一首評:ウェルニッケ野に火を放てそののちの焦土をわれらはるばると征く

ウェルニッケ野に火を放てそののちの焦土をわれらはるばると征く/松野志保

ウェルニッケ野とは脳の一部で他人の言語を理解する働きをしているそうです。それに「火を放て」という短歌です。燃えですね。火を放つべきウェルニッケ野は特定の個人の脳というよりは、人類全体の脳として呼びかけている歌だと思います。それは誰も他人の言語を理解できず相互理解なんて希望が完全に絶たれた世界ですが、絶対的に誰にも影響されない徹底的に自閉的な70億の輝ける私的世界が個々に立ち現れてくる世界であって、それはそれで希望であることでしょう。
孤高と相互不可侵を前提としたうえで互いに並んで座ってお互いに自分の孤独を楽しむような関係性ぐらいしかもはや期待すべくは無いのでは?というくらい他者と自分の断絶について思いを巡らせたことがあれば、ウェルニッケ野を燃やし尽くしたあとの焦土がそうした関係性を実現する一つの手段として理解できるでしょう。そうした個々人が自らの唯一性に関して他者と比較するまでもなく確信を持って存在していられるような地平を、われらはるばると征くのです。


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