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【247/252】いやしんぼうの時間

その5分を、惜しむ。

家を出る時間から逆算する。ひとり暮らしも17年め。支度に、家事に、かかる時間は身体が知っている。それでそのとおり、ぎりぎりのぎりまで粘って、がばり。起きあがりざま、太ももを掴まれる。
毛むくじゃらの細い前脚、食い込む鋭い爪。げんなりとほっこり、複雑な感情に苦しむ。
おそらくこの夏で7歳くらい。飼い猫は深刻な甘ったれで、起きぬけと帰りざま、あとは気まぐれに飼い主にそばにいてほしがる。いないと深刻な剣幕で怒りをあらわすので、飼い主は負けず劣らずののしりながらも、結局ほっぺをなでなでする係に身をやつすはめとなる。
……あと5分だからね。
宣言は守られることも、守られないこともある。猫は、ごふんとは、ながかったりみじかかったりするのだな、と思っている。教育上よろしくないということについては、うしろめたく思っている。

吉本ばななさんのエッセイだったろうか。世話をする、ということは、自分のペースで動けないということであると書いてあって、その時は全然ぴんとこなかった。今は全世界のお母さん、飼い主さん、介護に携わる方、そのほか色々、なんて偉いのだろうと身にしみて感じる。猫の子いっぴきでこの有様では、子どもとなど永劫に暮らせる気がしない。
もう、いつかの時間感覚では動けない。いい加減に認めて、さきざきを見据えて行動せねば。
そう思うのに、卑しく甘える。30年以上年かさの生き物に甘えられる猫のほうが、ほんとうはいい迷惑だと、心の底では知っている。
ほんとうに甘えたいひとは、もうそばにはいないから、意味のない行動だともわかっている。
架空の母を求める気持ちは、どうしてかこんなにも、強い。

虚空に向かってすがれば、倒れるに決まってる。わかっちゃいるけど、やめられない。
胸を張って大地を踏みしめ、ひとり笑って立つ夢を見ながら、いやしんぼうの朝のたたかいは続く。

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