西野そら

年齢が高くなるにつれ身長が低くなり、166センチだったのが現在は165.4センチ。東京…

西野そら

年齢が高くなるにつれ身長が低くなり、166センチだったのが現在は165.4センチ。東京在住。25年間の家担当(専業主婦)後、4年前から図書館での仕事(パートタイム)を得る。取るに足らないことで驚いたり、感心したりする日々の事ごとをここに置いています。

最近の記事

積もる雪

ジャクジャクかな? ザクッザクッじゃないな。ギシギシ? 夕方。わたしは歯医者に向かって歩いている。雪を踏みしめる音がどう聞こえるか、一歩足をだすごとに音をききとろうと、前かがみになる。 雪を踏む音。靴が雪を押しつぶす感触。スキー場にでも行かなけりゃ、味わえぬ感覚であるからいまだ新鮮さがある。いまだというのは年齢の話。半世紀以上を生きてきたけれど、わたしの住む東京のまんなかあたりでは雪が積もるなんぞは何年かに一度だ。そんなわけで雪が積もる度に、少しばかり浮かれる。もちろん、年

    • 音、そして御託を並べる

      5月も半ばを過ぎると、ようやく花粉から解放されて心置きなく窓を開け放てる。午前の清々しい風がレースのカーテンをなびかせて居間を涼しくする。ああ、花粉症でなけりゃ、もっと早くからこの風をあじわえるというのにねえ……。 家のことを終えたあと、居間の床に寝転んでカーテンの隙間から空を眺める。ふいに、遠くから機械の音が響いてきた。道路工事だろうか。ドリルで硬いものをこじ開けるような音。 ドドドドドドドドドドド……。 正確にはドドドドではないこの音を、字で表すとしたら……なんだろ

      • ヘンテコおばさん

        「知った顔をみたら挨拶をする」 こう自分と約束したのは、現在も住んでいるこのマンションに移り住んだ30代のころだ。ここに越してきた当時はすでに築13年で、新築で売り出された当初から入居している世帯が大多数だった。つまり、わたしたち家族より年齢層の高い世帯が多いのだ。娘と同世代の子供がいる世帯がさしてないことを、娘が幼稚園にあがるころになってやっとわかった。それほど、近所付き合いがなかったのだ。 とはいっても、居住年数を積めばそれなりに顔見知りはふえる。何階の居住者かはわから

        • カラーバリエーション

          午後三時を過ぎていた。隣駅まで徒(かち)で向かう。道すがら下校する小学生たちとすれちがっているうちに、数日前のことがよみがえってきた。 場所は出先の商業施設。上りエスカレータで運ばれているときに、下ってゆくカラフラなランドセルの並ぶポスターをみて思ったのだ。 「もはや赤と黒なんて、いないのかも」 二十年前、長女のランドセルをもとめた時代にも赤色のバリーション三、四色に加え、ピンク、黄色、水色、茶色、紺色、黒、この程度の選択肢はあった。長女の場合は赤色のバリエーションの中か

          デコとボコ

          デコボコした感情が平されてゆくことを大人然とするなら……。 五十代も半ばにさしかかろうというのに、平されないままのデコボコが形状記憶さながら形をなしてくることが、わたしにはある。 いつまでたっても平されない(しくじりを笑い飛ばせなかったり、緊張しすぎたり)自分につくづくガッカリするのだけれど、デコボコの何が悪い、とも思う。 わたしはきょうもコソっとデコを片手で押さえ、親指と人差し指でボコを引っ張り出す。 (2018年10月10日)

          デコとボコ

          月とドーナツ

          思いがけず、大きな大きなまあるい月と遇う。 月と遇う。こんな言い方はおかしいけれど、此の度はまさに「遇う」がふさわしかった。 集合住宅の4階が住まいだ。玄関先から左にすすむとエレベーターホールに続く廊下にでるという構造である。そうだ。廊下の向こうは東の空が広がっていることを書いておかなければ、月と遇った話をはじめられない。 月と遇ったのは玄関を出て、左への一歩をだしたその時だった。わたしの目線の先に広がる夜空に(といっても夕方の5時を回った時間ではあるが)、大きな大きな

          月とドーナツ

          西野食堂

          なにはともあれ、お腹の具合が気になる。 お腹の具合というのは、家人たちの空腹の程度のことである。わたしが家にいて帰宅する家人を迎える場合でも、逆にわたしが家人の待つ家に帰宅する場合でも、家人の顔を見るや、 「お腹は?」 わたしはこう訊かずにはいられない。それに対して「すいてる」「食べてきたから炭水化物はいらないけど、なにかちょっと食べたい」「冷蔵庫にあるもの食べたよ」「すいてない」なんぞという応えが返ってくるが、ときには「すいていない」と言い切きりながらも「やっぱりなにかある

          西野食堂

          2021年7月

          1964年に生まれた。言わずもがな、日本で初めて開催された東京オリンピックのあった年である。言わずもがなと書いたけれど、はたして前回の東京オリンピック開催年をだれもがすぐに答えられるものだろうか。わたしなんぞ長野オリンピックの開催年は、もはや忘却の彼方である。インターネットで検索してみた。そうか1998年だったか。札幌オリンピックは1972年だったそうな。小学校に上がったばかりの年齢だから、そういえばあったな、という程度の記憶しかない。フィギュアスケートで、白いショートヘアに

          2021年7月

          七人の敵

          そのひとは20年ほど前に知り合った、いわゆるママ友。子どもたちの成長とともに会う頻度は激減したが、暮らしている地域は同じであるからいまでも数年に1度、道やスーパーマーケットでばったりと遭遇することもある。姿を確認した折には「元気?」と、手を振り立ち止まり、子どもたちの近況を報告しあうひとりである。意地悪だとか感情的なひとで疲れるというわけではない。彼女は知りたがり。 「素敵な鞄! どこの?」 「高そうね、おいくらぐらい?」 「ご主人との出会いは?」 この程度の知りたがりや詮索

          七人の敵

          と、いうようなこと。

          気がつけば、テレビを観る時間が減った。いや、正確に言えばテレビ番組を観なくなった。動画を観る時間はむしろ以前より増えている。これは動画配信サービスへわたしの興味が移行したゆえの現象だ。    有料ではあるがこのサービスに加入すれば、家にいながらにして、色々な国の映画、ドラマ、ドキュメンタリー、ニュースが、いつでも見放題。途中でやめても見逃すということがない。ほかにもアマチュア、プロ問わずに発信されるユーチューブがある。足腰がいたければヨガの動画。作りたい料理があればレ

          と、いうようなこと。

          少しまえに家をリノベーションして、窓を二重サッシにした。 集合住宅であるから気密性という点では戸建てよりは高いと思われる。しかし築36年ともなると隙間風がはいり、冬は窓際に近づくだけで冷やっとする。エアコンの温風が苦手なものだから、長いことホットカーペットとオイルヒーターで暖をとり、ライトダウンを着込んで寒さを凌いできた。凌ぐと言ってもこれで凌げるのだから、いうほど寒くはないのかもしれないけれど。 「寒くない家」にするために床暖房を希望すると、設計・建築士のYさんから二重サ

          ウラノウラハ……

          裏の字が読みづらくなって、久しい。 裏の字とは、瓶やら箱やらの裏に記された成分表示や使い方の説明文のこと。ある時期から、近づけても離してもピントの合わないものがでてくる。いやになるけれど、老化現象のひとつとして受け入れるしかなく、裏を読まねばならぬときは、躊躇わず他人(ひと)の目を借りてきた。 が、いまや仕方ないとあきらめる時代ではなくなった。 どんな小さな文字でもスマートフォンで写真を撮り、拡大すればいいのだ。液晶パネルに触れた人差し指と親指を広げて画面を拡大すること

          ウラノウラハ……

          面白半分

          ハーフアンドハーフといえばピザ。異なるメニューを半分ずつ食べられるお得なピザの頼みかただ。しかしこの言葉を辞書であたると、二つの材料を同量ずつ合わせてつくる飲み物とある。が、いずれにしても文字どおり、半分、半分ということ。          一方、面白半分。冗談半分。話半分。これらは、半分といいながら半分ではない。「半ば」の意味のひとつである「ほとんど」の意味合いが強くなる。 ほとんど面白がっている。ほとんど冗談。ほとんど話を信じていない。

          面白半分

          矢印→

          ぶらりと散歩することはあっても、ぶらりとデパートや商業施設へ出かけて行くことは滅多にない。 そうだ、わたしのはウインドウショッピングならず、ピンポイントショッピングだ。 目的の店に到着するや、店内のフロアガイドを探し、行くべき場所を見定め、直行する。買い物の途中でほかに買うべきものを思い出したら、然るべきところへ向かう。そして買い終えたらサッサと家に帰りたい。 しかし、それをゆるさない店がある。家具量販店のIKEAだ。 ここは、入店するや床に記された矢印をたどり、ほぼ一方

          イブ、イブ、イブ

          元日は新品の歯ブラシ、ボディタオル、下着をおろすのが習慣だ。 これらはどれも年末に調達するのだけれど、下着を買いにいく日は気が重い。 商業施設にある下着屋さんでも、スーパーマケットの衣料品階の一角にある下着売り場でも、下着売り場に身を置くこと自体が50代半ばを過ぎた今でも落ち着かない。もっと言えば、だれの下着を選ぶのでも、その姿を見られたくない。発表することではないが、選ぶのはベージュや白、クリーム色のいたってシンプルな品々であるから、たとえだれかに見られたとしても、ギョッと

          イブ、イブ、イブ

          嗤う妻

          少し前のはなし。 夫が腸閉塞で入院をした。入院日数は4泊5日。 治療は点滴のみで、退院時の薬の処方もなく、食事の制限もなかった。退院の翌日から出勤してもよく、週末のゴルフも構わないという。つまり腸閉塞といっても軽症ですんだ。 激痛に耐え、くの字に体をまげて横たわる姿は気の毒であったが、大事に至らず幸いであった。しかし、一方でこの顛末を嗤うわたしがいる。 夫は10年以上、週末に筋トレと6キロ程度のランニングをつづけている。毎日欠かさずにトマトジュースと豆乳を飲むのは長生きを