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雑記③-1:一日に摂取して良い「いよわ」の限度量を超えた話/コンテンツの摂取速度が遅くて浅い話


一日に摂取して良い「いよわ」の限度量を超えた話

「いよわ」というボカロPがいる。
「胃が弱いから」とかいうゆる~い命名をしておきながら、作る曲は毒を含んでいることが多い。決して嫌いとかではなく、稀代のクリエイターだと思っているが、一方で聞くためには勇気がいる。今のところ、人からオススメされた時しか聞いていない。

「雑記②:文章の脱臭~」と同じ雑談で、どういう流れだったか、いよわさんの曲を2曲新しくオススメされた。時刻も午前3時とかだったので、眠気もまぁまぁあって「ありがとう。また明日聞くよ!」と返したところ、いや、今聞いてほしい、と推され、いったん通話を退出しそのまま聞くことにした。

ひとつめは『熱異常』。ふたつめは『地球の裏』。
そして、これらを聞くに際して、音しか聞いたことが無かった『きゅうくらりん』のMVを見てしまい、『きゅうくらりん』の解釈がひっくり返った。

図らずも一日に3つのいよわを摂取してしまったのである。
明らかに過剰だ。眠たい頭に加えてよい衝撃ではない。
結局この日は、7時まで眠りにつけなかった。

音しか聞いてなかった『きゅうくらりん』を除けば、僕が聞いたことがあったいよわさんの曲は『IMAWANOKIWA』だけだった。これは数年前、サークルの合宿で同じ友人からオススメされたもので、これも強烈だった。これが強烈すぎたから、以降いよわさんの曲に対してしり込みしていたと言える。

詳しい話はしない。というか僕には出来ないので、気になった方はぜひ聞いてみてほしい。いずれも、ボーカロイド史に残る曲だと思う。

30分ほどの退出ののち、会話に戻った。開口一番「どうだった」と聞かれ、語彙力が乏しい僕は「すごかった」としか返せなかった。悲しすぎる。
再開した雑談にて『熱異常』を歌っている「足立レイ」という音声合成ライブラリの設定を知り、もう一度退出して聞き直したりした。友人はよく寝ずに待っていたと思う。ありがたい。

この3曲のうち、雑談から1週間経った現在も頭の中で鳴りやまないのは、『熱異常』だった。メロディーが印象的ないよわさんの曲の中でも特に、耳に灼き付くようなリピートを多用する曲だからだと思うが、それにしても異常だった。朝起きると、『熱異常』のイントロが脳内で流れはじめ、最初の「無くならないの」くらいで目が開き、頭の中で『熱異常』が流れていることを認識する、という体験をこの1週間で3度している。

3曲を"過剰"と言ったのは、ひとつめの『熱異常』にもう一週間囚われており、まだ『地球の裏』と『きゅうくらりん』に向き合えていないところに由来する。要するにいよわが渋滞を起こしている。このままだと今後1か月は隙間なくいよわに囚われることになってしまう。ただでさえカロリーが重いのに。でもこういう機会でもなければ聞かないままだったので、友人には感謝しかない。ありがとう友人。ありがとういよわさん。


コンテンツの摂取速度が遅くて浅い話

長いことむずがゆく思っている問題なのだが、僕はコンテンツの摂取速度がとても遅い。一冊の本を読むのに(稀にある「これは一気読みしなくてはならない」というものを除けば)数か月かかってしまうのはざらだし、一度映画を見たら当分は行かなくていいかな、という気持ちになる。

僕が本質的にものぐさなのが最大の原因だが、それに加えて「良いと感じたコンテンツを咀嚼しきるまで別のコンテンツを摂取したくない」「良いコンテンツの余韻が消えるまでそのコンテンツを感じていたい」といったきらいも大きな障害となっている。

先日、別の友人とリアル脱出ゲームに行った。『君は明日と消えていった』(#きみあす)というタイトルの作品で、随所に僕が好きな要素が散りばめられており、控えめに言って最高だった。「控えめに言って最高」を初めて正確に使っている気がする(控えめに言わなければもっと褒めちぎることが出来るが、今回の本筋ではないので控えめに触れるにとどめる)。
リアル脱出ゲームの後、この友人から家で映画を見ないか、と誘われたのだが、#きみあす で惹起された創作への意欲を別のもので上塗りしてしまうのがどうしても怖くて、友人と遊ぶ貴重な機会を断って家に帰った。帰ってから、初めてちゃんと小謎を作るなどした。創作意欲の発露としては正直小さなものになってしまったのだけれど、#きみあす で浴びせられた「細部まで作者の意志が行き届いた作品を作りたい」という感情は、あれから2週間経った今も心の中で光り続けている。これが完全に血肉になったとき、新しいコンテンツを摂取出来るようになると思っている。

ついでに感受性の話もしよう。創作に触れる際は、いつも意図的に感受性のチャンネルを開けるようにしている。僕はめちゃくちゃに察しが悪い人間で、どれくらい察しが悪いかというと「愛・地球博」に「愛知」が含まれていることに10年気づかなかったくらい察しが悪い。行ったのに。
そんなわけで感受性のチャンネルを開けることで、感知できる範囲を可能な限り増やそうとしている。この試みは今のところ成功しており、楽しめる作品はかなり増えたのだが、副作用として一つの作品から抜け出すのに時間を要することになった。それこそ『熱異常』に一週間以上囚われているように。

僕の周りの人は、コンテンツの摂取速度が速い人が多い。何千問何万問と触れる「早押しクイズ」という文化にそういう側面があるからかもしれない。
すると、話についていけないことが増えていく。とても寂しい。感受性のチャンネルを閉じると摂取速度が上がることは分かっているが、閉じるとコンテンツを咀嚼できない。難儀だ。

そのくせ、僕の理解はとても浅い。好きなコンテンツに長時間浸っているだけで、それを解剖して分析して、人に話せるような形に出来ているわけではない。だから人と、コンテンツの深いところの話で盛り上がれたことがあまりない。少々恥ずかしい。

しかしながら、僕は今の僕の触れ方を許容している。「楽しい」を言語化しすぎてしまわないでいたいと思っている。

きっとこの先も、似たようなコンテンツの受容を続けていくだろう。歩幅を合わせてくれなくてもいいから、僕の話を聞いてくれる友人がこれからも居てくれることを願っています。

オチ無し。

本当はこの後、「鳥肌を信用している話」と「懺悔が悦楽になってしまうこと、悦楽だと思われることが怖くて懺悔をせずに来てしまった話」を続けようと思っていたが、あまりに長すぎるので今度にする。また。


なんとなく今の感情に近いカメラロールの画像

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