何のために結婚するのかが見失われている時代

「結婚したい人が結婚したい人と結婚するだけ」というのは結構なパワーワードである。

いや、なんで結婚するん?とか家族との関係は?とかその他諸々を吹き飛ばした話であって、結婚は勢い!という真理にも繋がるのかもしれない。

一方で、この勢いが終わりよければすべてよしに繋がればいいが、そうではない場合もある。

例えば男は離婚するとまず子供の親権は得られないし、面会交流の実施率も7割に過ぎない。今は親子交流と改名されたそうだが、シングルマザー団体の人たちは「ああ、夫はモラハラ、DVですから子供になど会わせるものですか!養育費だけはきっちり払ってもらいますけれど、親としては認めません!」と鼻息が荒いわけである。

男が結婚すると、その三分の一ほどは離婚いいたる。もちろん、小梨の離婚やもう子どもが巣立った後の熟年離婚もあるだろうが、子育て中に離婚に至るとダメージは大きい。それも平成年代前半までなら男親はあまり育児に関わらなかったわけで、離婚してもそれほど情の移っていない子どもとの別れにはさほどの感慨も起きなかったかもしれない。

けれども、今はイクメンプロジェクトが大成功で、仕事より育児を優先してしまうお父さんも増えているだろう。しかも男性育休の義務化も待ったなしである。こうやって父子の交流を増やしてしまうと父子間の情が厚くなってしまうのである。けれども、離婚に至っては、恐らくは妻=母親が連れ去り別居してDVの申し立てをやり、シェルターにでも入れば父親とは完全に没交渉になる。母親はそれでいいけれど、父親は身に覚えのないDV加害者とか児童虐待犯の汚名を着せられて子供との交流を断たれるわけである。

ご本人は愛する子どもとの関係を失って苦しい上に、フェミニストたちからは鬼のDV犯人!悪魔の児童虐待犯という石礫が飛んでくることにもなる。無論、父親には身に覚えのない話であろうが、彼女たちは「やっていないという明白な証拠がなければ真っ黒!」と叫ぶことであろう。

で、泣く泣く父親は父親を辞めて一人の男に戻って新しい人生を歩もうとするが、多額の養育費請求が飛んでくるわけである。もう前明石市長が「払わないような悪徳なもと父親は全員刑事告訴してやる!」と叫ぶレベルである。この養育費については「当然払うべきもの」とされているので支払ったとしても誰からも感謝されない性質のものである。父親と高葛藤の母親はそもそも養育費をもらっていること自体子供には黙って自分のために養育費を使って何が悪い!それは当然の復讐だ!としている人も少なからず存在するようである。つまり、養育費を横取りした母親が子供たちには養育費を払わない悪い父親と言い続けられて子供達もそのもと父親を恨むようになるという事例があるらしいのである。多分、そう言われて育った子どもたちは成人しても父親とは会おうとしないことだろう。

つまり、父親からすれば養育費をいくら支払っても感謝すらされずにむしろ恨まれるだけという悲惨な将来が待っているかもしれないのである。

まあこういう状況を片親阻害って言うんですけれど、これは子供の病理というよりは親の病的な態度だということじゃないかと思えるのである。

そんな将来も待っているかもしれない結婚って男にとっては意味があるだろうかと思うのである。いや、少子化改善のためには結婚の数を増やすのが1番だということは百も承知なのであるが。ああ、同性婚は基本不妊だから嫌なら別れればいいだけで、そもそも同棲と大して変わらないので好きにすればいいと思うよ。

今の(異性婚の)結婚はもう母子間の繋がりが強くなり過ぎていて、父親すなわち男にとっては弊害の方が大きくなり過ぎていると思えるのである。女性が異性婚で結婚したいのはよくわかる。だってその方が得だもの。でも男はその分、損することが増えてきている。まだまだ離婚は三分の一だからそりゃ最後まで幸せにというか不幸にならずに人生を終える人もいるだろうけれど、男女の天秤がもっと狂えばフェミニストたちは喜ぶだろうけれども、男たちは利益のない結婚から黙って撤退していくのではないか。それが心配である。

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