「不良」の「おたく批判」、まだやってんのか

庵野秀明監督の「シン・仮面ライダー」が公開された。
賛否両論、いろいろあるが、庵野監督はもともとアンチの多い監督だとは言え、彼が作品を発表するたびに、ネット上で起こる「おたく論(もしくはおたく批判)」は、もう観ていられないくらい後退してしまっていると感じる。

というより「おたく」をめぐる言説は庵野監督抜きにしても、ずいぶん減った。
理由は私の感覚では「おたくの浸透と拡散」だ。「推し活のススメ」みたいな言説は、個人的見解では「おたく論の成れの果て」である。
その果てには「東京カレンダー」を妄想した「ただおごってもらいたいだけ」の勘違い男女がいるだけだ。なぜかはみなさんの宿題です。

庵野秀明監督と言えば、2000年代くらいまでは「おたく監督の代表」というくくりだった。現在は、庵野監督の作品に言及する際、彼の個人的な趣味・趣向から論じられることが多い気がする。
ま、どちらにしろ、「庵野監督を異常に憎んでいる一定数の人たち」(こういう人たちが本当に存在するのだ)をのぞけば、その意見の多くは凡庸なものだ(偉そうだが、ほっといてくれ)。

この間、ネットで見かけた意見としては、ドキュメンタリー監督の、
「どうして庵野監督はキンタマ(心の奥底の本音をからめた「身体」のようなものの形容、と考えてほしい)を出さないのだ」という意見があった。

映画的教養が豊富で、引用や本歌取りなどにこだわる「おたく的な監督」が、なかなか自分の本音を見せたがらない、たとえを使うと「拳で語り合うような作品をつくらない」という批判は、80年代くらいからある。
というより、「作品における本音とか作者の情念とか、そういうもの」を、剥き出しで語ることこそがカッコいい、そうでなければならない、みたいな言説が、現在に至るまでずっとあるのだ。

そういうのをネットでいくつか読んで、心底うんざりした。
まだそういうこと言ってるんだ、と。
たとえば芸人が、自分の女性遍歴や過去の軽微な犯罪歴などをさらしたら面白いのか。それが人間性をさらけ出したことになるのか。
音楽でもそうだ。とくにロックミュージシャンとかは一時期、露悪的にふるまうとカッコいい、みたいな傾向があった。

で、そんなような「いつまでも仮面ライダーとか幼稚なこと言ってないで、本音をさらせよ」みたいな言説、心底嫌い。ただ不良ぶってるだけ。

っていうか、もうクリエーターが不良ぶるのが観ていられない。本当の不良だったらいいけど、不良ぶってる人は観ていられない。

かつて70年代、子供たちの間でボス的な立場の子たちは、「仮面ライダーごっこ」で他の子たちを常に怪人役に仕立て上げ、ライダーキックを見舞った。
どう観ても、庵野監督はそのタイプではない。
「シン・仮面ライダー」が、「ライダーごっこでライダーキックをやられた側の復讐戦」だと考えると、しっくりくるところは多い(まあ実際はそこまで単純なものじゃないだろうが)。

それを、「ライダーキックする側だった」、「マッチョな人々」が、
「なぜ庵野監督は(比喩としての)キンタマを出さないのだ」とかよくほざけるもんである。

おめえがキンタマ出してみろよ。
あ!? 出してみろよ!!!!!!!!!!
おれがスペシャルゴールデンミラクルライダーキックでおめえのキンタマをスクランブルエッグにしてやらあ。
その後、自分で手当てしろよ。

おしまい




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