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「でか山」について想いの丈をとことん書き散らしてみました

𝕏のほうでも書かせてもらったんですが、おらが故郷の七尾市の伝統のお祭り「青柏祭(せいはくさい)」の中止が正式に決定したようです。

この青柏祭っていうのは地元では通称として「でか山」と呼ばれていて、地元民は基本的にみんな"でか山"と呼称するんで(語源は単純に"でかい山車"ってことだと思います)、以下"でか山"と表記させていただきますが、今日はその"でか山"について書かせてもらおうと思います。

結果的にただの地元の祭りアピールみたいな記事になると思いますが、中止というのは実に無念な部分があるので遠慮なく。

この「でか山」に対しての想いの丈みたいなものはたくさんあるんですが、せっかくなんでまずは「でか山とはなんぞや」って所を書かせてもらいます。

サムネの写真でなんとなく把握していただけるとは思うんですが(Wikipediaより拝借いたしました)、とにもかくにもデカいです。

以下、同じくWikipediaから引用させていただきますが…

山車の高さ約12m、上部の開き(長さ)約13m、幅・上部約4.5m、下部(車輪間)約3.6m、車輪の直径約1.9m、幅約0.6m、総重量約20トンの舟形の山車で、山車としては日本最大級、体積・重量では日本一である。

だそうです。

車輪の大きさが成人男性の身長より大きい時点で察していただけると思いますが、「屋根より高い」っていう表現がまさにピッタリで、合計3台もあるんですが各山車に縄がついていて老若男女みんなでそれを引っ張って七尾市街地を練り歩くという感じ。

3台がそれぞれのルートを持っていて、ここぞというタイミングで集結してはまたそれぞれ散ってという工程を繰り返すんですが、大通りだけじゃなく普通に民家が立ち並ぶ生活道路的なところにも容赦なく突っ込んでいきます。(※なので過去に電柱におもいっきりぶつかったりしてる光景も多々見たことあります)

毎年ゴールデンウィークのど真ん中に3日間に渡って行われるんですが(子供の頃は13~15だった記憶)、とにもかくにもこの「でか山」は七尾市民(特に子供)で行ったことがない人は居ないと思います。

もちろん市外や県外、そして年々海外から見にこられる方も増えたりして人口の何倍もの人数がこの時期は七尾に集まってくれるんですが、やはり基本は地域住民の年に一度の一大イベントというか誇りというかもはや「血」のような存在であります。

小学校の頃は毎年必ず「でか山」が近付いてきた時期に、学校行事として「でか山集会」というのがありましたり、大袈裟でなく全員が祭り囃子の笛のメロディーも歌えたし太鼓のリズムも叩けました(少なくとも男子は)。

休み時間になるとみんな教室の机を太鼓替わりにして拳で「でか山」の太鼓をひたすら叩くなんてこともザラです。

もはやアイデンティティと言ってもいいくらいの存在かもしれません。

当然僕も幼稚園の頃からこの「でか山」には連れていってもらっていて(ハッピ着て縄引っ張ってる写真が実家に残ってる)、小学校の時は上に登ったりして(子供だけ登れる)、中学・高校あたりは「花より団子」って感じで、「でか山を曳く」という本質よりも出店のかき氷とかフランクフルトに夢中になったりはしてましたが、毎年欠かさず行ってました。

地元を離れて大阪に出てきてからも可能な時は「でか山」に行くために必ずその時期に帰ってました。

ありがたいことに仕事で忙しくさせてもらえるようになってからは、やはりゴールデンウィークは繁忙のタイミングなので全然帰れなくなり、そのあたりのスケジュールが埋まるたびに「有難い」という気持ちの反面「今年も"でか山"に行けないなぁ」という気持ちも湧いておりました(正直)。

思い起こせば大阪に出てきて専門学校に入学した初週の授業の自己紹介の時にも、自分のことよりも謎に「でか山」をアピールした記憶があります。

前に、震災とか関係なく昔からずっと出会う人出会う人に能登(七尾)アピールしてきたと書いたことがありますが、特に「なぎさドライブウェイ」の存在と「でか山」の存在は単体でインフルエンス活動に勤しんできました。
(別に誰に何を頼まれたわけでもない)


(※関連記事)


そんな我が地元のアイデンティティ「でか山」ですが、例に漏れず新型コロナの時期はガッツリ中止になります。

2020年、2021年と立て続けに中止になって、2022年はかなりの制限付きで催されたものの、昨年は4年ぶりに完全復活しました。

昨年に関してはその時期にうまいことスケジュールが空いてたのと「でか山が復活する!」ってことでやはり子供心満載で帰省して母と一緒に「でか山」に行きました(親子で「でか山」に行ったのなんて多分30年以上ぶりのことで)。

※余談ですがその帰省のタイミングでも能登で最大震度6強の地震がありました。

ずっとただただ「でか山」に対しての熱量や思い出なんかをノンストップで書き殴りまくっているだけでここまできました。

さすがにちょっと胃もたれする程度には伝わったかと思います。

今回の震災を受けてちょっと時間が経った時に家族間で「というか今年の"でか山"どうなるんかな」という会話が自然と生まれました。

5月という微妙なタイミング。

素人の無責任なただの希望的観測ですが、4月くらいまでにあちこちの道とか諸々が整備されて「復興のシンボル!」みたいな感じで"でか山"を迎えたら最高だねなんて希望を抱いていました。

多分、今回こんなことがあったから応援の意味も込めていろんなところからたくさんの人が来てくれるだろうし、そこで「でか山」を見てもらって食祭市場で刺身やら牡蠣やら食べてもらって「七尾サイコー!」みたいになってくれたらいいな〜みたいな。

ですが例年「でか山」が通るルートは特に壊滅的で、それこそ液状化が甚だしい港周辺だったり、建物の倒壊・地割れの被害が甚大な一本杉通りもその一部。

むしろ一本杉周辺の川沿いは3台が集結するメッカだったりします。


七尾市のホームページより引用


避難所にいる間はそこまでの被害状況を具体的に知る由もなかったので、なんとなく「今は1月で5月だから〜」みたいな単純な足し算・引き算の脳で希望的観測を持っていましたけど、ある時にふらっと一本杉周辺や港のほうを見た時にその被害の甚大さに、めちゃくちゃ生ぬるい観測を持っていたことを痛感しました。

でも「どうにかやれないものか」って感じで、ずっと開催に向けての一条の光を関係各位が探り続けていたのも知っているので(探るというかただ望みを抱えていたという感じかもですが)、改めて「中止」という決定を知るとなかなかにつらいものがあります。

ですが、これはもうずっと持ち続けてることですが嘆いても何にも変わらないって話ではあるので、逆にこれを盛大な前振りとして来年の「でか山」がとんでもなく盛り上がればいいな…というよりもそうすることでこの一年の無念を回収してナンボだと思います。

しかしなんせ1年3ヶ月後の話です。

これが夏とか秋くらいの話ならともかく来年の5月となると、やっぱりどうしたって今より世間の気持ちは薄くなっているのは現実としてあると思います(地元民との温度差というか)。

なので来年の4月くらいに「はいみなさんそろそろ"でか山"の時期が近づいてきましたよ!」みたいなことをきっと僕は言ってると思います。

変わり果てた一本杉や七尾港が見事な復活を遂げて、そこに「でか山」が集まる。

七尾の復活の完全体はその姿にあると思っているので、今日は実に実に前倒しのジャブ的な意味も含めて自己満全開で書いてみました。

乱文にお付き合いありがとうございます。
本当に「でか山」が好きなんだろうなと我ながら思います。

そんな感じです。



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