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うつで3年間社会から離れた僕が人生をやり直す話 第6回「休職。始まる3年間。」

こんにちは。最近、日々の通勤による運動量が大幅に増えたことにより、食事量を以前の倍に増やしても体重は増えず、体脂肪は減るという現象に包まれているニーシャです。少しずつ工夫して運動量と食事量を減らして家計的に優しい人間になりたいなと思います。
さてさて、過去2回に渡って社会に復帰して1年が経過した、現在の自分の状況についてお話しましたね。今回はいよいよ、「社会から離れていた3年間」について触れていきたいなと思います。

ただ、ここからのお話は完全に取り消そうとしている記憶を掘り起こしながらお話しするため、わかりづらい文章になってしまうことをお許し願えたらなと思います。それではよろしくお願いします。

靴下すらまともに履けなかった最後の出社日

その1週間前、体調不良を訴え会社を早退しようとしました。当時、トラブルのあった上司とは別の方が直属の上司として私の担当になっていたのですが、その方に会議室でしきりに「がんばれ」と言われ続けていたような気がします。
どこのタイミングで導火線に火がついたのかは覚えていませんが、突然、トラブルのあった上司に関する暴言を吐きまくり、怒鳴り散らし、泣き出したことは記憶しています。
流石におかしいと思ったのか、その方が会社の常務を連れてきて会議室は僕を含めた3人になりました。そして僕は2人の前で変わらず、暴言を吐きながら泣き喚いていた事も覚えています。
人前で泣くどころか、普段からそんなに泣かないタイプ(だと思う)なのに、もう何もかもが抑えることが出来ていなかったのだと、今の自分は捉えています。

そんな僕を見かねた常務が「これ以上ニーシャくんが働き続けるのは難しいと考えます。しばらく休ませましょう。」と仰ってくれたことも覚えています。
同席していた上司が何やら僕が抜けることによる影響に対して何かしら発言していましたが、そんな内容は覚えていません。

助かった。

そんなことをちょこっと思っていたような気がします。
その日から一旦、1週間のお休みをいただいて、最後に仕事の引き継ぎをするために1日だけ出社しました。

足が震え、手が震え、靴下すらまともに履けず、ドアの鍵がうまくはまらなかった事は今でも鮮明に覚えています。
会社に行くのが怖くて怖くて仕方がなかった。

1週間も期間があったんです。僕がしばらく休職するなんて話、伝わらないわけがないですよね。
最後の出社日、いろんな人に「大丈夫?」と声をかけてもらったことも覚えています。
乾いた笑いしか出ませんでした。笑える状況でもないのに。
でも、笑って人を安心させることしか僕には出来なかった。

どんな内容引き継いだとか全く覚えていません。
フォルダの場所くらいじゃないですかね。

この日から僕の3年間が始まりました。


今回は一旦ここまでとします。
更新が遅かった割に量少なめで申し訳ないです。
1つ1つ思い出しながら書いていきます。
どれくらいのボリュームになることやら…笑
次回は「休職し始めの頃」について、触れていきたいなと思います。
1年間の回想になるのか、半年分になるのか、1ヶ月になるのか、、、
僕もわかりません。笑

また1週間後くらいを目安に更新したいなと思っていますので、是非よろしくお願いいたします。

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