【折り合い】との折り合い方

星野源【折り合い】配信されました。
何度も見て聴いて、あれこれ思ったりしたことを書き記しておきます。

第一印象は「ああ、この曲って夫婦だけじゃなくて、世界に溢れているたくさんの縁ある事に対する【折り合い】なのかも」でした。

夫婦関係や恋人関係が一番分かりやすいかも知れませんが、これって親子関係や友人関係、仕事やご近所、ネットにも言えてしまう気がしたんです。

夫婦や恋人であれば「二人で一緒」が基本スタイル。
けど、その始まりは「他の誰か」同士でしかなくて。
それこそ傍から見れば「夫婦」や「恋人」なのかも知れない。
けど、それは絶対に「同じ誰か」にはなれない。
もちろん、似てくることはあるし、同じことを考える機会も多いのかも知れないけど。
そこに至るまでには、たくさんの歪みや拗れ、不穏や不満、不条理や不安がたくさん積まれていく。

きっと同じ方向を向く人には、同じような葛藤があるんじゃないか。

「ひとつになれない」

なれる訳がない。
けど、家族に見えるように、一緒に居られるように、お互いが少しずつその不穏を抱えていく。
持ちきれなくなったら、それは家族や恋人の形を取れなくなってしまう。

そのさじ加減は本当に儚いもので、いつも天秤は揺らぐばかり。
それでも誰かを求めて、ゆらゆらと前を向く。

形なんかないし、決まったものもない。
けど、お互いを求めて「家族のように映る」ものになっていく。

「他人のようで違う」
「家族のように映る」

この言葉が本当に圧倒的で。

人間って誰かといる限り100%「分かりあえる」なんて不可能だと思うのです。
答え合わせなんてできないのですから。
けど、分かろうとすることに意味を見出して、必死でもがいていく人はどこまでも強い。

それは夫婦や恋人だけじゃなくて、親子でも、友人でも、それこそ2次元でも人間じゃなくても、です。

誰かの辛さや苦しさに寄り添う、なんて優しい曲なのか。
そんな思いがぐるぐる渦巻いて、切なさと嬉しさで涙が出ました。

不思議な曲だ、と思いました。
辞書で見れば「譲り合って妥協する」という意味を持つ「折り合い」。
けど、言葉の意味が指す話だけじゃないよなあと、ぼんやり思っていました。

そしてふと、英語訳の時の表題が目に入りました。

「HALFWAY」。

こちらを日本語訳すると…「道半ば」。

そう、まだまだ折り合う途中なんです。

なんだか腑に落ちすぎて、笑ってしまいました。
そうか、まだまだ道は半ばなのか。
きっとこれからもたくさんの「折り合い」を重ねていくのか。

「折り合い」に終着点はない。
だからこそ、未来があるのかと思いました。

そして、やっぱり星野源は最高だと。

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