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ビニール傘じゃ足りない

オフトゥンに潜ってスマホを眺める。赤い帽子の配管工が緑の亀に無様にやられる様を見て、乾いた笑いをこぼす。画面を下から上へスワイプ。配管工は消え去り、代わりに自由気ままな猫と飼い主との微笑ましいやり取りが流れる。かわいい。猫をスワイプ。今度は重厚な肉を豪快に炙り、パンで挟んで巨大なサンドウィッチの出来上がり。うまそう。デカ肉サンドをスワイプ。また配管工だ。今度は土管からにょきっと生え出た奇怪な植物に食われ、情けない声を上げている。バカバカしい。スワイプ。

男性の顔が映し出された。きりっとした眉に清潔感ある髭。やけに自信たっぷりの表情をしている。危機感持った方がいい、と今にも忠告してきそうな顔だ。

彼はこちらをしかと見据えてこう言った。「気にしすぎ、マジで。この服ダサいかな~とか、俺のチンコ小さい~とか。お前のことなんか誰も見てねえし、見ても忘れるから。だってお前、街中でダサい服着てる人がいたり、銭湯で短小の奴を見かけたところで、その一瞬は「あっ」て思うかもしんないけど、そのこといつまで覚えてる?な、覚えてないだろ?そんなもん5秒で忘れんだよ。だから、気にしすぎ。そんなこと気にしてる暇があったら、自信持つために努力しろって。」

相変わらずだなこの男は、と思う一方で、言われてみればその通りだな、とはっとした。自分が思ってるほど、誰も俺のことなんか見てねえよな。自意識過剰だよな。

しかし、ここでもう一つのことに気づいた。

知っていたのだ。「自分が思ってるほど他人は自分のことを見てはいない」と気付いた経験は、すでに昔あったのだ。

思い出したのは中3の体育祭、昼食スペースとして開放された体育館でのことだ。両親を探して、色とりどりのレジャーシートと無数の家族の合間を縫ってうろうろすることがなんとなく恥ずかしく思われた。「邪魔だと思われないかな」「一人でいること馬鹿にされないかな」そんな思いに襲われて、体育館の入り口付近でしばらくもじもじしていた。それでも意を決して中へ入ってみると、皆お弁当と会話に夢中で、脇を移動する僕の姿など誰の目にも入っていない様子だった。今考えると何一つ不思議ではなく当然のことなのだが、その時の僕は拍子抜けし、そしてこう思った。「なんだ、俺のことなんか誰も見てないんだ」と。それは当時の自分にとって結構大きな気付きだった。それ以来、人目を気にして自分を制限してしまうことが少し減ったようにも思える。

その時と同じ気付きを、今再び得た。こういうの、デジャヴュっていうんだろうか。そしてよく考えてみると、何かに気付いたとき、それが実は二度目以降の気付きであった、ということは案外多いようだ。何なら、この「再び気付くことは多い」という気付きもまた、何度目かの気付きだという自覚がある。

どうやら、気付いたそのときはまさに「ユリイカ!」と叫びたくなるような気付きでも、何らかの形で残しておかないとすぐに忘れてしまうようだ。それは、せっかく積み上げたと思っていた人生が実は堂々巡りに過ぎなかったというようなもので、いささかやるせないし、もったいない。

だから、こうして文章に残しておこうと思った。せっかく掴んだと思った気付きが、砂塵と化して指の間から零れ落ちてしまう前に、言葉という形で保存するのだ。それでも時間が経てば忘れてしまうことだってあるだろう。けどそのときは、今これを読んでいるあなたが覚えていてくれて、思い出させてくれたらいいなという望みがある。だってこんなエッセイ気取りの駄文をここまで読んでいるあなたは多分よっぽどの物好きで、あなたと僕の縁ならばきっと10年後20年後もまだ続いているだろうから。

毎日降りかかってくる悩み苦しみの雨から逃れたくて、かりそめの名言や思想を身に付けてみる。でもそれはビニール傘と同じですぐダメになる。そんなとき、ずっと昔の自分のたった一行の気付きが、頼れる骨太の傘となることがある。僕はそのことを知っている。だから、自分が得た気付きも、身の回りの大切な人が得た気付きも、ないがしろにしたくない。

……といったモチベーションで、しばらくはいろんな気付きをnoteとして残していくつもり。飽きたらヤメル。以上!


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