濫用しているのは…

マジョリティとマイノリティという背景にはマジョリティは持てるもの、マイノリティは持たざる者という二極分化があるのではないか。

左派やフェミニストは「自分たちは持たざる者である、飢えるものであるからマジョリティから強奪しても何ら問題はない、なぜならマジョリティは持てるものであるから」と考えていることであろう。だからこそいわゆる弱者男性は不可視化せざるを得ないわけである。彼ら彼女らに見えるものは持たざる者、すなわち左派自身、フェミニスト自身、外国人、アイヌ、琉球、被差別部落の人という人たちである。

それに属さない普通の日本人はマジョリティであるから人ではなく集団である。人間ではない塊なのである。個人には人権があるがマジョリティという集団には人権はない。

で、彼らが見出したのは「首相という個人」である。「アベセイジを許さない!」と叫ぶことでカタルシスを得ることが左派の娯楽になったわけである。叫ぶこと自体が目的であるから「じゃあアベセイジの何がいかんのよ。どうすればいいの?」と問い返しても無駄なわけである。そんなことは彼ら自身何も知らないし、興味もないわけである。実際安倍政権で彼らは安定した暮らしができていたことであろう。そういう反政府勢力に敏感な野党第1党は、もう政策論争を捨て、週刊誌のような批判を声高に語り始めたわけであろう。多くの日本人(左派も含めて)は安倍政権の方針に文句はなかったのである。だからこそご自身が降壇するまで誰もやめろとは言わなかった。ただ、本能的な反政府主義者だけが反安倍を叫んでいただけのことである。

こういう人たちは今は反キシダを叫んでいる。もちろんのことであるが、彼らには岸田政権のやったことについて批判できるような能力はない。だから何をいうかというと「キシダは何一つやっていない」という全否定である。全否定すれば個々の業績に触れる必要がない。ゼロか一かの議論だけになるので能力のそれほど高くない人でも実行可能になるのである。そういう人と建設的議論が可能かどうかについては聞くだけ無駄ということであろう。

そういう人たちがマジョリティマイノリティ問題でどうなるかというと、もう無茶苦茶になるのである。例えばインセルという連中が槍玉に上がるわけである。彼らは本当は結婚したいが、例えば非正規雇用による低収入などで男女交際や結婚が困難な人たちである。

フェミニストたちは当初、散々インセルを馬鹿にして、マジョリティというのは低脳だ、こういう男どもより正義のフェミニストこそが高給を取るべき!社会はフェミニストのものだ!って噴き上がっていたわけである。

で、「いや、低脳で非正規低収入だから結婚できないわけだから正義のフェミニストこそが結婚して養ってあげたら?」というと、次々に黙ってゆくわけである。「わ、私は体が弱いから夫にはもっと高給を取る人でなければ私が仕事を辞めた時に困るじゃないのよ!」という人もいた。もちろん稀には「ウチは女性の私が稼いで夫には専業主夫をやってもらっているよ」という人もいるのであるが、多くの女性は「養ってもらうべきは女性である自分であるのが当然で、男なんだから自分の食い扶持くらい自分で稼ぐのが当然でしょ!」という意見であるようである。(統計をとったわけではないが、ネットではそういう意見を聞くことが多かった)

挙げ句の果てには、「結婚できない男を弱者男性などというのは不適切である。女性が見たいのは高学歴高身長高収入の男性だけであるからそれに当てはまらないようなオスは不可視化されるのが当然である」というような主張をする人まで現れたわけである。そうやって不可視化されるのがマイノリティじゃないのだろうか。

彼女たちフェミニストや左派の目から不可視化された「弱者男性」たちは自己矛盾で言葉に詰まった女性たちによって生きながら埋葬されているようなものである。こういう恣意的な用語の選択こそが濫用なのではないか。

もちろんこういうことを言うとフェミニストたちからは「どうせあなたは結婚できなかったから僻んでいるだけでしょう。負け犬はすっこんでいろ!」と叫ばれてフェミニスト達からは哀れうちの子は婚外子扱いにされてしまうのである。

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