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わからないものを、わからないままにしておく勇気

昨日、友人と長電話をした。
その友人とは頻繁に、本当に頻繁に話すのだけど、話題が尽きない。
日常の報告から互いの専門の話まで、気づくと長話になっている。

どうしてこの友人とこんなに話が続くのか考えてみたのだが、友人が”わからないものを、わからないままにしておく”勇気をもつ人だからだなと思った。

大学院の外の世界に触れる度、私はいつも明確な答えを求められる。
そこでは何に対してもわかりやすくシンプルで、はっきりとした回答を用意しないといけない。

研究内容を説明した後に「それはどんな風に世の中の役に立つんですか」と屈託ない笑顔で聞かれた時、心の中の漠然とした想いについて「つまりどういうことなの」と聞かれた時、「そんなになにもかもわからないとだめなのか!」と思う。
私は考えたことや感じたことを言葉にするのが好きだけれど、言葉が万能だと思っているわけじゃない。

世界がそんなに言語化できて、白黒はっきりつけられるものばかりだったら、つまらなくないだろうか?
よくわからないことだらけだからこそ、あれこれ遊べる余地があって、面白いんじゃないだろうか?

自然科学だってそうだろうけれど、社会科学だって人文科学だって、わからないことがたくさんある。
それらを明らかにするために、数多の賢い人が挑んでは何かを明らかにし、わからないことを次の世代に託してきた。
人間が生き社会が続く限り新しい現象が起きるから、わからないことは下手したら増えていく一方だ。

世の中は簡単にわかるようで、わからない。
真剣に向き合えば向き合うほどわからなくなる。
そのわからなさにこそこの世界の魅力があるのではないか。

このひどく曖昧で、不透明で、複雑で、よくわからない世界の中を、「よくわからないね」って言いながら、それでも「私はこう思う。あなたは?」と言い合いながら生きていきたい。
答えがあるとも知れないものばかりなのだから。

ビジネスの場で、早くて明確な答えが歓迎されるのも理解はできるけれど、インスタントな答えがいつ何時も有効なわけじゃない。
時間を掛けて考える楽しさも大切にしながら、歩んでいきたいと思っている。

最後までお読みいただきありがとうございます。 これからもたくさん書いていきますので、また会えますように。