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犬吠埼

私はアホだ。昔から注意力散漫なところがある。大事なものを忘れ、肝心なことを間違える。たとえば財布を家に忘れて、電車を乗り過ごし、鍵を失くす。昔勤めていた会社で、メールのCCだけ完璧にしてTOの部分を入力し忘れたことがあった。怒られるというより呆れられた。

真面目な顔をして、適当なところでウンウンと相槌を打つから、よく話を聞いていると周りから思われてしまう。子どもの時分はそれだけで教師から褒められたが、社会に出てからは上司が私に期待し、失望していくのが見て取れた。

今朝は8時5分発のバスに乗るために5時に起きた。東京駅に着いたのは7時過ぎ。忘れ物を取りに戻ったり、道に迷うことが多いので、いつも余裕を持って早めに出るのだが、今日は大丈夫そうだと安心した。小一時間ぷらぷらと時間を潰し、それから7時55分発のバスに間違えて乗車した。私が目指していたのは犬吠埼、このバスの行き先は成東。いったいどこなんだ、そこは。

東京駅で浮かれて手づくり風おにぎりを買っていた三十分前の私に、しっかりしてくれと伝えたい。家を早く出る努力をするより、脳に電極か何かを付けて刺激した方が良いのではないか。
慌てて「成東」を調べた。銚子駅までJRで一時間ほどで着けるようだ。どうやら計画を大きく変更しなくて良さそうだ。ひとりで来てよかった。ほっとして目を閉じた。

バス停に到着し、成東駅に向かう途中でまん丸の猫がいることに気がついた。

千葉産の猫だ。かわいい。丸くてとてもえらい。

駅のホームに着くとまもなく、黄色いラインの電車がやってきた。これを逃したら次は三十分後だ。ちょうどよかった。

一時間ほど電車に揺られ、銚子駅。醤油が名産で、ヤマサ醤油とヒゲタ醤油の工場があるらしい。

まずは銚子駅から銚子港へ。

とにかく風が強く、冬物のコートを着ていても寒かった。歩いていると足を取られそうになる。写真では晴れているように見えるが、肉眼で見た空はねずみ色であった。
しかしすごい船の数に圧倒される。朝10時過ぎ。時間帯のせいか、天気のせいか知らないが人気はなかった。

本当は海沿いをひたすら歩きたいと思っていたが、残念ながら歩道が整備されていない。大きなトラックの走る車道の脇を歩くのは厳しい。住宅地の中を歩いた。

ランドマーク、銚子ポートタワーについた。中に入ると、受付にお姉さんがひとり。観光客の姿はない。展望エリアのチケットを購入し、エレベーターに乗るよう案内される。

4Fの展望エリアもまた観光客はいない。売店も開いていない。このうら寂しさがたまらない。自分ひとりなのが嬉しく、ぐるぐると余計に歩き回った。

展望エリアから見下ろすウオッセ21。銚子ポートタワーから連絡通路で繋がっている卸売センターだ。美味しそうな海鮮の店がいくつかあったが、一食分を食べるほどにはお腹が空いていない。さつま揚げを買って、食べながら次の目的地まで歩くことにした。

歩道の真ん中に猫がいる。近づくと「来るな」という顔をして逃げてしまった。

どうやらこいつを食べていたらしい。邪魔して申し訳ない。

儀式のように定間隔で落ちているワンカップ。

一時間ほど歩いて、君ヶ浜についた。かなり荒れている。海岸にいるのは私とこの軽トラだけだ。次の目的の犬吠埼灯台が見える。

歩き疲れたので、しばらくここに座り、強く打ち寄せる波と、微動だにしないカモメを眺めていた。

軽トラのお兄さんはラジオを聴きながら海を眺めている様子。これはいつまででも見ていたくなる海だ。この力強さを見ていると、「のまれたら死ぬ」という恐怖を感じる。

犬吠埼灯台を目指し、君ヶ浜を歩く。

犬吠テラステラス。犬吠埼灯台の真横にある小さな商業施設だ。銚子産の品を扱う店や、カフェ、ベーカリーが入っている。

おしゃれだ。銚子ポートタワーには人っ子ひとり居なかったというのに、家族連れやツーリングの若い人たちで賑わっていた。やはり人はおしゃれなところに集まるのか。人はおしゃれな空間に時間も金も使うのか。

展望テラスにはベンチやハンモックが設置されている。ホットのクラフトコーラを購入した。これが美味しい。冷え切った体を温めてもらった。

犬吠埼灯台を後にし、お昼ご飯。定食と回転寿司を選べる島武水産に来た。犬吠エリアの料理屋を調べると必ず上位に出てくる人気店のようだが、ここも人はまばらで、入店後すぐに席へ案内された。

本日のおすすめからアジ、生たこ、本マグロ、平目のエンガワを注文。美味しい。ネタが肉厚だったのですぐにお腹いっぱいになってしまった。本当は「漁師のプリン」と呼ばれている伊達巻寿司を食べてみたかったのだが、また次回にする。

最終目的地の温泉に向かう途中。写真を撮ろうとしゃがみ込む私に一瞥くれて、ずんずんと歩いていく。やはり海沿いの猫は毛艶が良い。

犬吠埼観光ホテル。立ち寄り湯をやっているのと、風呂の評判が良かったのでここに決めたのだが、外観の古さを見て少し躊躇してしまう。事前に調べた内観の画像と結びつかない見た目をしている。本当にここで合っているのか。

内観はとても綺麗だ。やはり潮風のあるところは外壁がやられてしまうのだろうか。

券売機でチケットを購入し、タオルを受け取って浴場へ。脱衣場から洗い場へ行くと、もうすでに右手には海が見えている。

はやる気持ちを抑え、身体を洗ってから露天に向かうと、眼前いっぱいの海に思わず声が漏れてしまう。風呂を仕切るのは透明のアクリル板のみ。海も、犬吠埼の灯台もよく見えた。

少し熱めの湯ではあったが、空気も風も冷たくてそれが気持ちよく、いつまででも浸かっていられそうだ。激しく波打つ海を見ていると、仕事のことも、生活のことも、考えようとしても考えられない。ただ心地よい感覚に身を任せるだけだった。

ラウンジのソファで少し休憩させてもらった。

温まった体で外に出ると、冷たかったはずの空気が変わっていた。温泉の効能かと思ったが、どうやら晴れてきたようだ。

この後はもう帰るだけなので、もう一度犬吠埼灯台に戻ることにする。

キャベツ畑。

晴れた。

日が暮れるまでぼーっとしていた。

帰りの宿をとっていないので、帰路につく。このままどこか素泊まりしてもよかったかもしれないが、暗くなってきたことに焦りを覚え、バス停を探す。暗くなり始めると加速度的に暗くなっていく。

やや埋まっているバス停。もはや隠れているに近い。これがなかなか見つけられなくて本当に焦った。犬吠発のバスは18時38分が最終で、それを逃したら銚子駅まで戻らなくてはならない。もう少し何とか目立つようにしてほしいが、車で来る観光地なのだと思う。このバスを待つのは私の他に、地元の人がひとりだけだった。

近頃は仕事のストレスから逃れるため「何かに取り憑かれたい」という思いで、とにかく歩いている。これといった趣味もなく、特技もなく、人と会うのも気疲れするので、他にできることが思いつかない。
今日は22km歩いていた。なかなか良い感じに取り憑かれていたような気がする。楽しいと思える一日だったが、歩くほどにもっと歩きたい欲求が出てきた。

東京駅行きのバスに乗り、シートベルトを締める。疲れていたが眠れなかった。真っ暗な中に流れていく明かりを眺めながら、次にどこを歩くべきか考えていた。

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