見出し画像

世界が変わる瞬間【Reassembly】

2023年1月28日


あなたは「世界が変わる瞬間」を見たことがあるだろうか。

その日は、ごくごく普通の土曜日だった。
星野源「Reassembly」千穐楽は3日目となった昨夜と同じように、横浜アリーナを舞台に開催された。
もちろん初日から相当にヤバい光景が見られたらしく、拡散命令のもと拡がっていく画像はそれだけでどうかしていた。
TLを眺めていてもそれ以上のネタバレはなく、むしろそれが不穏すぎてニヤニヤしてしまう。
星野源のファンというのは、本当にどこまでも粋なのだ。

北海道から参加した私にとって、ヤバい画像以外の情報は全く持ち合わせがない。
ただ、その日が星野源の誕生日であることは分かっていた。
誕生日イベントに期待しつつも、一体何が起こるのかは分からないまま、いつものライブのように「その時」を待っていた。

集うはずの時は

Assembly

https://www.hoshinogen.com/news/detail.php?id=13


YELLOW PASS限定イベント「Assembly」が開催されるのは2020年3月だった。
YELLOW PASSを持つ人と星野源が“集まる”為に企画されたイベントで、自身初のファンミーティングだった。
それは、爆発的に拡散していく新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止となってしまった。
(「Assembly」は形を変え、Vol.00として生配信イベントになった)


POP VIRUS World Tour


源さんの有観客ライブは「POP VIRUS World Tour」2019年12月を最後に、ずっと沈黙を守っていた。
ちょうどその直後に、中国では原因不明の肺炎が発見されていた。
ワールドツアーの開催は本当にギリギリのタイミングだった、と今は思う。

沈黙する世界の中で


世界が閉塞していく様を、ずっと見ていた。
たぶん2019年の人類は「外出するのにマスクが手放せない世界」なんて映画や物語の世界だと思っていたはずだ。
それが、あまりにもあっけなく一転した。

イベントが中止になり、ドラマの撮影も延期された。
この先のことが全く分からなくなり、義務教育であるはずの学校さえも休校になり、外出することさえ難しくなった。

うちで踊ろう


そんな鬱々とした世界に、星野源はそっと音楽を届けた。
2020年4月3日、インスタに投稿された「うちで踊ろう」だ。

https://www.instagram.com/p/B-fFPKrBc-X/?utm_source=ig_web_copy_link


比喩ではなく「息ができない」状況の中で、音楽が光を見出した。
あっという間に拡散していく音、歌、ダンス。
それはたくさんの重なりを見せて、あの閉塞した世界に「音を楽しむ」喜びを伝えたと思う。
ライブのバンドメンバーがそれぞれに音を重ねた「Potluck Mix」バージョンを聴いた時は「いつかライブに行くんだ」と奥歯を嚙み締めた。
そして2020年の紅白歌合戦では、リリースすらされていない「うちで踊ろう」がフルバージョンで演奏された。
新たに追加された歌詞は独りの苦しさや絶望にまで寄り添い、最後はこう終わる。

生きて抱き合おう いつかそれぞれの愛を
重ねられるように

星野源【うちで踊ろう】


少しずつ状況は好転しているようにも見えたが、その歩みは一進一退とも取れた。
ワクチンの開発、頻繁に聞こえてくるパンデミック(世界的流行)や緊急事態宣言、少しずつ確立されていく感染防止対策、何度も訪れる流行の波。
イベントにもたくさんの手枷足枷がかけられ、決して「楽しめる」状況ではなかった。


Gratitude以降


星野源は、有観客ライブに関しては沈黙を守った。
今までの源さんの動きを見ていると、それはファンを守るための沈黙であったと思う。
少しずつ有観客ライブが増えていく中、ファンとしても寂しい思いがなかったと言えば嘘になる。
けれども配信ライブや楽曲の配信リリースが何度もあり、それほど辛さは感じなかった。
10周年記念ライブ「Gratitude」も有料配信ライブだったが、今ではとてもキャパが足りないような小さなライブハウスでの開催だった。
「配信ならでは」というおまけが沢山ついてくるので、むしろお得感すらある。
ほかにもYELLOW PASS会員限定のライブストリーミング「宴会」や、ゲームの仮想空間でのライブ「SOUNDWAVE」など、飽きることなく音楽を楽しめた。
音楽だけではなく、自身がパーソナリティを務める「星野源のオールナイトニッポン」でも「リスナー大感謝パーティー」を配信した。
混沌とした「深夜ラジオ」の面白さを引っ提げて、とんでもないものを見たと思う。
もちろん誉め言葉だ。

待ち続ける間


ままならない世界が続く。
私はその姿をいちファンとして、この3年間ずっと見てきた。
その間に起こった悔しさ、辛さ。
それを乗り越えていく不屈のアイデア、手枷や足枷を面白さに変えていく苦労。

うちで歌おう 悲しみの向こう
すべての歌で 手を繋ごう

星野源【うちで踊ろう】

そう歌ったあの瞬間を、ずっと心に抱えていた。
手を繋ぐための音楽は源さんが与えてくれる。
私もいつか源さんに会う、その日を待つのだ。


Reassembly

私は、そんな日々に思いを馳せていた。
ふと気がつけば、大きな拍手に迎えられて源さんがステージへと向かっていた。

その日、ライブパートは聴いたことのないアレンジで始まった。
いつも聴いているはずの「化物」はとんでもない方向に化けていた。
カッコいい、語彙力がそこで止まってしまう。
久しぶりの音楽の激流が嬉しくて楽しくて、幸せすぎて涙が溢れた。

「桜の森」「ミスユー」「Present」「不思議」と、新旧織り交ぜた楽曲が全身を駆け巡る。
マスクをしたままだけど、会話はできないけど。
それでも音楽は波のように会場をたゆたう。
形が変わっても私達のライブはここにあるのだ。
音楽に身を委ねて踊り狂うことが、手拍子を打ち鳴らすことが、こんなに楽しいのだから。

ふと音楽が収まり、源さんがぽつりと言った。

「なんか聞いたんですけど…今日から声出し、良くなったらしいんですよ」

少しの沈黙のあと、会場がどよめいた。
今日から?なにが??
私は頭が全く追いつかなかった。

https://www.pref.kanagawa.jp/documents/64357/230127_jimurenraku.pdf

この日の前日、まさに1月27日。
内閣官房から事務連絡が発表され、イベントの開催制限が一部見直しになったのだ。
具体的に言うなら、今回のイベントについては「大声を出さない」という条件が撤廃された。
(「安全計画を策定し、都道府県による確認を受けた場合」という条件があったから叶ったのだと思われる)


もっと簡単に言うのなら。

【大声を、出していい。】

そういうことになった。


変わる世界


この瞬間。
まさに、世界が変わった。

自分の口から出ていた、言葉にならない歓声。
会場のすべてから、13,500人の観客から、悲鳴とも絶叫とも取れるような声が沸き上がった。
源さんもその声に応える。
空間が、熱気が、振動が。
すべてが横浜アリーナ中央にいる「星野源」ひとりに向かっていく。

「待って、泣きそうなんだけど」

その言葉は「声が届いた」証だった。

言葉にしてしまえば、きっと些細なことだと思う。
言葉を発する、それを聞いてまた言葉を発する。
それだけのことなのだ。

けど。
私達は、それを待ち望んでいた。
目の前にいる人に「ありがとう」を伝えたかった。
3年間ずっと。

この瞬間を、待ち望んでいた。


歓声と拍手が鳴りやまぬ中、言葉にならない空間があった。
音の洪水。
その音は、それぞれの場所で鳴り響いていた。

動き出した3年間


「うちで踊ろう」の演奏が始まった。

生きてまた会おう 僕らそれぞれの場所で
重なり合えそうだ

星野源【うちで踊ろう】

演奏を終え、「重なり合えましたね」と源さんは言った。
その言葉に、また会場が歓声と拍手で埋まる。
源さんの背負ったきたもの、想い。
それは一体どれだけのものなのか、ファンでしかない私には計り知れない。
ただ垣間見えるものを拾い集めても、それがいかに困難だったかは想像に難くない。
どこを見ても苦難しかなかったと思う。
それでも諦めずに、絶望してもまた立ち上がって、そうやって築き上げてきたものの集大成がこの【Reassembly】だったのではないだろうか。

そしてここから、ステージは加速していった。
最高のファンミーティングは、たくさんの歓声とともにその幕を下ろした。


ライブ終了後、規制退場待ちの時間に見知らぬ隣の人とたくさん話をした。
もちろんマスクはしたままだが、その会話は最高に心地よかった。
会場を出て、ずっと会えなかったたくさんの友人たちに会った。
SNSでは旧知の仲だが、現実には初対面の友人もたくさんいた。

生きて抱き合おう いつかそれぞれの愛を
重ねられるように

星野源【うちで踊ろう】

旧知の友人は初対面だったが、名前を叫びながら抱き合った。
生きて会えた。
ほんの少しの時間だったが、たくさん話をした。

ライブの時間は、ほんの数時間だ。
それでも音楽はたくさんの手を繋いでくれた。
きっとあの会場にいた13,500人はそれぞれの場所に帰っただろう。

生きて、また会おう。

また会える。
そう、思えた。
本当に陳腐な表現かも知れないが、奇跡は起こった。
星野源という稀代の音楽家の誕生日に、渇望していたライブで皆が声を【重ねる】という奇跡だ。
たくさんの想いが報われる、その瞬間はそこにあったのだ。
だからきっと、また奇跡は起こる。
生きてまた会えるなら、その想いはきっとまた重なれるはずだ。

そんな希望が、あの日の横浜アリーナには溢れていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?