見出し画像

BLについて考えたらエロス、果ては九鬼周造先生にたどり着いた件 その1

なんだか大風呂敷広げたタイトルになってしまったけど、ちゃんと風呂敷たためるように善処したい所存です。

わたしは一体何に萌えているのか

「エロスとは距離感である」と思うことが、最近よくある。

どういうことか説明するには、まずわたしの腐女子という性質を説明しなければならない。
腐女子とは、BL(ボーイズラブ、男性同士の恋愛および性愛)を愛好する女性を差す言葉で、わたしはかれこれ人生の半分以上BLを嗜んでいる。
長い間BLを読み、書き、咀嚼し、「待って待って無理~~~アアァ~~しぬほど萌える~~」みたいなことを言っていると、ふと疑問に思うことがある。
それは、「自分は一体何に対して萌えているのか」ということだ。

この問いへの答えは人それぞれあるだろう。
「受け(異性愛で言うところの女性側)が愛されている様子」だったり、「ふたりの間にある強い絆」だったり、本当に人それぞれ。
わたしの場合、ずっと「ふたりの関係性」に萌えていると思っていたのが、もっと本質的な言葉を探すと、「ふたりの距離感」に萌えているのではないか、と最近思い始めた。

心の裡が見えないからこそ生じるもの

「ふたりの距離感」とは、つまり「ある男性ふたりの、心(と体)が近づいたり遠ざかったりする様子」ということである。

たとえば男性Aと男性Bが出会い、良好な友人関係を築いて気の置けない仲になったとする。
そのうちAは、Bに性愛を含む好意を抱きはじめた。ただBがヘテロセクシュアルだと知っていたので、Aは気持ちを言えずにいる。
しかし深酒をした際、つい冗談めかして気持ちを吐露してしまう。
Bは冗談で返したが、Aの発言が冗談ではないと薄々気づいていて、その後普通に振る舞いつつも意識せざるを得ない。

これが、心が近づいている様子。

さて、Bは自分がヘテロセクシュアルだと認識しつつ、つい言ってしまうくらい俺のことを思っていたのかと、Aを健気で可愛いなと思いはじめる。
そんな気持ちが態度に出たのか、Bに対する接し方がどんどんやさしくなっていくAを、しかしBは突っぱねる。「同情でやさしくするな」と。

これが、心が遠ざかっている様子。

その後ふたりは何だかんだあってくっつき、めでたしめでたし、というのがBLの物語としてはおそらく定石だろう。起承転結がすっきりまとまっている。
わたしはハッピーエンドでもバッドエンドでもとにかく面白く、引き込まれるお話が好きなので、むしろ結末が破綻していてもよい。
重要視しているのは、「何だかんだ」の部分、すなわち、ふたりの距離感が不安定に変化していく様子である。

惹かれあって距離を縮めたと思ったら、疑ったり不安になったりしながら遠ざかり、それでもこらえきれずにまた近づく。
互いの心の裡が見えないからこそ生じる距離の伸縮に、きっとわたしは萌えている。

距離感=エロス

そしてそれは、つまりエロスってことなのでは? と、最近思うのである。

たとえば、友達として仲がよい人と雑な居酒屋で飲んでいる時、ふいに視線や言葉の端が気色ばんでどきどきしたり、普段は冗談ばかり言う人が、核心を突くようなことを言って、急にこちらの懐に入ってきたり。急速に距離が縮む瞬間はとてもエロティックだ。

また「押してだめなら引いてみよ」という昔からある言葉どおり、自分に好意があると思っていた相手がそっけなくなると、本心がわからず気になってしまう。

もしくは、とても親密な恋人の知らない一面を見て、「この人こんな顔するんだ」と、相手との近しいけれど遠い距離感を意識する瞬間。
よく見知った人間だからこそ、「自分はこの人のことをよくわかっていないのかもしれない」と少しこわくなるのと同時に、言い知れぬ色気を感じる。

人間は人間である以上、相手とどんなに近づいてもゼロ距離にはなれない。
それでも相手のことを理解しようとして、近づき、しかし相手のすべてを(それどころか、きっとほんのひとかけら程度にしか)理解できないというジレンマが、エロスの根源にあるのではないか。

距離感=エロス=「いき」の構造?

そんなことを考えていた矢先、九鬼周造『「いき」の構造』を読んだ。

正しくは講談社学術文庫から出ている、藤田正勝先生の超わかりやすい全注釈つきのものだ。正直解説がなければ読みこなせなかった。

本書は、タイトルどおり日本文化独自の「粋」「意気」とは何かを哲学的に解読する大著である。
こちらをふむふむと読んでいるうちに、はたと気づいたのだ。「あれ、ここで言われてる“いき”って……BLに対する萌えとかエロスとかと一緒じゃね?」と。

……ということで、上記で考えた萌えやエロスがなぜ「いき」と繋がるのかは次回に。

ちなみに、「距離感」に感じるエロスがなぜBLとなると「萌え」に移行するのかは、さらに「緊張感」がプラスされるからだと思っていますが、話が横道に反れるのでまた今度書きます。
同時に、距離感のエロスについてはフランスの思想家ジョルジュ・バタイユの理論にも大いに関わってきますが、こちらも別立てでいずれ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?