うつで3年間社会から離れた僕が人生をやり直す話 第5回「社会に戻って1年、僕が歩んだ道のり」

帰省中
手伝いもせず
寄生虫

こんにちは、実家で惰眠をむさぼるニーシャです。
別にうまいこと思いついたなんて思ってません。ええ、そうですとも。
前回は「社会に復帰して1年経っていた」のでその後の心境などについて触れました。
今回は「社会に復帰して1年、僕が歩んだ道のり」についてお話しようかと思います。

まーた自分語りかよと言う感じですよねw
ですがこの順序の方がより、「苦悩の3年間」についてよりお分りいただけるのかなとも思いますので今しばらくお付き合いくださいませ。
今回は結構長いのでさらっと見出しだけでもよければ…。

それではよろしくお願いします。

ただの派遣社員から始まったやり直し生活

まず、現在の僕は業務委託という形で企業に赴きSEとして働いています。
ですが、未経験ですぐにそんな仕事させてもらえるほどこの業界甘くないです。(と思ってます)

なので、会社に入って最初は研修生として携帯キャリアショップで販売として派遣されながら会社のようしたプログラミングのカリキュラムをこなす期間がありました。
人によってこの研修期間はカリキュラムの進行度合いによってまちまちになってしまいます。
これについて、会社の方針としては

・まずはこの業界で十分にやっていける能力をつけさせる
・この業界、コミュニケーション能力の低い人が多い。だから、販売としてやっていくためのコミュニケーションスキルがあれば仕事に必要なコミュケーションスキルは自ずと身につく。
・この業界、勉強が命。仕事しながら勉強することが求められる。だから業種が違う業界でも休み惜しまず勉強するクセをつけさせる。

以上の3つが大きな軸だったようです。
入社して間も無く社長との面談があり、このことを告げられたのは今でも脳裏に焼き付いています。
そしてやけに納得していたことも記憶しています。

面白い。なら全部身につけてやる。
くらいの気持ちを思っていたのでもうこの時すでに完全復活を果てしていたのかもしれません。
ただ、復帰のビジョンと材料が見えていなかっただけで。

ミスが怖くて仕方なかった数ヶ月

とは言え、やはり最初はミスが怖くて怖くて仕方ありませんでした。
それもそのはず、僕の場合は誤字脱字レベルのミスで毎日説教部屋にぶち込まれ、3時間に及ぶありがた〜いお説法を拝聴していたのですから。
ここが第2回の「人による」が繋がるわけですね。
人によって、トラウマになったり気にしたりする事のトリガーが違うので何が根本的な解決になるかは「人による」のだと思っています。
見事なまでの伏線回収、本当にありがとうございました。(これを伏線回収と言っていいのか怪しい)

実際にミスしてiPhoneをタダで売っちゃうようなことも入店当初、やってしまってました。
勿論、後にお金は頂きました。
店長に頭下げてもらいました。
てゆか、当事者の家まで行ってお金もらってきてくれました。
庇ってもらいました。
そして、ミスしていいからチャレンジしろと言ってもらいました。
頭が上がりません。

先輩「ミスが怖かったら何もできないじゃん!」
店長「そうだよ!この子なんかね……」
先輩「やめてください!www」

みたいな感じで慰めてもらったりも。
こう言った周りの支え合って僕は徐々に自信を取り戻したのを思い出します。
30のおっさん、情けない…w

ミスとチャレンジを許されたからこそ、ミスが怖いながらも販売台数以外に複合商材の獲得数で何度も好成績を収めることが出来ました。
また、成績に関わるからと言うことで無理にお客様に商材を提案するのではなく、しっかりお話を聞いて求めるものを提案していくスタイルは僕目当てでいらしいただくお客様を増やし、良いお声をたくさんいただく店員としてキャリアからもお褒めいただけました。

やっと、不安から自身に変わり始めた秋口の頃でした。
そして同時にカリキュラムも終焉を迎えていました。

最速レベルで終了したカリキュラム、そしてエンジニアへ

いつの間にか、携帯ショップの店員としての姿が馴染んでいましたが、僕は会社の研修生でプログラミングのカリキュラムを進めていました。
1年から1年半を設計して作られたカリキュラム。
僕は半年弱で終了することができました。
実は、店員として働きながら昼休みにこっそりノートパソコン開いて勉強してたりしてました。

そして、新しい職場へSEとして働かせてもらうことになりました。

それでも初めはミスが怖かった。

知ってます?
SEってワードやエクセルも使うんだよ?
プログラム書くだけじゃないんだよ?
あっ、これって、、、、、、、
そう、1番思い出したくなかった書類作成です。

マジで怖かったです。
逃げ出したかったです。
おうちかえりたい。
「あ、ここ、漢字間違ってるよ?」
この程度の指摘で顔真っ青、動悸、目眩、吐気が襲ってきました。

ここから先が違いまして、
「俺、直しとくね」
で終わったこと。

えっ、おわり?

説教部屋は?

人格批判は?

帰れまテンは?

ここでやっっっっっっっっっと気づきました。

ああ、あそこが狂ってたのか

思えば毎日誰かが怒鳴り散らされているような会社でした。
今では想像がつかないです。
こう言う比較もその会社にいたら出来ないですからね。
様々な職場を経験するのもいいことだと思います。

鍛え上げられることもう半年。
僕は、エンジニアとしてのプログラミングスキルは然り、会議での司会進行や提案、書類の作成や問題提起、運用フローの組み立て方などなど本当にたくさんのことを学ばせて頂きました。
そして、プロジェクト終了により契約も終了。

たくさんの会社がプロジェクトに参画していまして、嬉しいことに僕に声をかけてくださる会社もありました。(本当はタブーなのでしーっです)
ですが、僕はまだこの業界で達成したい夢を叶えていません。
安定か挑戦か。
見るからに給与も福利厚生も良し…。

挑戦へ。

本当に悩みました。
年齢のことを考えるとやはり安定した所に身を置くべきなのか、などなど。
丁度実生活の方でも一悶着ありましたので余計にでした。

ただ、それではこの業界に入った意味がなかったですので挑戦することを選びました。
今になって挑戦して本当に良かったと思っています。
新しく携わったプロジェクトではまた新しい技術について学ばせいただいているので、エンジニアとして成長する実感を大いに感じ取れています故。
そして、新しいプロジェクトでもそれなりに重宝していただいているのもやる気につながっています。

これが安定を選んでいたらもう技術は学べませんでした。
書類の作成や管理調整で残りの数十年を過ごす所でした。

ここで技術を学べる喜びや挑戦することの喜びを得ている時点で、僕はプログラミングが好きなんだろうなと思っています。
そして、社長に言われた「勉強するクセ」もおそらく身についたんだろうなとも。
あっさり戦略にはまっちゃいましたねw
僕にとってのプログラミングは出来ることが増えるようになると同時に、見えてくる世界がグンと広がって、自分の未熟さも分かるようなる、追いついたと思ったら突き放されるけどなんか丁度いい突き放され方するような感じに捉えています。
その理想と現実の差を埋めていく作業が個人的にどハマりしている理由になっています。

これから

社会に復帰して1年経ちましたが、正直な所、ここまで前向きになれているとは思ってもいませんでした。
ですが、これは自分の気持ちの持ち方含め、周りの方の支えが自分をこうさせたのかと思っています。

ですので、僕は僕で僕なりの方法と考え方でこれからも頑張ります。
そして、僕が経験したこと、体験したこと、考えたこと、感じたことを少しでも発信することで自分と同じように心の病を患ってしまった方に1人でも良いので勇気を持っていただけるようになれればと思います。
それがこのノートを始めた理由にもつながっています。

こんなに長々とお話しして申し訳ありません。
ですが、「こんな人でもあんなになっちゃうんだ」と知って頂いた方が良いのではと思いました。
次回は「逃げ帰った実家。3年の始まり。」をお送りしたいと思います。
是非よろしくお願いいたします。

ここまで読んで頂きありがとうございます。
それではまたお会いしましょう。
失礼いたします。






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