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能登ヒバピアノと被災したピアノ、それぞれと対話してみて。

昨日のガルガンチュア音楽祭で2ステージに出演させてもらったわけですが、それは同時に2つのピアノと対峙させてもらったという事で。

今日はその2つのピアノとあれこれ会話してみてそれぞれについて思ったこと
、感じたことなんかをつらつらっと書いてみます。
(ライブ内容どうこうでなくあくまでピアノとの時間について)

僕は常々、電子じゃない生のピアノとの時間は演奏というよりもリアルな「対話」だと思っていて、弾き心地がどうとか鍵盤タッチがどうとかそんな話じゃなく、仲良くしてもらえるか、会話が噛み合うか、性格が合うか…みたいな部分がモノを言ってくる存在だと思っております。

別にこれは何かアーティスティックなことを言ってカッコつけてるとかじゃなくて、ずっとそう。

なのであんまりソリが合わない相手とは終始ケンカみたいな時間になるし、逆にめちゃくちゃフレンドリーな場合もあれば、こちらの気質に耐えられず悲鳴を上げられる時もあるし、時にめちゃくちゃ淫靡な時間を過ごす時もあります。

いろんな場所でグランドピアノ(ならびにアップライトピアノ)と対峙する時の一番楽しみな部分です。


そんなわけで昨日の最初のお相手は能登ヒバピアノ。

この能登ヒバピアノに関しては前に別で記事を書かせてもらったので、そちらも併せて読んでいただければと思うのですが…


ひと言、とても暖かい子でした。
終始あったかい。

なのでこちらもバキバキいくというよりもその暖かさに感化されて、指先がほっこりする感じです。

この暖かさの正体は何なんだろうなぁ…と考えた時に、もちろんこの能登ヒバピアノそのものが持ってくれているポテンシャルとしての暖かさも当然あるのは大前提のうえで、やっぱり「同じところで育った」っていうバイアスがかかった部分もあるんだろうと思います。

人間の五感ってやつは時にかなりアバウトなものだと思います。

同じ素材で寸分狂いなく同じ味付けだとしても作ってくれた人によって美味しさが変わったりするみたいな。

音だって、実はまったく変えてないのに「ちょっと高音上げてみた」と言ってから聴かせてみると「かなりスッキリしましたね」なんて答えが返ってくることもある(これけっこうある)。

結局のところ、素材そのもののポテンシャルだけじゃなく、そこに対する感情がセットになって初めて「実態」というやつになるんだと僕は考えます。

だから昨日弾いた能登ヒバピアノはとんでもなく暖かい音だった。

とっても優しくて、どんな曲を弾いてても終始のどかで、本当夏とかに帰った時の島の景色そのものみたいな暖かさ。

これはもう完全なる能登バカが故の悦だと思います。

特に「ふるさと」なんかを弾いてる時はもう何とも言えない音が返ってきて
、「そうだよ俺たち同郷なんだよな」みたいな二人の時間が流れたりします。

そういう側から聞いてたら得体の知れない世界線も含めて「なんとも暖かいピアノ」だったという話で。本当に心地よいピアノでございました。


一転、18時からのステージで手合わせいただいたスタインウェイの白いグランドピアノ(サムネ)。

こちらはしっかりおじいちゃん。
(130歳とかだったと思います)

おばあちゃんではなくおじいちゃんのようです。

話を聞くと奧能登で被災して甚大な被害に遭われた家屋の中で、奇跡的に一命を取りとめたピアノなんだとか。

それを今回の「復興」という側面も持つ音楽祭のために持ち主の方がお貸ししてくださったのだとか。

本当に有難うございますという話なんですが、先ほど「一転」と書きましたが、こちらに関しては暖かいなんてもんじゃない、とにもかくにも頑固でした。頑固オヤジだまさに。

さすが130歳にして震災を生き抜いただけあって(というか戦争も生き抜いてきたのか)、もう芯がすごい。

何をどうしても聞かない。言うこと聞かない。
「ワシはこれじゃ!」感がすごい。

でもちゃんとお年を召されているので、ところどころけっこうガタはきています。

それは貸し出し主の方からも事前にお伝えはあって、いろいろ弱ってる部分があるので扱いは丁重にみたいな(演奏も"それなりに"みたいな)。

確かにいろいろちょっとお弱りになってる部分部分はあったんですが、しかしながら出てくる音に関してはずっと強情でして。

晩年は一人で満足に歩けなくていろんな病気の影響で手も不自由になってご飯も満足に食べられなくなって、家族の助けがないとどうにもならないにも関わらず、気性だけはずっと強くて時に(いやけっこう)荒ぶったりもしてたうちのじいちゃんそっくり。

弾いてる途中からそんなことを思い始めて、こちらがあの手この手で操縦しようとしても頑なに言うことを聞いてくれない…というよりも「若造が」くらいの気丈さすら感じたわけで、そりゃ生き延びるはずです。
(あくまで僕個人の主観ですよ)

そんな感じで弾き進めているものだから「なんやねんじいちゃん元気やないかい」って気持ちになっちゃうので、最初は弾くつもりがなかったオラオラした曲を最後に弾くっていう流れが僕の中で生まれたわけで(@ルパン)。

それは間違いなく対話から生まれたもの。

「おじいちゃんだから労ってあげてね」と言われたものの、いざ喋ってみたら「なんやめちゃくちゃ元気やないかいあのじいさん」みたいな話は一般的に全然あるかと思うんですが、それがヒトじゃなくてピアノだったってだけのことで。

そういう対話ができるのがピアノの面白いところ。

いつも思っていることではあるんですが、昨日の2台(2人?)に関しては特に個性が強くて、まあ痛快でした。

…っていうテイストのピアノについての話です。

有難いことに本日も2公演やらせてもらえます。
また昨日とは違った2台と対峙させてもらいます。

仲良くなれればいいんですが、こればっかりはお見合いみたいなもんなので分かりません。

全部ひっくるめて楽しみです。

では。



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