うつで3年間社会から離れた僕が人生をやり直す話 第4回「社会に戻って1年が経っていた」

こんにちは。3連休のうちに2つくらい記事は投稿したいなぁなんて思いつつ1つ投稿するのも怪しい雰囲気だったニーシャです。
言い訳は、、、やめておきます。笑

さて、前回は「僕が見たうつの世界」についてお話しました。「当事者にとってはとてつもなく怖い世界だと思います」みたいな感じで締めましたね。なので今回は、そのとても怖い世界から脱出した経緯をお話しても良いかと思うのですが、重たい話が続きましたので今回は、「社会に復帰してその後…」みたいな感じで進めていこうかと思います。是非よろしくお願いします。

あっ、もう1年経ったんだ。

と思えるくらいにうつだったあの頃や、社会に復帰する時のドキドキや不安、緊張はなくなっていました。

大丈夫かな
まただめだったらどうしよう
残業120時間とかなったらどうしよう
説教部屋3時間コースはもう勘弁
急に通過列車に飛び込みたくなる衝動に駆られたらどうしよう

などなど、最初はとても不安な事はありました。
不安がなくなったといえば嘘になりますね。
訂正します。

不安のレベルが小さくなってフットワークが軽くなった

闘病中にお医者さんから言われたのが、「緊張や不安はあったいいんだよ。誰だって緊張もするし、不安もある。だからそれとどう向き合うかが大切なんですよ。ただ、緊張や不安で何もできないってのはまずいのでこれからどうにかしましょう。」という事でした。
なので、僕のうつ対策の基礎は緊張や不安との付き合い方みたいなところに焦点があたっていたりします。

実はつい最近、個人的な事で不安が拭えない日が続きました。
そんな時、自分が何を思っていたかというと、

・何かあっても観音様が厄をもらってくれる
・アカンかったら実家帰ろ

観音様ってなんだよ。笑
と思われたかもしれません。
が、これは自分の1つの心の拠り所にしている崇拝物みたいなものです。

実家を出る前に奈良の厄除けで歴史のあるお寺に行き、厄除け用の数珠を購入したのです。
7種の厄除け用天然石でできていて、厄除けの象徴である観音様の文字がサンスクリット語で刻まれています。
どんだけ厄を払う気だと思うかもしれませんが、何か1つ信じるものを作るという事はそれだけ心の拠り所を持てるという事だと僕は信じています。

普段はつけずに、なんか物事がうまく回らない時にこれをつけて、不安を感じたら数珠をギュッと握り締めます。
そして「大丈夫、大丈夫、きっとこれが守ってくれる。何もかもがアカンかったら実家へ逃げよう」と心の中で唱えてもう1度前を向くんです。
何故か気が晴れて、今日も1日頑張れる、そんな気がして来るんです。

結局のところ、辛かったりしんどかったりして、でも誰かに相談するようなレベルかそうでないかの判断が難しい時って、どうしても1人で抱え込んじゃうのかと思ってます。
だからこそ、こうして信じる何かを作っておくのは1つの対策かなと思ってます。
というか、大昔のお人が宗教にハマってたのってこの辺りが理由だった気がします。(魔法の言葉「知らんけど」発動)

「アカンかったら実家帰ろ」についても同じです。
一人で抱え込んでしまってどうしようもなくなるケースを100%回避するのは難しいと個人的に考えています。
だからこそ、最終兵器を用意しとくわけですね。

\\ 実家のような安心感 //

とは言い得て妙ですよね。笑
個人的には、丸3年も過ごした実家にいつでも戻れるって気持ちでいる事は本当に強みです。
これを認めてくれる母あってこそでもあります。
GW後半、実家に帰ります。(勿論、帰省でですよ。笑)

社会復帰して1年が経過して得た心境とは

「社会に戻って1年が経っていた」
ちょっとざっくりとしたタイトルで触れた内容としては「この1年間で得た心境の変化」みたいな感じでしたね。
結論としては、「心配事が拭えなかったら信じる物にまかなってもらう、危なかったら逃げろ」精神を心に宿すことでメンタルコントロールがかなりしやすくなりました。
勿論これが唯一無二の解決策であるとは思いません。
ですが、何かしらの参考になれば幸いです。

さて、次回以降の書きだめがもうなくなっていますので明確な予告ができなくなってしまいました。
が、今回は1年間のメンタル面について触れましたので今度はフィジカル面というか、「社会に戻って1年間の歩んだ内容」について触れてみようかと現在予定中です。(予定は未定)

というか、本当はフィジカル面を書こうとしたのですが、いざ清書しようとしたら「いや、まずこっちから書こう」と急遽変更したのはナイショ話です。(大公開)

それでは皆さん、またお会いしましょう。
失礼します。

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