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もう10年ばかり前になるが、高知県を旅行したことがある。まだ子供は小学校に入るかどうかという頃で、高知城を見て桂浜の国民宿舎に泊まって、四万十川を目指そうと国道を走っていると、多分黒潮町の辺りだったと思うが、海水浴場があったので、そこで一休みしようとしたのである。

子供らは海に行きたがったのだが、折しも台風が近づいているということでやや波は高めだった。水着に着替えたちびちゃんでもまあ、水辺で遊ぶくらいならいいかと連れて行ったら甘かった。

もう2mくらいの大波が襲ってきたわけである。頭を超える波の中で必死で上のお姉ちゃんを捕まえたが、下の子は座って遊んでいたから手が届かない。微かに足にしがみつく気配はあったけれど、もしかしたら波にさらわれて流されるかも、ということでもう南無三としかいえない数秒間を過ごしたわけである。

波が去って恐る恐る下を見たらおチビちゃんはなんとか私の足にしがみついたままであった。ホッとして二人を連れて砂浜の上の方に上がったわけである。その後にお姉ちゃんの水中眼鏡が波にさらわれたことが発覚したが、おちびちゃんがさらわれることに比べればなんということもない。あとでゆっくりと探したら10分ほどで見つけることができた。

普段は瀬戸内か日本海でしか泳いだことがないので太平洋を舐めていた。あんなの反則である。

この話を思い出したのはこういうニュースを見たためである。

今はもう老いぼれて無理だが、あの時ならばもしチビが波に攫われていたならばそのまま助けに泳いで行っただろうと思う。この父ちゃんの気持ち、浮き輪のまま流された我が子を助けに行った父の気持ちは本当によくわかる。

バカだねえ、プロを呼んで助けて貰えばよかったのにとか賢しらぶった意見などクソ喰らえなのである。我が子が命の危険に晒されたなら自分の命を擲ってでも助けに行くのが親である。

親は子に見返りを求めるものではない。命を捨ててでも子供を助け、守るのが親である。子供はそのことに感謝して次の世代としてしっかりと人生を送ればそれで良いのである。親のことは思い出した時に心の中で感謝していれば良いのである。親にとって子供がしっかりと成長して人生を送ってくれることよりしあわせなことはないのではないか。

そんなことを考えたのである。

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