おゆみ

不妊治療6年間を経て、2019年2月、41歳で男の子出産。不育症、着床障害、橋本病あり…

おゆみ

不妊治療6年間を経て、2019年2月、41歳で男の子出産。不育症、着床障害、橋本病あり。 化学流産7回、繋留流産1回の壮絶な治療の記録。

最近の記事

不育症と着床障害について思う事

結局、不妊の原因はなんだったのか? 今考えると、1番の原因は着床障害だったのだろうと思う。自然妊娠も1度経験したし、体外受精をすれば5割に近い確率で着床できた。こうなると不妊というより不育の方が問題になってくる。 2回以上、連続して流産(胎嚢確認後)した状態を「不育症」 3回以上、体外受精による良好な胚(卵)を移植したのに妊娠しないか化学流産に終わった状態が「着床障害」 と考えられている。 カテゴリーとしては、不育症の中の着床障害の位置付けとなるのか?(ここは正

    • 不妊治療経験者が産科デビューをして感じた違和感

      無事に不妊治療を卒業し、通常の妊婦検診を受けるため、近くの総合病院を受診した。 初診は産科部長の診察で、今までの治療歴、流産の有無を聞かれ、伝えようと頑張るも、内容が濃すぎてうまく伝わらない。しかし、そこはあっさりスルー。産科では今までの不妊治療での経過は重要ではないようだ。 今までの下積み時代(不妊治療)は関係ないとはっきりと言われているようで、妊娠しないとスタートに立てない、土俵に立てない、これが世間一般の「妊娠する」という事なのだとその時感じた。 妊娠は病気では

      • 不妊治療卒業!卒業と同時に感じる不妊治療の闇

        9週1日、いよいよ卒業の日。 エコーでも元気な心拍も確認でき、最後の診察となりました。 M先生、K先生には本当にお世話になりました。 「前向きじゃないと上手くいかないよ」と言ってくれたポジティブM先生。 「頑張りすぎだから休んだ方がよいよ」と言ってくれたクールビューティK先生。 本当にその通りでした。 私に対して、的確に、かつはっきりと伝えてくれた事で目が覚めました。 ありがとうございました!! 感謝の気持ちは伝えきれないほどで、最後の診察で感極まって泣いてし

        • 帰ってきてくれた赤ちゃんは神様からの贈り物

          2018年5月、凍結してある最後の分割胚を移植。 これで本当にもう最後の最後。 受精卵は−196℃の世界から、解凍され、暖かい子宮に入り、眠っていた生命力を呼び覚ます。そしてここからは、自らの力で猛烈な勢いで細胞分裂を繰り返し、私の子宮にしがみつき、根をおろす。私の身体に新しい命が宿る瞬間。 ここは神の領域。不妊治療の偉い先生だって、医学が進歩しても、きっと誰も操作する事はできないと思う。 40歳で体外受精をして子供を授かる可能性は限りなく低く数%だと言われていたけれど、

        不育症と着床障害について思う事

          −196℃の世界で受精卵は眠る

          繋留流産から3ヶ月たち、再び治療を再開する事にした。体調はよかったし、手術をしてから、生理出血も今までとは違ってサラサラしており、子宮内膜が綺麗に掃除されたようだった。毎日の生活も充実していたし、今まで感じていた治療に対する重圧感も払拭されていた。 前の記事で、赤ちゃんへの欲がなくなったと書いた。けれど赤ちゃんを諦めた訳でもないし、治療を辞める訳でもなく(治療を辞めたら、年齢的な事もあり絶対に授からないような気がしたし)、治療をマイペースにしながら、後は自然の流れに身を任

          −196℃の世界で受精卵は眠る

          化学流産、繋留流産を乗り越え、見えてきた世界

          手術後は子宮を休めるためにも治療をしばらくお休み。 この間も、鍼灸院に通い、食生活を意識して、自分の身体の事を1番に考えた。 食事も安心できる食材で、自分が納得のいく食事メニューをバランスよく。 そうする事で心の平安にも繋がったから。 今までは、橋本病、着床障害、子宮内膜ポリープと次々に問題が見つかり、どこかでずっと自分の身体にコンプレックスを持ち自信がもてなかった私が、この頃には不思議と自分の身体に自信がもてるようになっていた。 休日は食材に関する制限を緩くして、お酒

          化学流産、繋留流産を乗り越え、見えてきた世界

          お空に帰った赤ちゃんが私達夫婦に教えてくれた事

          稽留流産の原因を調べるために、赤ちゃんは染色体検査を受ける事になった。 M先生には、多くは胎児側の染色体異常が原因だと言われたが、私には橋本病、着床障害の不安要素があるので原因をはっきりさせるためにも検査を希望した。 胎児染色体検査は海外の検査会社と提携しているらしく、海外に輸送する必要があり、検査後は帰ってこないらしい。 供養もできなかった。 3週間後、検査結果を聞いた。 赤ちゃん側の染色体異常だった。 ダウン症の女の子。 トリソミー21。21番目の染色体が通

          お空に帰った赤ちゃんが私達夫婦に教えてくれた事

          赤ちゃんと過ごした12週間

          8週3日で心拍停止してから、あれだけ辛かった悪阻が日に日に軽くなり、すっかりなくなってしまった。 悪阻はなくなってしまったが、まだ赤ちゃんはお腹の中にいて、何の症状もない。 ポジティブM先生は1ヶ月の猶予をくれた。1ヶ月待っても出てこなければ手術しようと。 私はどうしても手術は嫌だった。どんな手術になるのかは知っていたし、赤ちゃんに機械的な処置を加えたくなかった。出来るだけ自然な形で、本来通るべき自然な道で外に出してあげたかった。 いつ出血するかもわからなかったが、私自身

          赤ちゃんと過ごした12週間

          繋留流産

          2017年7月11日、8週3日を迎え、この日も朝から負の感情に支配されていた。気持ちを切り替えたいと思っても自分ではどうすることもできず、ただ、悪阻だけが少し軽くなっていた。この日は卒業が決まれば先生達にご挨拶をしようと、主人にも付き添ってもらって病院に向かった。 この日はポジティブM先生。 軽く挨拶をかわした後、内診室に入り診察を受ける。いつもはテンポの良い声がカーテン越しに聞こえるが、その日は長い間黙ったままエコーを見ている。嫌な予感がした。 M先生がカーテンをあ

          繋留流産

          心拍確認するも、8週3日だった赤ちゃんの命

          胎嚢が確認できて1週間が経ち、いよいよ心拍確認の日がきた。 成長が早ければ、小さな胎芽とともに心拍も確認できるらしく、見えなかった場合でも卵黄嚢が確認されるだけでもよいと言われていた。 多分、普通は心拍確認の段階が1番緊張するのだろうが、私にとっては先週胎嚢が見えたことが自信となり、なんとなく、あとは順調に行けるような気がしていた。 そして診察室に呼ばれ、この日はクールビューティK先生。 高鳴る私の心臓を見透かしているかのような素早い手さばきで、内診するやいなや、 「

          心拍確認するも、8週3日だった赤ちゃんの命

          初めて見えた胎嚢は輝いていた

          初めてhcg1900台を叩きだし、第一関門クリア。M先生には双子でもいいくらいの値だと太鼓判を押された。 今までのhcg最高値27とは比べものにならないくらいのよい数値。 ここに来るまでも、卵子がとれること、受精が成功すること、成長し分割胚になること、凍結できること、無事に解凍移植ができること、数々のクリアしないといけない関門があり、こうして考えると赤ちゃんを授かることは、本当に小さな奇跡の連続だなと思う。 そして次の関門は1週間後の胎嚢確認。 いつもここがクリアでき

          初めて見えた胎嚢は輝いていた

          転院してから最初の移植で妊娠したよ!

          2017年5月、体調もよく、凍結してある分割胚の1つを移植。 その頃は食事改善を初めて約2か月程たち、1週間に1回のペースで鍼灸院にも通っていて、 移植後もそのまま鍼灸院へ行き、着床しやすいように身体を整えてもらい、私にとって、鍼灸で身体をメンテナンスしてもらうことは安心感にも繋がっていた。 今度こそいけるかな? いやいや、あんまり期待してもダメだった時のショックが大きいし。 期待と不安が入り混じった気持ちを打ち消すかのように、いつも通りの日常を過ごすように努め、着床

          転院してから最初の移植で妊娠したよ!

          妊娠するためじゃなくて、健康になるための食事改善

          山田豊文先生の本を読んでから、毎日の食事を見直すようになりました。 今までは、不妊にはイソフラボンの豊富な大豆食品を食べた方がよいとか、アボカドがよいとか、よいと言われているものを取り入れてみたりした事はありました。 しかしどれも継続することもなく、全体からみてもごく一部分を気をつけたところで身体が変化するわけないよねって。 食事はその時食べたいものを、食べたいだけ食べるといったような、無頓着なものでした。 食事を作ることも、好きでもないし嫌いでもないといったような、

          妊娠するためじゃなくて、健康になるための食事改善

          一冊の本と出会う

          採卵周期に再び入ったちょうどその頃、主人がダイエットを目的とした筋トレを熱心にしている時期でした。 食事にも気を使うようになったので、筋肉を作るためのタンパク質多めの食事を作ったり、いつもメニューに悩んでいました。 職場でもそんな話をしていたら、 1人のスタッフ(N君)に、食事改善するならこの本がお勧めですよと、一冊の本を紹介されました。(職場は整形外科だったので、筋トレの知識や身体のメンテナンスに豊富な人が多かった。) そしてN君は、 ダイエットをする人は極端な食事

          一冊の本と出会う

          子供のいない人生を考える

          しばらく治療をお休みしている間、主人と10年振りにスキーに行ったり、長崎のハウステンボスや金沢に旅行に行ったり、今まで出来なかったことを楽しみました。 主人と子供のいない人生について話あったりもしました。 そして、もしこの先子供に恵まれなくても、2人で健康に長生きして人生を楽しもうねと。 幸い私の両親も主人の両親も子供についてはプレッシャーをかけてくることもなく、2人の人生だからといつも見守っていてくれていました。 私も主人となら、この先楽しく歳を重ねていく

          子供のいない人生を考える

          鍼灸院に通ってみると案外自分に合っていた話

          2017年1月、年が明け、前々から鍼灸に興味があり、通ってみる事にしました。 私も卵子も39歳になっていました。 普段から職業柄、肩こりがひどく時々頭痛があったので、鍼灸でどうなるか試して見たかったのと、家の近くに不妊を専門とした鍼灸院があったのでそこに通う事にしました。 鍼灸治療で最初に全身の状態をみてもらい、言われたのが瘀血(おけつ)体質であると。 一言でいうと血の流れが悪いということ。 それによる、冷え、肩こり、頭痛などの症状がでているとのこと。 また下腹部

          鍼灸院に通ってみると案外自分に合っていた話