ペット騒動

正月早々、羽田空港で海保機と着陸しようとした日航機が衝突したわけである。奥様や子供達が初売りのデパートに行く時の運転手としてお供した私であったわけであるが、まあ、数時間かけて戦利品の福袋を両手に持って帰ってきた家族達が乗り込むとやっと帰路に着いたわけである。

そうすると北陸のニュースのためにNHKに合わせていたテレビが騒がしい。信号で止まると映像が出て、何やら炎が上がっているわけである。何だかよく分からず、燃料のパイプラインで火災でも起こったのかなと思いながら、断続的に見ていたわけである。半時間ほどかけて帰宅して慌ててNHKニュースをつけると、やっとカメラが近景に寄っていて、胴体着陸した日航機のエンジンが赤く燃えていて消防隊が必死で放水している姿が映し出されていたわけである。

見る間に旅客機の後ろの窓が赤く光り出して機内にも火が出ていることが見て取れた。「こりゃ大惨事だよ」と思ったわけである。その後「日航機からは乗員乗客全員無事避難」のニュースが報じられ、「あの状況で助かったのか。奇跡だ」と胸を撫で下ろしたわけである。けれども残念なことに海保機の方で機長のみは何とか脱出できたが、他の乗員5名は残念ながら事故で亡くなってしまったということであった。彼らは北陸の地震で救援物資を運ぶ任務にあたっていたそうである。このような事故で命を失うとは誠に無念なことである。ご冥福をお祈りする次第である。

そして、問題になったのは全員救出と報じられた日航機に犠牲者が出ていたということである。つまりは、この機にはペットの動物が運ばれており、貨物室にいた彼らは炎の中で命を落としてしまったわけである。

これに対して、動物愛好家達からは「貨物室に載せるのはこういう事故で助けられないじゃないか。他国では機内にケージに入れてペットを持ち込めるのだ。」という声が上がったわけである。中には「ケージもけしからん。可愛いペットなのだから膝の上に乗せていいようにすべきだ!」という声も上がったわけである。多分彼らにしてみれば動物は人と同じ生き物であるので、現行の荷物扱いが気に入らない、人間と同じ、もしくは動物愛護で人間より優先して救出すべきだと言いたかったのかもしれない。

一応、世界には動物をケージに入れて機内持ち込みできる航空会社は少なくないようであるが、やはり貨物扱いは貨物扱いであるようで、今回の事故のような時には見捨てて人間を優先して救出することについては同意書を書いて同意しなければならないらしい。

航空好きの人たちから示される事例としてはエアロフロートが同様の事故で脱出する時に、みんなが自分の手荷物を持ち出そうとした結果、脱出が遅れてしまい、機体の前半分に座っていた人は無事に脱出できたが、後半部分にいた人は脱出することができずに犠牲になってしまったというものがあったようである。

日航機の脱出がスムーズに行った背景にはそういう手荷物は持たず、シューターを破損するかもしれないハイヒールは脱いで速やかに脱出したたことがあったようである。携帯電話とか手近のバッグやリュックは持って出た人がいるかもしれないが。

もし、ケージを持って脱出するとなれば時間がかかるし脱出そのものに危険があるから乗務員側に阻止された可能性はあるだろう。そういう事情が明らかになると、動物愛護家の中には「もうペットと一緒に燃える機内に残って一緒に最期を迎える」と騒ぐ人もいるようであるが、それもまた極端な主張になるわけである。

いや、気持ちはわからなくもないが。けれども、人間が生き延びることが一番重要であることは間違いないのである。生存のために最後まで努力すべきであることは言うまでもない。そうなると、「ペットと一緒に死ぬ!」と泣くのは不適切になるわけである。

いくら悲しくてもペットを残して自分はシューターで脱出して生を繋がなければならないのである。近代人には生きる意味なんてないと嘯いた以上は、生きられるだけ生き続けなければならないという宿業を持ってしまったわけである。もう「武士道とは死ぬこととみつけたり」と葉隠のように呟いてみても誰も聞いてくれなくなってしまったのである。

これは高齢化日本の宿痾になっていることは間違いないわけで、一応はDNARのガイドラインを厚労省は作ったけれども、その具体は現場で決めてくれと厚労省は投げ出したわけである。また、神経難病の患者がもう人生に絶望してこれ以上生きたくないと言った時に致死薬を処方したとされる医師には殺人罪か何かで有罪の判決が下っているわけである。

その時には同じ難病を抱えながら生き続けて参議院議員になった人は生きるべきという小文を公開されたし、それは同じ境遇にあったものとしての実感のこもったものであった。

明治大帝の崩御された暁には乃木希典大将は殉死したわけである。これは左翼の面々が忌み嫌う「国家神道」なのか武士道なのかは知らないけれど、そういう死の哲学というものは戦後は否定されている。

平和国家日本の哲学はひたすら生きよ、死んではならぬである。生きることの意味などはどうでも良い。死ぬことは敗北である。

じゃあ、ペットを死なせずに飼い主も生きるためにはもうペットを飛行機に乗せることをやめれば解決なのか。ペットについてはペットホテルなどもあるのでそこに預けるという手もあるだろう。そもそも飼い主の責任として車に乗せていける旅行の範囲しか行かないという人もいるかもしれない。(車の方が事故に遭う確率は高いそうであるけれども)

けれども、転居などのやむを得ない理由で飛行機を使わざるを得ない人もいるだろう。日本は島国であるので海外から日本もしくはその逆の場合には船では何日もかかるわけで、飛行機を使わざるを得ない人もいるかもしれない。そういう人のためにはペットの航空輸送という選択は重要になるだろう。

全て事なかれ主義で何もしない方が良いというのは日本人の好きな老荘思想に叶うかもしれないが、それでは進歩はないわけである。ペットの航空輸送については日本でも一部の航空会社では手荷物扱いでケージに入れてということであるが機内持ち込み可にしているところもあるようである。

ペット愛好家や動物愛好家たちはこれからも頑張ってペットの機内持ち込みについて航空会社と議論をしてほしいと思う。こういう愛好家たちの声に耳を傾けてリスクとリターンが釣り合う点を見つけるべきなのである。それこそが日本が事なかれ主義から脱出する一つの道かもしれないわけである。

事なかれ主義で「ダメだ」という強圧に萎縮していては世界では勝てないわけである。どれだけのリスクをとってどれだけの収益を上げられるかについてもっと多くの人が関心を持つようになること、また、そのリスクを実際に取って収益を増やす試みを実行してゆくことが社会の活性化にもつながるだろう。

世界はどんどんきな臭くなっているわけであるが、洞穴に隠れていれば大丈夫という穴熊戦法もどこまで通用するかはわからないのであるからやり方を少しづつでも変えてゆくべき時かもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?