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法事でどら焼きを自分のために買う人

昨日は法事だった。
私、妹、義姉、義姉の息子(つまり甥、四十代)が集まった。

その数年前の法事の際、私がお寺の場所がわからず通り過ぎてしまい、その先にあった和菓子屋に入って、
「〇〇寺はどこですか?」
と聞いて、戻ってお寺に行ったことがある。

その際、甥はすでにお寺に来ていた。そして、
「さっき和菓子屋に入っていたのを観てたよ」
と言った。
つまり、私がお寺の前を通り過ぎた後に、甥がお寺に入り、その後、私がお寺に着いたということだ。

その場にいる人たちはそれを聞いて、みんな笑っていた。

どういう「笑い」かわからなかったが、私が食いしん坊で、法事の前に和菓子屋に寄ったと、甥は勘違いしていたようだった。
そのときに、「別に和菓子を買いに行ったんじゃないよ」と否定したかどうかは忘れてしまった。
しかし、なぜか「自分の行動を、人知れず見られていて、それを誤解された」ということが妙に心に残っていた。

一方で、「実にどうでもいい話だな、こんなことは甥もそのうち忘れてしまうだろう」とも思っていた。

そして昨日。
法事の後、甥が、
「前の法事のときに、和菓子屋でどら焼き買ってたでしょ?」
と言ってきた。
どら焼き? そもそも法事に行って、お寺へのお土産に持っていくならともかく、自分のためにどら焼きを買う人は少ないだろう。

仕方ないので、説明した。
「お寺への道がわからなかったので、和菓子屋に入って聞いただけだよ」
と。
甥は「へー」と言って、この話は終わった。

しかし、甥がとっくに忘れていただろうと思っていたことをいまだに覚えていたことに驚いた。
甥の中では、私は法事の前に和菓子屋に寄って、自分のためにどら焼きを買う人間だと、数年間思っていたことになる。

なんなら、両手にどら焼きを一個ずつ持って、交互に食べながら登場すると思われていたのかもしれない。

そんな人、いないよ!!

おしまい

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