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お伊勢さん

 お伊勢さんと言えば誰しも「伊勢神宮」を描く。そしてそれは三重県伊勢市にある神社本庁の本宗だ。
 しかし、佐賀で「お伊勢さん」と言えば、一部ではあるが「伊勢神社」を頭に描くことになる。
 伊勢神宮と伊勢神社。天文の頃、1542年に伊勢神宮の御分霊を奉祀しと公式HPにもあるように、日本で唯一の正式な伊勢神宮の分社である。1542年と言えば、信長の親父の時代であり、武田信玄や今川義元の時代です。
 その当時、今の佐賀県神埼市の杉野隼人という人物が18歳から44歳までに53回も伊勢参りをしたことで、特別に御分霊ということになったそうです。

 時は戦乱、という時代に佐賀から三重まで53回もというと本当にすごい偉業です。
 その後、鍋島直茂(肥前佐賀藩藩祖)の時に鍋島蛎久の地に移動、1605年に遷座建立され、昭和1940年に紀元2600年を記念して改築、現在に至ります。(公式HPより)
 文字を羅列するだけなら、「へぇ」という感想のみの内容ではあるんですが、伊勢神宮は天照大神を奉る神社本庁の一番上の神社です。気軽に信心深い人がいるから、何回も伊勢参りにきてすごいからという理由で分社なんてできるんでしょうか?
 また、鍋島直茂が信心深い人だったから、そのお膝元へ。2600年記念でまた別の場所へって本家でも社を移動するのに大規模な儀式を行うのにそんな気軽に移動していいものなのだろうか。そんな疑問がわいてきます。
 そして注目すべきは日本唯一の伊勢神宮の分社にも関わらず、その情報が広く発信されていないこと。

 さらに佐賀の地であること。

 そして天照大神を奉る神社であること。
 先に天照大神=卑弥呼、邪馬台国=北九州説が有力、崩れた神の系譜という話をしました。つまり、本来あるべき場所は三重県伊勢市ではなく、佐賀県神埼市ではないのだろうか?ということです。
 吉野ケ里公園をWikipediaで調べると「佐賀県神埼郡吉野ヶ里町と神埼市にまたがる吉野ヶ里丘陵にある遺跡」とある。
 邪馬台国跡が吉野ヶ里遺跡だとするのであれば、そこの女王である卑弥呼の墓はその周辺にあると推測されます。そして、卑弥呼=天照大神だとするのであれば、墓の上に天照大神を奉る社が建てられてもなんの不思議もありません。
 杉野隼人が信心深い人だったからという理由で御分霊を行うより説得力のある話ではないでしょうか。
 仮に杉野隼人が神の系譜である天皇に疑問を持ち、調査し、真実にたどり着いた時、行の正しさの証明のため御分霊を認め、口止めをされたと考えれば。さらに杉野隼人の信心が本物であり、本物の天照大神にお参りすることが望みであるならば、本家に本物と非公式に認めてもらい、公式に御分霊をされた社へお参りをその後行うことは納得の行動ではないだろうか。

 もう一つ、ここで出てくる鍋島直茂についてだが、もちろん佐賀七賢人の鍋島直正の先祖である。藩祖とあるが、実はここにも疑問が多い。
そもそも肥前を統一したのは龍造寺隆信という戦国大名である。鍋島直茂は竜造寺隆信の家老であり、大名ではなかった。
 竜造寺隆信が敗死(戦死)し、家督を龍造寺政家が継いだが、政家が病弱だったため、国政を鍋島直茂が掌握する。
 豊臣秀吉の命により、政家は隠居させられ嫡男の龍造寺高房に家督を相続させられ、その際、鍋島直茂にも44,000石が与えられ大名並みの所領を得る。その後、徳川家康の世になるも高房は家康に無視され、現実的には直茂が肥前を支配している状況となる。

 この状況に悲観し、絶望した高房は妻を殺害し、自殺を図るが家臣に止められる。精神的に病んでいった高房は再び自殺を図り死亡する。
名目上とはいえ、肥前の支配者であった龍造寺高房が亡くなったことで肥前は迷走するかに見えたが、龍造寺の家臣が鍋島直正を推挙し、幕府も承認。
佐賀藩357,000石の所領安堵の朱印状が交付され、肥前佐賀藩が正式に成立し、鍋島直茂が藩祖となる。
 佐賀藩としては安泰の世となるが、高房の亡霊が城下に現れるという噂が立ち始め、高房が飼っていた猫が化けて鍋島家に復讐をするが、鍋島家家臣により退治されるというのが化け猫騒動の話であるが、都市伝説と噂話と創作の合作と思われる。
 龍造寺家から実権を奪った直茂は81歳でこの世を去るが、高齢の大往生ではなく、病にもがき苦しんだ上に亡くなるという死に方だったらしい。
激痛に悶え苦しむ悶死。高房の呪い?化け猫騒動が真実味を帯びてくる。
 直茂のことをつらつらと書いてみたが、豊臣秀吉も徳川家康も龍造寺を無視し、鍋島直茂に有利になるようにことを進めている様子が伺える。さらに、鍋島直茂が信心深いという理由で伊勢神社も現在の佐賀県神埼市内から佐賀市内へ移動される。

 鍋島直正の功績、反射炉の建設、アームストロング砲やガトリングの製造、蒸気船の製造など新政府軍vs幕府軍の争いの中、鍋島がどちらにつくかで戦況が決まるとまで言われたにも関わらず、新政府の要人のポジションを与えてもらっていない謎と考えると鍋島は歴史の表にでるべき人間ではないが、歴史の中で重要な人物であり、それは時の権力者が無視できない地位の人間である可能性が高い。 

 仮にお伊勢さんとの強固なつながりをもつ人物、それが鍋島だった場合、そのつながりは時の天皇にも届く。そうなれば、時代の覇者、豊臣秀吉、徳川家康も無視できない存在である。
 江戸時代末期、世界を見て、反射炉を建設し、アームストロング砲やガトリング、蒸気船を製造していた鍋島直正は本当に世界を見て考えていたのであろうか?それとも倒幕が本来の目的だったのだろうか。
 天皇親政体制への移行、本来あるべき神が治める地「日本」への移行それが鍋島の目的かもしれない。

 諸説あるそうだが、鍋島家の出自は山城国(京都府南部、奈良と京都の県境あたり)であるという話もあるらしい。
 そうすると、杉野隼人は本来の天照大神(=卑弥呼)を、鍋島家は伊勢神宮が奉る今の天照大神を崇拝しているのだろうか。であれば、本来の天照大神の墓の上にある神埼市の伊勢神社は別の場所に移したいと思うのかもしれない。そうすることで、佐賀のお伊勢さんを無力化(卑弥呼を無かったことに)することができたと考えるのも面白い。

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