあちゃんになったお母さん。孫たちの成長を喜んでくれているだろうか。

(おばあちゃん、なんて言われるとイヤですか?)

う~ん……ほかに報告すべきことがあるのではないだろうか……。当たり前ですが、そもそも東日本大震災も、マイルドセブンがメビウスになったことも、新型コロナウイルスの流行だって知らない母です。

私だからこそ報告できることってなんだろう?

薄れつつある記憶とともに

さて、中学生、高校生と事あるごとに母へ反発した私は、社会人になるとき、1つ心に決めていたことがありました。

それは「母と向き合っていこう」ということ。

理由は社会という土俵に立ち、本当の意味で大人になりたいと思ったから。

向き合うためにも、お母さんがガン治療をはじめたときに、私は「とても生きづらかったんだよ」と打ち明けました。当時は鬱っぽかったんじゃないかとも思う、とも。

ここから少しずつでも、歩み寄っていきたかった。それ以上、心を寄せることは叶いませんでしたが。

お母さんが亡くなってから10年ほど、いろんな思いに苦しみました。

「なぜ母が亡くならなければならかったの?」「もっとできることがあったのではないか」「愛されたかった」「わかり合いたかった」

でも10年過ぎたあたりから、不思議と「揺り戻し」のような感情に苦しむことが無くなったんです。

夫も息子も元気で、お金はないけど楽しくて、仕事にも夢中になっているからかもしれない。月日の経過も理由の1つかもしれない。なぜかはわからないけれど、私は今が楽しくて、健やかだなあと思うんです。


……あ、そうか。


今日、私が報告すべきこと。


「もう、生きづらさは感じないんだよ」と、今日はきちんと伝えよう。

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