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2019/2/28 傘をさすのが面倒くさく、生きるのも面倒くさい人【書けないシナリオライターの書けない日記】

旅行帰りの朝。目が覚めたら雨が降っている。日頃は誰に頼まれたわけでもないのに好んで10キロ20キロ歩き回っている私だが、雨だと傘をさすのが面倒くさいので一切家から出たくなくなってしまう。傘をささなくていいなら全然OKなんですけど。

ということは雨が嫌いなのではなく傘が嫌いなのか? ちなみに地元では傘をさすのが何となくダサい行為と認識されており、ヤンキーの皆さんはいつもびしょ濡れで歩いてた印象。私はメガネでお下げの陰キャこれに極まれりな中学生だったが当時から傘をさすのが面倒だったので高野豆腐の煮物くらい濡れそぼって歩いていた。あの時の私はちょっとだけイケてたのかな。中学生の頃は今以上に自分を好きなところが1ミリもなかったので、「お前、結構イケてるよ」ってビショビショの私に言ってあげたいわ。

8時頃布団を出て25日から中断していた日記を改めて書く。そして夜になって1日が終わった。書き損ねていた日記を書くために1日使うってどうなんだと思うが、こんな日を持てるのも休んでいる者の特権なのだろうなぁ。

あと、仕事関係のメールが来ていたので「えいやっ」と気合を入れて返信した。これまでの私だと、そもそも恐ろしくて見ることさえ出来ていなかっただろうから頑張ったと思う。いや、「メール見るのも返信するのも当たり前だろ」と張本人の私だって思っているので、それをやった程度で《頑張った》と言うのは恥ずかしいのだけど、私は自分が何をしても大して褒めなかった結果、病み病みの病みになってしまったため、最近は自分というものの育成方法を変えてみようと努力している。めちゃ難しいのだが。

しかしまともに働けなくなってから思ったのだけど、何でみんな自分にこんなに厳しいんだろう。(あれ、もしかしてみんなじゃなくて私だけか? でも人の言っていることとか聞いてたらみんな厳しい気がしたんだけど)

もし友達が仕事に行けない、できないって言ってたら「今まで頑張ってたから疲れちゃったんじゃない? 大丈夫?」ぐらいの言葉をかけるはずなのに自分に対しては「死ねよ」の一択だったから思い返すと怖い。だって人にいきなり「死ねよ」って言ってくるってほぼ狂人じゃんか。けど自分には挨拶程度の気軽さで死を強要するからすごい。

でも、そうなる理由自体はわかっている。私が「大丈夫?」って尋ねる友達に対してはちゃんと信頼があり、「この子がこんなに追い詰められるってことはきっとすごく頑張ったんだな」って前提があるから優しい言葉をかけるのだけど、自分に関してはその信頼がなく、《こいつちゃんと頑張ってんのか?》みたいな疑いがあるから冷たくしているのだと思う。体感としては頑張ってきたつもりなんだけど、私は私の頑張りを全然評価していない。まぁ正直、今も「もっと頑張れたはず」「ほかの人はもっと頑張ってるはずなのに」って気持ちはまったく消えていないんですが。

何なんだろう、この一生幸せになれそうにない考え方は? いわゆる『毒親』的な思想じゃないか。親はそこまでアレなタイプじゃないはずなんだけど、私が私に対して毒親になってしまったのは何が原因だったんだろう。

そういえばこんな本を読んでいた。「生きるのが面倒くさい…えっ、私のことじゃ~~~ん!!!!?」と思い手にとったのだった。私は幼少時から「何らかの創作を行い、それで身を立てる」という目標を持っている時だけ生きることに意欲的になれ、それ以外の瞬間は「今の私は本当の私じゃない」という思考回路で時間を過ごし、夢を諦めようとしたり、今回のように《書けなくなった》途端、「じゃあもう他にやることもないし死ぬか」と思ってしまうという、もう自分でもどうしたらいいのかわからない精神構造をしているので、神様には責任を取って沢山《書ける》ようにしてくれるか、書けなくても元気に生きていける人間に治すかしてもらわないと困ります。

とはいえ神頼みだけではどうにも状況が進展しないので私自身でもいろいろ調べているのですが、この本で紹介されているいろんな事例が「えっ私!?」なことばかりだったのでたまげた。抜粋します。

・他人の言ったことや行動が気になり、悪い方向に憶測してしまう。他意のない言葉でも傷ついてしまう。

・幼い頃から不安が強く、引っ込み思案なところがあった。そのため強い相手に支配されやすく、逆らうことができなかった。きついことを言われても言い返すことができず、言われっぱなしだった。女子グループの狭間でうまく立ち回れず、居場所がない状況でいつも嫌な思いをした。

・救いは読書や絵を書くことだった。美術系の大学で過ごした4年間は他の時代と異なり、派閥争いに巻き込まれたり仲間はずれにされたりということがまったくなかった。

・しかし、就活で出遅れてしまう。何とか就職するも、厳しいことばかり言われ自信を失い、外で働くことが怖くなる。否定的な評価に過敏で、せっかく努力をしていてもうまく評価をされないと一気に自信をなくしてしまいやすい。それまでの否定的な体験が蘇り、仕事のことをただ指摘されただけなのだが、全人格を否定されたような気持ちになってしまう。

・自分とは、とても不完全で、人と違っていて、他人から嫌われるような存在だという思い込みがあり、また彼らにとって他者とは、不親切で、無感心で、どうせ自分なんか拒否されるという誤った確信を持っている。自分が愛すべき存在でない上に、他者に優しさを求めたところで期待はずれに終わるという二重の思い込みによって、親密なかかわりに乗り出していくことができない。

・他人とかかわりをもつ場合も、否定的な思い込みのために、相手の反応を悪い方に解釈し、やはり自分は拒否されている、疎まれていると思い込み、自分の悪い確信をさらに強めてしまう。良い体験があったとしても、別の悪い体験によって、すべては水の泡となり、やはり他人は誰も自分のことなど受け入れないという結論に至ってしまう。自己像も他者像も、どちらも悲観的なのが特徴である。

それな

もう「それな」としか言えないってこんなの。それ以外にもこの本で紹介されている患者さんの話、全体的に他人事と思えず読みながら何度も泣きそうになった。でも私これ、人というのは多かれ少なかれこんな感じの思考回路だと思ってたんだけど、違います? 世の中全員とは言わんまでも6割くらいは私と同じような考え方なんじゃないかと? 私は言動から「この人、自己肯定感の塊(かたまり)…」と感じさせてくれるような人が眩しくて好きなんですけど、それ以外の人はこんな感じじゃないのかなぁ? 関わった人間のサンプル数が少なすぎてわかんねえよ。

Twitterで見かけたこの質問者の方(※この方が回避性だと思っているわけではありませんが)の考え方とかも、私からしたら「わかるぅ~~~~」って感じで、それを実は「たぶん、期待されてるからだよ」って第三者さんが教えてくれてるのがホント…ひとごとなんですけど良かったねって嬉しくて…もう私だったら絶対に物事をそんな風に解釈できないからさぁ…。ちゃんといい助言をしてくださる方に相談できてこの人は本当に良かった…。

いや~なんか考え始めたら本当に辛くなってきてしまった。今の私の思考回路じゃどんなに恵まれた環境にいても詰んじゃうよな…。人生ゲームオーバーじゃんってなるから…。

すげー落ち込んきたけど本の話題に戻ろう。じゃあそういう《陰》な性質を改善するために何をやったらいいの? ってのが気になるとこかと思うんですが、それは正直個人的には言われてそれやれたら苦労はないっすね…ってことだった! なのでその内容は気になる方は本を読んでもらうか、ググって別の紹介ブログなどを見てもらうとして、私としては「お、ちょっと希望があっていいな」と思った著者の岡田尊司先生のあとがきを紹介します。

 回避性の人は大抵奥手なところがある。若い頃は敏感なので、よけいに自分の人生に尻込みしてしまう。その分、人生に出遅れてしまいがちだ。傷ついた経験から、恐れや不安にとらわれ、身動きできない時期が続くことも多い。失敗して恥をかいたらどうしよう、拒絶されたり笑いものにされたらどうしようと、悪い可能性ばかり考えて、そんな思いをするくらいなら、何もしない方がましだと考えてしまう。
 だが、やがてそれでは人生がもったいないと思うようになる日が来る。生きることのリスクやマイナス面ばかりに気持ちを奪われ、気もそぞろだったのが、あるときを境にして、時間が無為に失われていくことの危機感の方が大きく募り始める。縮こまって、チャンスを避け、リスクの心配ばかりして生きていることが、馬鹿らしくなってくる。思い込みでしかない他人や世間の評価というものを恐れて、自分の人生を諦めて生きていることに疑問を持ち始めるのだ。
 なぜなら、われわれは有限の存在で、自分の人生を生きられる時間は限られているからだ。もう何十年かすれば、誰もが老いて、土に還っていく。何を恐れる必要があろう。人にどう思われるかを気にし、遠慮する必要などない。自分の意志で自分が本当に生きたい人生を生きればいいのだ。

この本ね、結構『回避型の人は自己評価は低いものの、本当は優れた能力を備えていることが多い』とか、『専門領域では優れた能力を発揮する。社交に時間を割かない分、仕事や自分の好きなことに時間を使ってきた結果だ』みたいな、褒めの記述もあるんだけど何せ受け取る私の土壌がカスなので「あ~ほかの人はそうなのか…でも私は優れてないんだよな~~あ~だり~~クソッ」と凹みながら読んでたんですが、このあとがきの、みんないつか死ぬからだんだん他人の評価がどうでもよくなってくるって話に関してはこれは個体差ない、みんな一緒だ…と少しポジティブにとらえられました。

うーんなんかもっといろいろ書きたいことがあったんだけど、落ち込みすぎてこれ以上考えられなくなってしまった。今日はこの辺で切り上げよう。

3日分の日記を書き終わって、夜。豚汁を作るつもりでいたけど結局作らずに夫とおしゃべりして22時に就寝する。もう忘れたけどなんか面白い話をしてゲラゲラ笑い合っていた。本人にはあまり言わないけど本当にありがたい時間だった。

寝入りお供は聞きそびれていた先週の匿名ラジオ。これも何が面白かったのか一切覚えてないけどすごく面白くてお陰で安眠できた。この世に沢山の《面白いこと》が存在してくれてよかった…。そんな感謝を抱きつつ就寝。


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