こども家族庁

たまたま昨日は国会中継を聞く機会があって聞いていたら「こども家族庁」についての質疑があった。これはこどもを主題とする部署になるので「こども庁」の方がいいという意見も根強くあるようである。

私は「こども家族庁」の方が良いと思っている訳である。これは端的に言えばこどもが育つには家庭的環境が必要だからである。多くの左派は例えば三歳児神話は誤りであるとか、母親の代わりに24時間保育の保育所の保育士さんに愛着形成すれば良いとか適当なことを言うけれども、やはり幼少児では愛着障害によるwithdrawalについては考慮する必要があるのである。

毒親

もちろん、機能不全に陥った家族の中で思春期に到達したこどもたちは自分の実親を「毒親」と認識してそこから離脱しようという人もいるだろう。けれども、それはいわば巣立ちの時期が少し早まったというだけに過ぎない。そういうこどもたちを一人で放り出して良いかということになると、やはり、親代わりというかサポートが必要であり、「毒親」を捨てたこどもたちが本当に独り立ちできるまで見守る必要がある。こういうサポート、見守り体制は子供達にとって一種の新たな家族と認識すべきではないか。

児童虐待

そういう視点から見るとこどもの健康な育ちを支援するためには家族を支援する必要があるのはもういうまでもないと言える訳である。児童虐待にしても、多くの事例では家族再統合が目指されている訳である。けれども、例えば親たちが「体罰は虐待ではなく躾です」と言ってみたり、ネグレクトや暴言について、その事が子に与える悪影響に気づいていない場合には再統合が困難になる。仮にそういう環境が是正されないままこどもが帰ってしまうと、再び親からの体罰という暴力が再開したり、暴言を浴びせられたり不適切な養育が行われたりということでこどもが苦しまねばならない。この場合、保護者が適切な養育を受け入れていないにもかかわらず、親は自分では正しい育児をしている、だから自分は正義であると感じているかもしれない訳である。彼らの正義の感情は例えば児童相談所の介入を不適切なものと考え、医師による虐待通報について、こんな小さな、些細なことで文句を言うのはおかしいと感じるかもしれない。

けれども、こどもたちはその過程で確実に傷ついてしまう訳である。この傷が大きく深くならない間に他の人たちが、この場合は児相や役所などの行政になるかもしれないが、早く気づいて対処する必要がある。なにしろ親たちは自分達は正しいことをしているのだからこどもたちが傷つくはずはないと信じ込んでいる訳である。大人にとってはただ冗談で、じゃれ合っているだけのつもりの一撃がこどもたちには大きな打撃になることも往々にしてある。

もし、傷が広く、深くなってしまえばその傷が癒えるにはもっと長い年月が必要になるかもしれない。大人にとってみれば「たかがこれくらいのことで」と思うレベルがこどもたちに深刻な傷を作ることがある。その癒しをもっと効果的に行うためには家族から切り離して社会的養護、それも家庭的な養護による愛着の再形成が必要になる場合もある。場合によっては特別養子縁組や親権停止などによる実親との完全な分離が必要になるかもしれない。

そういう判断を行うためには例えば家庭裁判所や児相の職員ももっと専門性を持った人材を積極的に育成するべきだろうし、そういう人材を増員することが必要だろうと思う。里親も例えば養子の代わりという誤った感覚ではなく、社会的養護を担う一員としての自覚や専門知識を積極的に獲得してゆくことが必要で、里子を預かった場合に更に適切な家庭的養護を提供できるようになってほしい訳である。

離婚家庭

一方では離婚においても、現状のように離婚後単独親権にして他方の親の親権を喪失させることが本当に適切であるかどうかは議論される必要がある。婚姻中の育児が母親に偏ってしまう、いわゆるワンオペ育児については多くのフェミニストたちがそれを父親の不作為であると非難した訳である。離婚して母親が9割の親権を得る現在では父親の関与は養育費くらいしかなくなるので、例え月に一度くらいの面会交流が行われたとしてもほぼ母親によるワンオペ育児になってしまうのであるが、それは適切と言えるのであろうか。むしろ共同養育を推進することで母親の負担を減らす方策を考えないと、母親の負担が大きくなりすぎることについてはどうなのだろう。

先般、18歳未満のこどもに対して10万円の給付を行うという事業について、児童手当のスキームを使用した結果、昨年9月以降の離婚成立事例について、離婚前の情報しか得られないため、支給金が非養育親の口座に入ってしまうということで、明石市の市長や野党の立憲民主党が「非養育親は(悪人であるから)支給金をギャンブルなどに使ってしまう危惧がある。国が責任を持って養育親に支払うようにせよ」という主張を行い、国もその主張を認めて改めて養育親に支払うことにしたようである。

この場合、非養育親が例えギャンブルに10万円使ったとしても、お金に色は付いていないので、例えば、面会交流時に同額を使用した場合にも非難されるべきなのか、もしくは養育親の方がその10万円をギャンブルに使った場合にはどうなのかとか、非養育親が養育親側に既に支給された10万円を渡している時に更に10万円を支給された場合にどうするのかなど、微妙な問題になりそうである。国が一括して解決するのは困難そうである。

養育費の取り決めについても、平成28年のひとり親調査ではおよそ半数が養育費の取り決めを行っておらず、その理由として「養育費をもらうことよりとにかく非養育親と会いたくなかった」というものが3割程度であった。「非養育親側に養育費を支払う意思がなさそうだった」と「そもそも非養育親に養育費を支払う能力がない」を併せて4割程度であるらしい。それで、「現在養育費を受け取っている」という人が24%程度であった訳であるが、そもそも養育費の額すら取り決められていないので、取り決めた人が全員支払ったとしても50%にしかならない訳である。これについてはむしろ強制的に養育費の取り決めを行うように推進しなければならないのではないだろうか。

DV

また、それ以外に、モラルハラスメント、DVの問題が離婚においても取り上げられることが多いのだけれど、家庭内の事例になるので証拠もないことがしばしばあるDVについて裁判所はきちんと評価できているのかどうか。特に子供に与える影響についての評価をしっかりおこなっているのかどうかということについては常に不安である。

女性相談員の人は配偶者から理不尽な暴力を受けるDVの被害に遭う女性を一人でも救おうと頑張っていることはよくわかるのである。けれども、DVは基本的には夫婦間の問題である。場合によっては夫・父親の暴力が妻だけでなく子供にも拡大している場合があるのは当然あり得るのである。この時、自分の意思を表明できるこどもたちが自分の意思で母親とシェルターにゆく場合は問題はないと思うが、こどもが幼少の場合には親の意向が強制となって止むを得ず従わざるを得ない場合も起きているのではないか。つまり、妻・母親は当然、自分に向けられている暴力が子供にも向けられていると信じているが、実際にはこどもにはその暴力が及んでいない場合である。その場合、こどもは表現力の幼さから誰にも気づかれることなく非養育親の喪失に耐えなければならないのではないか。

このようなDVは多くが家庭内で起こるため、目撃者も少なく証拠にも乏しいことが多い。本来ならば家庭裁判所でDVの認定を行い、加害者の接近禁止命令などを行って、こどもにもDVが行われていたと確認することが必要なのであろうが、少なからぬ事例でDV申請による行政の住所秘匿措置は行われるが、シェルターに入った後はなし崩しに自立支援ということになり、なんのアセスメントも入ることなくこどもにとっては親子分離が行われてしまっているのではないだろうか。

真のDVについて、こどもが危害を加えられる危険がある場合には親子分離を行うことが適切であるというのは当然である。ただ、DVでは親子の再統合という道は閉ざされてしまうので、不十分なアセスメントで拙速に親子分離をしてしまうことには副作用が強いかもしれない。やはりこども家庭庁では是非DV事例のアセスメントをきっちり行って、親子分離の妥当性について確認を行ってから必要事例に親子分離を許可するという方法を採用してほしいものである。

いや、実際には国会の議論はこども庁が内閣府と厚労省の部局の合体であって、文科省をこども家庭庁にくっつけないのはなぜかという議論であったと思うけれど。

こどもの貧困とまとめ

最後にはこどもの貧困という問題があって、日本では流石に餓死するレベルの絶対貧困はほとんどないが、必要な日用品を十分に購入することのできない相対的貧困のこどもは多い。特にシングルマザー家庭における相対的貧困はかなり多いということがわかっている。もちろん、その日の食事に事欠く状態にこどもを放置するのは良くないのだけれど、だからといって、こどもはパンさえ与えておけば生きていけるじゃないかなんて能天気なことを言ってほしくはないのである。こどもが健全に成長してゆくためにはもっと多くの支援が必要である。その支援を継続的に供給するためのシステムが「家族」であり「家庭」である。家族や家庭が欠けた、もしくは機能が不十分な場合には行政が積極的に乗り出さなければならないのである。

そういうことになると、行政は直接こどもを支援する必要がないわけではないのだけれど、というかそういう場合も多々あるのだけれど、多くは家庭を支援することで間接的にこどもを支援する形式が一般的になるのではないか。そうなると、新しい省庁は「こども庁」よりも「こども家庭庁」の方がふさわしく思えるのである。

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