ワクチン接種におけるリテラシー育成

こういう種々雑多な見解を出して「私はワクチンを打つことに反対する」と主張するのが反ワクチンである。

当然世の中にはスモンをはじめとして薬害が存在するのも事実である。けれどもスモンがあるからと言って全ての胃腸薬を否定してはいけないのである。多くの人がさまざまな胃腸薬によって病の苦しみを免れていることも事実である。そこにはさまざまなエビデンスがあり、そのエビデンスの意味や重みを適切に評価することができる能力はリテラシーに含まれているであろう。

もちろん、全てのワクチンを残らず打たなければならないというのは反ワクチンの反対の態度と言えるであろう。こういう人はエビデンスがどうであろうともここに有効とされている文書や記述がある以上は打つべし、打つべし、というわけであるからリテラシーとしては反ワクチンと大差ないわけである。

ワクチンにも効果の強さ弱さがあって、例えば、ポリオは1960年頃に大流行を起こし、「小児麻痺」と恐れられたのである。これに対し、ソーク・ワクチンという不活化ワクチンが日本には導入されていたのであるが、十分に流行を抑えることはできなかった。これに対し、当時、ソ連で開発された生ワクチンは流行抑制に有効であるということで、当時の厚生大臣も決死の思いで緊急輸入し、そのおかげで日本でのポリオ流行は抑制することができた。

今では日本のポリオ発症も過去のものとなり、ポリオ生ワクチンもやっとのことで日本では不活化ワクチンに変更され、四種混合に含まれて接種するのが一般的になったが、生ワクチンの時には大阪でも区民センターなどで同年代の子達を集団接種するのが常であった。何しろ生ワクチンなので、接種後(飲むワクチンである)、腸内で野生化し、野生化したウイルスが糞便に混じって排出されると、そこから周囲のワクチン未接種の子供たちに感染が拡大することが危惧されたからである。

エビデンスというものを理解しない反ワクチンの人は「え?腸内で野生化?何百万人に一人は発症リスク?危険だ!ワクチンを中止しろ!」と叫んでいたかもしれないが(実際、擬似症の発生は時々新聞記事になっていたはずである)、ポリオを撲滅して、二度と小児麻痺の惨禍を起こすまいと決心した国や行政はポリオ生ワクチンを継続したわけである。

というわけで、ワクチンを盲信することも反ワクチンで片端から拒絶することもよくないわけであり、必要なワクチンは適切に接種して有効な感染防御を行うことが望まれるわけである。そのなかで一種の全体主義に陥らないためにはこういう反ワクチンの人やワクチン崇拝者の存在は必要と言えるのだが、多くの人が適切に判断して適切なワクチン接種を行う能力がリテラシーに含まれ、教育がその能力を育むことは文明国としての基礎であると思うのである。

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