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【読み放題対象】差別意識は「除外」できるのか ~アンイストールされる思考回路~

れいわ新選組の国会議員の舩後靖彦氏は、次のように述べた。

子供の頃から、潜在意識の領域、さらに深く無意識の領域にまで存在する「差別意識」を除外する倫理・道徳教育は必要と考えています。

私は、それについて次のように反応した。
>これ完全にアウトな発言。絶対的不可侵の「内心の自由」を奪う思想矯正を求めている。とんでもないディストピアだ。

一応、舩後靖彦氏の発言の全文を引用しよう。

舩後:全ては教育にありと考えています。日本の30年前を考えれば、時代も変容し、国際障害者年や障害者自立支援法が生まれ、そして重度障害者が国会議員になった。その時代背景によって変化する事象や慣例もあると思います。全ては教育にあり。私は、10年20年後に未来を創造して、代わる障害者に対する偏見を教育で変えたいと思います。さらに子供の頃から、潜在意識の領域、さらに深く無意識の領域にまで存在する「差別意識」を除外する倫理・道徳教育は必要と考えています。重度訪問介護の不備も喪失した人々の潜在意識の領域ならびに無意識の領域に重度障害者には生産性がないという確定した思いがあるからです。かと言ってその方々を責めているわけでは全くありません。大東亜戦争の日本が弱体化するために GHQ が導入した教育や文化が要因と考えていますが、具体的には掴みきれていません。ところで明らかに研究不足の感があることは否めませんが、今現在インクルーシブ教育を礎土台とするモンテッソーリ教育の2段階以上の教育を、小学校、中学校、高校そして大学に導入すれば良いのではと考えています。モンテッソーリ教育は知的・発達障害の治療教育、弱者とも言える貧困家庭の子供達への教育から発展させてきた教育法であることから、土台とするインクルーシブ教育に好影響をもたらすものと考えています。この事を6年間でやり遂げたいと思っています。(終)
(【インタビュー全文字起こし&音声配信】特集「重度障害者の「れいわ新選組」・木村英子議員、舩後靖彦議員に聞く」)

このように全文引用しても、彼の発言の意図は、なんら変わらないと思う。その他にも「大東亜戦争の日本が弱体化するために GHQ が導入した教育や文化が要因」など、見識が気になる主張があるが、本論では触れない。

ところが、このツイート後、しばらくして、何件かリプが飛んできた。
「いま現実に権利を侵されているものは、どうなるのか?」系のリプである。要するに、「差別をなくすという正義の前には、どんな手段も正当化される」という思考であろうか。

もしくは、「国家による教育自体が内心の自由を侵す」「アベ政権の道徳の教科書とか既に完全アウトだ」等々。これは「どっちもどっち論」の一種だろうか(なお、私は道徳教育などというものを一切支持していない。むしろ憎むものである)。

舩後氏の発言に、我々は、一瞥しただけも何か不穏当なものを感じるだろうか。しかし、現状の教育とは何が違い、何が問題なのか。「教育」と「洗脳」の違いとはなにか。言語化していきたいと思う。

論点整理

まず第一にすぐ気づく点が「潜在意識の領域、さらに深く無意識の領域」の表現である。
これについてはいくつも既に多くの指摘をもらっている。
まとめると、おおよそ以下のような意見である。 

「端的に洗脳」
「個人の思想を強制的にコントロールする ルドヴィコ療法」
「より深い所に潜るだけ」
「潜在意識下にどんな観念が潜んでいるかは立証しようもない。洗脳委員会が、差別者を断定し放題になる」

その上、そもそも、このような「洗脳」はどのように、子供たちに、行うのか、という技術的な問題もある。「本当は可能だが、倫理上、できななかっただけ」の問題なのだろうか。
その他の論点としては次のようなものである。

「無意識レベルの差別意識をなくすのは、防衛機能をなくすことと同義では」
「愛情とかそうした感情にも影響を及ぼしかねない」

要するに、「差別意識」というのは本当に単なる「悪」なのか。完全に除外してしまって人間が人間でありえるのか、という問いであろうか。洗脳の形式とも密接だが、洗脳する「差別意識」が人間にとってBIOSのようなものではないか、という問題である。

 少し視点を変えよう。

「潜在意識」は「顕在意識」の対となる言葉である。コントロール可能かもしれない。だが哲学的にいえば、「無意識」とは、「潜在意識と顕在意識で、一対となった自我」の、さらに外部にある「他者」であると考えられる。フロイト以前から「潜在意識」は論じられていたが、なぜ「フロイトが無意識を発見した」という言い方がなされるのか。それは「自我の他者としての無意識を発見したから」である。このような狭義の意味での「無意識」はもちろんコントロール不可能である。彼の人格どころか精神活動そのものを抹殺しない限りは。
その意味では、〈無意識の領域にまで存在する「差別意識」を除外〉とは、脳への外科的・物理的処置、ロボトミー手術等と変わらないことになるかもしれない。

最大の問題点

さて、「潜在意識の領域、さらに深く無意識の領域」が単に、言葉の綾が過ぎた表現であったと仮定しよう。
それでもなおかつ、私が最大の問題点であると考えるのは、〈「差別意識」を除外する倫理・道徳教育は必要〉における「除外」という表現である。「除外」という言葉を使った時点で、それは既に「教育」とは明確にいえないと考える。なぜか?


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