見出し画像

「結果論的感情」を掘り下げたら当たり前に辿り着きました

一日の終わりがどこにあるのか全然分からない時間が続いているわけで、多分世間的には19日(金)の朝なんでしょうけど、僕の中ではまだ18日(木)の延長みたいなところがあります。

何かと慌ただしくバタバタしているんですが、何をそんなバタバタしているんだと言われると"かくかくしかじか"としか言えないわけで、別にぽろっと言ってもいいっちゃいいんですがやっぱりもうちょっとあとにします。

9割ってところまではきていますが10割になって初めてちゃんとアナウンスしたいところなので、もうしばしお待ちください。

楽しいお知らせをします。

というわけでそっち(楽しいお知らせに向けての)のことに脳内ベクトルが振り切っている中、太陽が登っていることに気付いて「いかんいかん」って感じでここを書きに来ましたが、正直「何書けばいいんでしょう」状態ではあって、そういう時は過去の自分の力を少し借りることにしています。

スマホのメモアプリにはインプットメモが羅列されていて、その目的としては「noteでしっかり噛み砕いてアウトプットする」というもので、記事として書いたメモにはチェックマークが入っています。

で、今そのメモアプリを見たら未チェック(メモしたけどまだnoteに書いてないメモ)が50を優に超えてました。

ですが中にはもう1年以上も前にメモしたものとかもあって、それはその時は自分の中で何かしら感銘を受けたり掘り下げがい、噛み砕きがいがあるなと思ってメモしたんだろうけども、ちょっと時間が経って見返したら「そうでもないな」といった感じでちょっと追いやられているメモだったりします。
でも一応残しておく…みたいな。

そのメモの立場からすると実に都合の良い使われ方かもしれませんが、前述の通りこういう時は過去の自分に頼ってみようということで長らく未チェックのメモをひとつピックアップしてみます。

ですがかなり時間が経っているものもあって、正直「なんだっけこれ…」ってなる部分もあるんですが、それはそれで思い返して紐解いていく工程もまたおもしろいかもしれません。

というわけでちょっと前置きが長くなってしまいましたが、過去メモにいろいろ目を通してみると、ふわっとした雰囲気のものから何やらちょっとコアな匂いがぷんぷんするものまでいろいろ。

【▫︎グリッサンド】なんてメモもあれば(グリッサンドについて書こうとか思ったんでしょうか)、【▫︎ピアノマン西村の原材料】ってメモもあれば(自分語りがしたかったんでしょうか)、【▫︎仕事を取りに行くか、仕事を作りに行くかの違い】っていうちょっと真面目な話っぽいメモもあれば【▫︎選択の権利はあるけど操る権利はないよ?】っていう、ちょっとざわっとするテイストのものまで。

そんな中ちょっとこのタイミングで目に止まったのが【▫︎結果論的感情】と一言残されたメモ。
(あ、さっきから書いてる▫︎はチェックマークです)

なんとなく表面的にこのメモを残すきっかけとかは覚えてるんですが、自分の中での核心とか掘り下げポイントはどこだったっけな…てことをじっくりドリップしてみようかと思います。

このメモを残したのは今生のお別れ的な事があった時期で、まあやっぱりそれは悲しい出来事なので流石にいろいろ思い返したわけですが、特別親しいというほどでもないものの"袖すり合う"というほどの通りすがりでもないみたいな距離感の方との今生のお別れ。

そんな時にSNSっていうのはけっこうリアルなもので、僕の何かしらの発信に対して手厚いメッセージをリプライという形で事あるごとにくれていたんですが、それに対して僕も毎度感謝の意を込めてイイネを押させてもらっていたわけで。

それ自体は何ら普通の事なわけなのですが、その今生のお別れの事実を知った際にいろいろ思い返す中でふと今までいただいていたリプライを読み返すっていう時間があって(SNSは残るわけなので)、その時に「なんでこんなにいろいろ素敵なリプライをくれていたのに、全部ポチッとイイネをするだけで済ませてんだ俺は」みたいな感情が湧いてきたんでした。

ただ、冷静に考えたら日々の発信の中でいろんな方からいただけるいろんな言葉ひとつひとつに対して都度都度そんな気持ちで捉えていたらキリがないわけなので、そんなものは流石に究極の結果論過ぎるからそんな感情に苛まれてもしょうがないだろうと思いたいものですが、でもそれでもやっぱりその時は「こんなことになるならイイネで済まさずにもっとこちらもちゃんと言葉を紡いでお礼を言っておけばよかった」とか思ったわけで、いやでも流石にこれは究極の結果論的感情すぎるわ。

みたいなことをぐるぐる考えてた時間に「結果論的感情」とひと言残したのでした。

結果論ってやつを辞書で引くと「事が起きたあとで,そのわかっている結果を前提としてあれこれ論ずる無意味な議論」と出てきます。

紛れもなく無意味な自問自答(議論)であることは明白で、そこから派生する「なんでイイネひとつなんかで済ませてんだ」って部分を結果論的感情と名付けたのでした。

でもこの「結果論的感情」ってのは良い意味でもかなり発動する部分があるとは思っていて、それこそ「ピアノうまいね」と言われることでピアノがちょっと好きになるなんてのも結果から湧いてくる感情ですから、結果論的感情と呼べるのかもしれません。

というかそもそも感情なんてものは結果あり気で起こるものなので、そう思ったら人間のごくごく当たり前の性質じゃねーか…と今思い始めているところ。

対義語に位置付けるならば本能的感情とでも言えばいいんでしょうけど、大概は結果の先に感情がやってくるとは思うんで(個人差あるかなそこは)、結果論的感情とかなんかカッコつけた言い方してるけど、そもそも感情って結果の次の駅じゃないのって感じでなんか落とし所が見つかったので、やっぱり考える(論ずる)だけ意味のないことなのかもしれませんですね。

腑に落ちました。
お騒がせしました。

良い天気っぽいので一日頑張ってください。

僕も頑張ります。



メンバーシップ「オンラインアトリエ」では無料記事とは別でメンバーシップ限定記事を毎日更新したり、1日1曲ピアノ演奏をアップしたりしております。
自分の作品創りのプロセス、最新の進捗状況(音源)の共有だったり日々の活動の中でのあれこれのかなりコアな部分を掘り下げてますので、よろしければ覗いてみてください。

活動の継続と発展のためにサポートいただけたらめちゃくちゃ喜びます🎹