ボートレース禁止令

 血には抗えないとはよく言ったもので、俺の血筋は代々ギャンブル中毒。
 もう死んじゃったおとん方のおじいちゃんは毎日ボートレース場に入り浸り、負け込み続けて、一家が代々所有していた山を売るほど借金を作ったギャンブル中毒。
 おとんはおかんと付き合ってた頃、クリスマスのデートをすっぽかして朝まで麻雀打ってたり、当時のパチンコでオカルト程度の信憑性だったコピー打ち(決まった打ち方をすると大当たりが濃厚になる打ち方)を習得し、兄ちゃんの養育費を払うほどのギャンブル中毒。
 そして、そんな2人を嘲笑っていた俺も、留学先でカジノに激ハマりし、学校に支払わなければならないお金を全部バカラで溶かしてしまい、予定の期間よりも4ヶ月早く強制帰国になってしまったギャンブル好き。中毒とは認めていない。
 そんなギャンブル大好きな俺とおとんが守っている約束が一つだけある。それは川野家に伝わる”ボートレース禁止令”だ。
これは先ほども記した通り、おじいちゃんが山を売るほどボートレースにハマり、山を売った後もボートレースを続け、持病で45歳と言う若さで死んでしまった時に、おばあちゃんが泣きながら「どんな事に手を出しても自己責任だけど、ボートレースだけには手を出さないで」と言った事で定まった、世間的には良いのか悪いのか分からない川野家独特のルールで、これだけは俺とおとんは守り続けてきた。が、しかし、この掟を俺は一回だけ破ってしまったことがある。

あれは、確か世間的には、大リーガーの大谷翔平が日本人初となる3度目の月刊MVPを取ったり、宮崎駿監督が10年ぶりとなる新作「君たちはどう生きるか」の公開を発表した2023年7月の出来事。
 その時の俺は二刀流どころか、1つの生業でもミスばかりで、「俺こっからどーやって生きていけばいいんですか?」と宮崎監督に投げかけたくなるようなダメっぷりにも関わらず、呑気に何人かいる連れに会いに行くと言う名目で東京に来ていた。この東京旅行での1番の目的は、留学先で出会ったこーじという俺の一個上の友達に会いに行く事。こーじは親がバチバチの公務員で厳格な家庭にも関わらず、好奇心で足にタトゥーを入れ、見つかると殺されるので一生長ズボンしか履けないという十字架を背負った変わった奴。会うのは1年以上ぶりにも関わらず、久しぶりが故のきまずさなど無く、すぐにあーだのこーだの言って打ち解けていた。
ひとしきり話した後こーじが、
「どーせあれだろ?お前せっかく東京来たのに金たいして持ってないんだろ?」と教科書のような標準語で聞いてきたので、
「当たり前やんけ家賃も滞納したまま東京飛んできたったわ」と謎の金無いマウントをとってやった。
「じゃあ金増やしに行くか」
「増やすってどこに?」
「決まってるやろ、ボートレースや!」
「ボートレース?でも俺はボートレースだけは…」
「俺に任せとけや!絶対勝たしたる!ボートレースで増やして吉原いこーや!」
「吉原ってなんなん!?」
「なんも知らんなお前は!日本最大のソープ街やろ!」
「え!?行きたい!吉原絶対行こや!ボートレース最高!」
この時の俺の脳裏に、おばあちゃんとの掟など1ミリもなかった。と言うよりは、掟が頭に出てきそうになれば必死に記憶から消そうとした。もちろん罪悪感が無かったわけではないが、留学先でもある程度のヤンチャを一緒にしてきたこーじとならという信頼感もあったし、何よりボートレースというより、その先の吉原にベクトルが一直線に向いていた。そう、男はエロを目の前にするとIQが50は下がるのだ。元々50もない俺とこーじは猿同然だった。
そっからの俺達の行動力はすさまじくて、すぐにレンタカーを手配し、2人のなけなしの金を集めて高速に乗り、気づけば東京に来たと言うのに23区内から大きく外れた多摩川のボートレース場に来ていた。
平日の昼間というのに競艇場内はボロボロの服に身を包んだ戦士たちでいっぱい。
「すごいなここ、俺らみたいなダメな奴らの溜まり場やん」
「この時間帯にいる奴らは社会的には死んでるけど、目は死んでない!同じ目的持った仲間や!」
「タメ口で喋っても怒られへんのちゃうん!」
「ギャハハハ」
「よし!さっそく賭けようや!」
と、社会のお荷物感たっぷりの俺たちは浮き足も浮き足。空を飛んでいるような気分だった。
ここまでは最高の気分だったが、そんな浮き足立った俺らに、勝利の女神と吉原の女神が振り向くはずもなく、気づけばビギナーズラックなどもフル無視で、掛け始めた第3レース〜第11レース1円の当たりもなく負け続けていた。
「おいこーじ!勝たせるいうたやんけ!もう後、帰りの高速代しか残ってへんぞ!」
「知らんわ!こんな負け込むん俺も初めてだわ!俺も後、帰りのガソリン代しかないねん!
お前が貧乏神やねん!あっちいけキングボンビー!」と、さっきまでのチームワークなどなく、社会的にも、目も死んでいる社会不適合者の完成形だった。
「でも、どーすんねんこの金突っ込んで負けてもーたら、ホテルにも帰れへんくなってまうで」
「お前な、そんな負けた時のこと考える奴がどこにおんねん。勝って吉原行くんやろ?次のレース今日一番のデカいレースや!1-3-4の3連単に間違いない!オッズが20倍やから残りの3000円一点張りで6万ゲトるぞ!なんならオプションもつけれるんちゃうか?笑」
俺にはこいつの背中がとてつもなくデカく見えた。戦では武器を揃えたものだけが生き残るというが、俺はこいつとならステゴロでロシアに乗り込んでも生き残れる気がした。
迎えた最終の12レース。俺はこーじの言う通り1-3-4の20倍に全てを注ぎ込んだ。今の俺たちならやれる。やれるし、ヤレる。吉原という同じ目標にむって走る俺たちはもう一度目の輝きを取り戻した。

そして一斉にスタート。第1コーナーを曲がった順番は1.3.4。ドンピシャだ。競艇は3周で順位を競う競技だが、1周目の第1コーナーを曲がった際の順位でほぼ、間違いないと言われている。脳内に溢れる脳汁。俺は自然と
「おじいちゃんありがとう」と会ったこともない祖父の顔を思い浮かべていた。
「よっしゃいけぇ!!逃げ切れ!」と、前のめりになる2人。すると、2周目のターンに入る瞬間に場内にアナウンスが流れる。
「ただいまのレースは1号艇、3号艇、4号艇の選手がフライングのため払い戻しになります。」頭が真っ白になった。
競艇選手においてフライングは、一回で30日の出場停止。尚、一節に4回のフライングをしてしまうと、事実上の引退宣告となり、誰もが避けたい反則であり、1日に1回起きても珍しいと言われている。それが1レースに3人も?しかも、自分が賭けている3選手がドンピシャで?気付いたら膝が地面についていた。俺の6万が。吉原が。聖水のオプションが。そっからの事はあまり覚えていない。結局フライングは払い戻しになるので賭けていた3000円が返ってきて、なんとかホテルには返って来れたらしい。

「まー、日頃の行いってやつか」とこーじがなだめようとしてきた。「死ね。」と思った。
ホテルに帰ってきて抜け殻のような俺たちだったけど、こーじがせっかく来たのにこのまま帰すわけには行かないということで引っ越しのために貯めていた貯金をくずして吉原を奢ってくれた。「一生着いていく。」と思った。

やっぱりおばあちゃんとの約束は破っちゃいけないと思えたし、俺の血筋はボートレースにはめっぽう弱いんだなと感じたし、やっぱりこーじは最高なやつだと再確認できた東京旅行でした。

ちなみにこーじは吉原の嬢になんのオプションもつけてないのに、色んなリクエストをしすぎたせいで嬢の機嫌を損ねてしまい、no finishで終えたらしい。まー日頃の行いってやつかな。

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