うつで3年間社会から離れた僕が人生をやり直す話 第7回「休職生活はじめました。」

こんにちは。通勤疲れと仕事での大チャレンジで煮詰まるどころか頭が沸騰していたニーシャです。お久しぶりです。前回までは、、、なんでしたっけ?w
冗談です、すみません。
前回は、社会から離れ始めたての頃のお話をしましたね。今回からは、「社会から離れてる間に送っていた生活」についてお話しようかなと思います。また例によって1つ1つ思い出しながらになってきます。よろしくお願いいたします。

1ヶ月も休みゃ治るだろう。そう思っていた時期が僕にもありました。

まさか、こんなことになるなんて。。。
事情を全て母に話し、実家へ帰りました。母も「帰ってこい」とは言っていましたが、当時も母も同じ事を思っていたと言います。
GWちょっと前に実家に帰省したので近所の人にも不思議がられました。それもまぁ辛かったですね。
「お!ニーシャくん!帰ってきたのかい?」
いやまぁ元気な近所のおっちゃんの笑顔が眩しくてつらかったですw

「ええ、ちょっと早めのGWで…」
みたいなやり取りをしていました。
やはりこの時はすぐに復帰することを考えていたようですね。

帰省してからの自分はというと、まず片付けたかった実家の用事を一気に片付け始めました。買い物行ったり、髪の毛切りに行ったりなど小さなことも含めて。当時の母からも「何もそんなに急がなくても」と言われたことを覚えています。月の休みが3〜4日しかなかったものだから休みの日も全開でやることやらないと何も出来なくなる。そんな気がしていたのだと思っています。

休職前はとにかく自分が大好きなアニメ鑑賞やゲームすら全く出来なくなって「これになんの意味があるの?」状態だったものですから、とりあえず始めはこの趣味を少しずつ「楽しい」と思えるようになることから始めました。

そんなこんなで想定していた1ヶ月を過ぎたとある日でした。

さっさと働けよニート。

こんな事を母に言われた事を覚えています。
流石に僕も怒りが爆発したことも覚えています。
「まだ雇用契約期間内だからニートじゃねえよ!」
みたいな屁理屈をこねたのも覚えています。

何時間だろう、大げんかしました。

母もそこまで怒らせるつもりはなかったのだと思います。ですが、感情コントロールが出来ない状態にあったことや、本人がもっとも気にしていることの1つを突かれた事が何かしらのスイッチを入れたのかなと思います。

幸い、この事が後に悪い影響を及ぼしているのではないですが、人によっては重大な影響を及ぼす可能性があるとも思います。たとえそれが、正しい事であっても核心に触れるような本人批判は避けたほうが良いと僕は考えます。

これが休職したて当初の僕の姿でした。

6月中頃まで様子を見ましたが一向に治る気配がないとのことで、一旦一人暮らしの部屋の荷物をある程度引き上げに行きました。

しかしこの時も「夏が終わる頃には…」

なんて思っていましたが、荷物を引き上げに行った時もやはり足の震えがおさまらなかったので当時の僕には何をやっても無理だったのだろうと思います。


今回は、休職をし始めてからの数ヶ月の思い出話をしました。治したい気持ちはあるものの、それとは裏腹に治る気配すらなければ母には罵倒され、足を震わせながら一部荷物を引き上げに行き、「まだ無理だ」という自覚がありながらも「早く働きたい、働かねば」という焦りの狭間に挟まれ、苦悩していたのかなと今は思います。
あの時、もっとケロッとして遊び呆けていれば、、、とも思ったのですが、当時、電車に乗ることすら怖くて仕方なかった自分もいましたのでやはり3年という期間は妥当だったのかなと思います。

電車に乗る事が怖かった点については次回、克服に向けた行動も含めてお話できればなと思います。

見てくださってる方もいるのにお待たせして申し訳ありませんでした。
マイペースな更新になってしまうかもしれませんが、なる早で更新する事を心がけます。

きっちり次回予告したほうが僕個人としても書きやすいのですが、いかんせん、回想ベースでお話しているのでなかなかテーマが定まらないのも書きづらい部分がありますね。
なので、次回は夏から冬までを思い出したいなと思います!笑

是非、よろしくお願いいたします。

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