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【読み放題対象】福祉の臨界点 ~ひとりの障害者が労働するために、ひとりの健常者がつきっきりで介護(労働)する意味を考えてみた~

※れいわ新選組(以下、レシン)の主張から考えたシリーズ第二弾となります。第一弾はこちら

レシンの特定枠で当選した二人の国会議員が、まず国会に行くまでにおきた騒動は、「福祉はなんでもありなのか?」を明確に考えなければ解決できない問題ではないか。私にはそう思えた。ところが、今回の問題は、レシンの国会議員の戦い方の賛否に始終し、「なぜ障害者が外に働きに出て、その間に公的な訪問介護サービスが適応されてはいけないのか」について殆ど論じられてこなかった。
それについて考える。

論点整理

まずレシンの国会議員は、何を要求し、何が問題になっているのか?あまりに大量の論点がでているため、軽く流れを追うだけとする。
重度障害者である彼らは、国会議員という職を得て、国会に行くようになった。そこで、自宅だけではなく、職場(国会)でも、公的な重度訪問介護のサービスを受けることができるように要求している。


レシン木村英子「だから社会参加が難しいんです。だからほとんど家の中にいての食事とかトイレとか入浴とかの介護は、ヘルパーさんがしてもいい業務に入っていますけれど、業務内容の中に労働っていうのは入ってないんです。あ、もちろん通学もそうですけど。入っていないので、当然、家の中から出れませんよね。」
レシンによる全文おこし抜粋

そのために、彼らがとった抗議手段は、「登院できない」(国会議員として働けない)と訴えることであった。その当時から、まず彼らの抗議手段に批判があった。主な論点は次のようなものである。「選挙に出る前からわかっていたこと」「なんのために国会議員に」「普通のサラリーマンに数倍する議員歳費(給料)をもらうのに」「障害者を武器にした戦術」等々。
念の為、以降の議論の前提のため書いておくが、自立支援給付費は介護保険をモデルとしている。収入が少ない人は自己負担額の上限が低くなることはあっても、収入が多いからと適用されないということはない。だからたとえば国会議員のような「収入的な意味では、まったく弱者ではない」人達であっても、重度訪問介護の自己負担率は最大でも1割なのである(つまり国の負担は9割)。

ところが、このレシンによる「登院しないことをもって

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