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ロックダウンは核攻撃レベルの不適切な対策であるかという話

新型コロナを2類相当から5類に変更する話


新型コロナを2類相当から5類に変更することを検討すると首相が言い出しているそうである。まあ、どこやらで20世紀型の戦争をおっ始めた国があって、サヨクたちは某国は大日本帝国と一緒!と叫んでいるが、日本が柳条湖事件や盧溝橋事件をやったのは遠く1900年代の前半である。つまり、某国はおよそ80〜90年前の日本がやったことを真似したわけである。何と言う時代遅れなことをやったではないか。この暴挙を見て日本ものんびりと感染症で遊んでいるわけにはいかない、もう戦後は終わりだ、今は戦前であると日本政府も気合を入れたということなのだろうか。

ロックダウンと国民のパニック?

こういう某国の暴挙に対してある国際政治学者は、日本の(愚かな)公衆衛生医者どもは「ロックダウン」などと言って国民をパニックに陥れかけた。けれども冷静で賢い国際政治学者は「核戦争をやれ」とは言わなかったのである。と自画自賛(?)のツイートをしたわけである。

これについては、いくつかの国では実際にロックダウンを実行したのである。日本はむしろ国民の自由を剥奪できないという憲法上の制約、それを基礎にした新型インフルエンザ等特別措置法の思想ではロックダウンはできないから、有効な感染防御のために国民各自の自主的な対策という形で乗り切ろうとしたということであろう。

一斉休校について

それに、最初の緊急事態宣言の時には全国の学校を一斉に臨時休校させているのである。子供たちは春休みが早く来たので喜んだかもしれないが、子供たちの面倒を見なければならない親たちからは不評であった。特に初期のタイプの新型コロナでは家族内感染が主で、学校での感染拡大は稀であったということがわかってきたことも国民の不満を大きくしたので、もう文科省は「一斉休校はしない」と言わざるを得なくなったのである。で、デルタ株以降で子供の感染拡大が問題になったけれども、今のところ、文科省は「学校各自の判断で休校することは勝手にやればいいが文科省が旗を振って全国一律に休校させることはしない」という方針になっている。

恐らくは初期の一斉休校に文句を言った人で今なぜ一斉休校をやらないのだ!と叫ぶ人は普通に存在するであろう。某国については某革命を起こした国であることから、それを賞賛する人は某国が民間人を殺害するなどの明らかに戦争犯罪を起こしていても、某国による「悪いのは全部相手のネオナチである」というプロパガンダを無批判に信じてくれているわけである。最近は某国は「日本もネオナチ」と言い出しているのでどうするのか楽しみである。(多分、自分達を某国の眷属と見做し、それ以外の例えばアベとかネトウヨ、オタク男などを日帝残滓即ちネオナチだ!満州事変や日支事変を起こしたネオナチどもをやっつけろと言い出すのかもしれない)それに比べると感染症についてはもう無節操というしかないのである。

ゼロコロナつまり殲滅戦

恐らくはもう党首も変わったので過去のことと忘れてしまっているかもしれないけれど、日本の第一野党は「ゼロコロナ」を衆院選の時に掲げていたのである。つまりはコロナを全滅させろというスローガンである。そういう無邪気な選挙公約を掲げた某政党は「今回のコロナがそんなに簡単に根絶できると思っているのですか?」という批判を浴びていつのまにかトーンダウンして、ゼロコロナは新型コロナ患者があまりいなくなるようにすることみたいな言い訳をして、今ではそんな言葉が最初からなかったようなことになってしまっているのではないか。

医学の世界では、けれども、本当は普通に全滅作戦、殲滅戦を行なっているのである。もちろん相手は病原体などであるが。つまり感染症などの病気を治すということは体内に何百万、何千万個、場合によっては億を超える病原体を全滅させて体から追い出すことが求められるのである。みなさんが普通に飲んでいるペニシリンは一気に細菌を殺害しているのである。もう某国が民間人を数百人とか数万人殺害するなんてものではないわけである。サヨクの皆さんは「悪い日本人は南京大虐殺で30万人殺害した。日帝どもは南京攻略をしに行ったのではなく可哀想で善良な中国人をひたすら殺害するためだけに南京に行ったのだ。」というわけである。そんなあたおかな日本軍に蒋介石の国民党軍はなぜ負けたなんて言ってはいけない。それはテーマがずれてしまう。今はペニシリンの話である。ペニシリンであれば、細菌を人間に例えると、そんな30万人どころではない、中華大陸を綺麗さっぱり無人の野にしてあげますよという威力なのである。細菌にも生きる権利があるはずだ。人権ならぬ「細菌権」(ちょっと語呂が悪い)はどうしたなんて小さな叫びなど無視である。

コロナ治療薬について

今回の新型コロナはウイルスなのでペニシリンは一切効果がない。インフルエンザなどでは時々二次的に細菌感染を起こすからということで二次的肺炎に抗生物質を処方することはあるが、今回の新型コロナはウイルス性肺炎による間質性肺炎を起こすので、いくらペニシリンを投与しても無効である。
そのために多くの製薬会社は抗ウイルス剤の開発に力を入れたわけである。最初はアビガンが効果があるということで使用されたが、有効性を適切に示すことはうまくゆかなかった。米国ではレムデシベルが初めて正式に抗コロナ薬として承認を受けたわけである。他にもいくつかの薬剤が承認されているが残念ながら一部の日本人の期待を集めているイベルメクチンについては否定的な結果が報告されているようである。
これらのコロナ治療薬はウイルス自体を除去する薬剤と炎症を抑える薬に分けられると思うが、ウイルスをやっつける薬はウイルスの遺伝子であるRNAの合成阻害剤が多い。他には抗体療法の薬剤もある。

ウィズコロナの必要性

当然ながら、そこにはコロナウイルスの排除の思想しかないのである。ウィズコロナというコロナとの共存策はセカンドラインの戦略である。つまり、直感的にはウィズコロナは出てこない。第一義的にはゼロコロナで行くのが当然なのである。だからこそ野党は誤ったとも言える。
つまり、感染症対策は感染源対策、感染経路対策、感受性対策の三本柱である。このうち、急性感染症対策で重視されるのは感染経路対策である。いわゆるマスクや咳エチケットと手洗い、換気である。マスクや咳エチケットは飛沫感染を予防し、手洗いは接触感染を予防する。換気はエアロゾル感染の予防に重要である。
時々左派?なのか陰謀論者かわからない人が「空気感染!」って噴き上がるけれど、原則として空気感染は飛沫核感染である。エアロゾル感染は直径の小さな水滴なので、その小水滴の拡散は飛沫核感染に似るけれど、乾燥すると感染力はずいぶん低下する。本当の空気感染は乾燥して核だけになっても感染力を保持するものである。
いずれにせよ、日本の徹底した対策で、インフルエンザの流行は制圧された。コロナ対策を行ったこの2年間にインフルエンザの流行は日本では観察されていないのである。けれどもコロナの流行は継続している。どちらかと言うと恐るべし新型コロナというべきなのである。
それで、次に行うべきはワクチンである。つまり、感受性対策である。ワクチンで国民個々人の新型コロナに対する基礎免疫をつけて感染症に抵抗するというやり方である。それで、昨年は菅前首相と河野大臣で全力でワクチン接種を行ったわけである。現在では人口の8割の人が2回接種を終了しているが、デルタ株やオミクロン株ではウイルスの大量複製が起こって、ワクチン接種者であっても感染が起こってしまうことが報告された。そのため3回目接種の必要性が主張されたわけだ。
下が発熱者を対象としたコロナ発症リスクを調べた研究結果のようである。今年の1月の状況であるということなのでデルタ株からオミクロン株に移行したところであろうと思われる。

このデータを見ると、未接種者では感染陽性の人が多いが、ワクチン接種者でみると感染陰性の人が多い。これがワクチンの効果といえるだろう。オッズ比でみても、2回接種、もしくは3回接種ではオッズ比が低くなっている。5%の有意水準ではいずれも有意差が出ている。このオッズ比は陽性比率になるのでオッズ比が低いということは陽性になったものが少ないということを表しているだろう。いずれにせよ、ワクチンでは発症をゼロに抑えることはできないというのも事実である。このことからはできるだけワクチンを打って、基礎免疫をつけることで発症リスクを減らした上で感染予防行動は継続し、医療機関への負担をできるだけ減らし、不幸にも感染してしまった人がスムーズに医療機関で治療を受けられる体制を構築する。これがウィズコロナである。
そういう事情を知らない人は単純にゼロコロナと叫びたくなるわけである。

恐らくはHPVワクチンで反対運動をしたような人はワクチンの副反応!と叫んでいるのだろうと思う。けれども、最近はLong COVIDといって、感染を起こした人に一定の後遺症が出る可能性があるわけである。こればかりはいくらPCRを行って感染初期に見つけましたといっても防げないかもしれないのである。それを防ぐには感染予防行動の継続とワクチン接種であることは言うまでもない。
その上で発熱者にしっかりと検査してウイルスを検出して適切な感染診断を行い、治療に結びつけてゆくことが重要であろう。
人口ベースでPCRをして不顕性感染者を見つけてほしいという人は自らの安心を得るためには自費で検査してほしいわけである。

この新型コロナを5類相当にするというのは長期化した感染対策で各業界が経済の停滞を何とかしてほしいという気持ちの表れに対応したいという首相の気持ちでもあるのだろう。反ワクチンたちの妄動を抑えてワクチン接種を行なって基礎免疫をつけたわけである。コロナはただの風邪と言いたい人の本心もわかっているんだよとも言いたいであろう。ワクチンもコロナ医療も無料でやっているということは国庫の負担も大きいであろう。それなら景気良く「コロナはもう終わった!経済再開!」って言った方が来たる参議院選挙での人気も上がるに違いないわけである。

けれども、微減しつつあるとはいえ、東京の1日新規感染者数は8000人台を持続しているのである。新しいBA.2系統の次にはXE系統が出ているというニュースも報じられている。インフルエンザでは年一回の変異であるのがもう年数回も変異しているので大変である。どうしても元のやり方にしたいというのが保守的な人間の性なのだろうが、新しい方法に適応してゆかねばならないことはやむを得ない部分もあるだろう。
けれども、オミクロン株では死者数は減少したのではないか。(もちろん間接死亡数がどうなるかは重要であるが)つまり、忍耐強くさまざまな対策を継続することで、感染はするが死亡には至らない疾患にすることが重要なのであろう。それまでは政府もなかなか終結宣言や安全宣言は出しにくいと思う。これがウィズコロナの必要性である。

ロックダウンは国民をパニックに陥れる不適切な対策であるか

けれども、悪性の変異株が大流行を起こして死者数が増えるようであれば、その場合にはロックダウンは想定される対策に上がってくることはやむを得ない。ロックダウンを核攻撃のように忌避して、感染死の増加もやむを得ないではないかというのは適切な判断ではあり得ないのである。もちろん不必要にロックダウンをかけまくるのは良くないことは当然である。けれども、現実に隣の国、北京オリンピックを無事開催した中国は現在、上海でロックダウンを絶賛継続中なのである。それは徹底的な検査では感染を抑止できなかったという証拠であるとも言える。唾液だけでなく肛門検体まで採取して徹底的な検査を行っていた中国でさえ流行の波を抑えられなかったというのが現実なのである。
日本は軍隊もないし、緊急事態要綱もないので戒厳令のような強制的なロックダウンはできない。しかし、感染の波を抑えるためには国民の自発的な意志による強力な感染経路対策を行う余地は残しておく必要がある。そして、パニックを抑えるためと称して感染が明らかに広がっているのに「大丈夫だ」とだけ言って不作為を決め込む方が国民は不安と危険を感じてパニックに陥りやすいのではないかと思うのである。国民は一定の見識があるので、大流行時にはきちんと感染経路対策の一種としての必要性をきちんと説明して自発的な行動制限を求めた方がむしろパニックを抑制できるし、効果も高くなるのではないかと思われるのである。

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