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娘であること

”結婚は?”
”孫の顔が見たい”

ドラマや小説、漫画なんかで、20代半ばを過ぎたキャラクターに親がよく掛ける言葉である。

そう、フィクションの中での話だと思っていた。
現実にこんなことをいう親がいるなんて、私はあまり信じていなかった。

のだけれど、いる。
そのことを実感したのは、昨年あたりからだ。
周囲の友人たちから”親にこんなことを言われた”という愚痴とも笑い話ともつかない話を聞くことが多くなった。

ちなみに我が家の両親はまったくそんなことを言ってこない。
2人とも仕事に趣味に忙しく、子どもと言えど他人の人生に首をつっこんでいるどころではなさそうだ。

だからこそ初めは”わぁ、ホントにそういうこと言うんだ”と軽い調子で聞いていたのだけれど、最近、どうもこれは思ったよりも深刻だと気付き始めている。

私の友人たちと言えばもちろん院生だ。
パートナーの有無も学年もばらばらだけれど、彼女たちはみなしばらく院生として過ごすだろう。

院生の過ごし方について詳細に述べると長くなるので簡単にまとめるけれど、職人の修業期間みたいなものだと考えてもらえれば近いと思う。
とにかく経験を積んで技術を磨く時期にあたるため、なるべく多くの時間を研究に使いたいと考える人がほとんどだ。

はっきり言って”結婚”だの”孫”だの言われたって、今はそんな余裕はない。
百歩譲って結婚はできるとしても、子どもを産むどころではない。
(もちろん結婚も出産も院生の内にする人もいる。けれど、ごく少数だ)

だけど話を聞いていると、そういう理屈とか細かい説明とかはあんまり通じなさそうだ。
とにかく20代半ば過ぎの女性というだけで、ほぼ反射的に結婚とか孫というワードを投げかけられている。
年齢とライフイベントを結びつけて騒ぐ様子を聞いていると、パブロフの犬を思い浮かべてしまう。

”自分にとって孫の顔を見るのが本当に幸せなのか”を検討した痕跡が、あんまり感じ取れない。
インストールされたプログラムを実行しているロボットみたいだ。

”娘が大人になってからの幸せは孫の顔を見ること”と教えられたから、そう信じ込んでいるだけというか。
娘を1人の人間でなく”娘”というアイコンで捉えていて、娘が何を考えているどんな人間なのかにはあまり関心がないというか…。

教え込まれたものを実行しているだけだから、”今はそれどころじゃない”と理屈で説得しようとしても通じない。
長年培われた価値観を変化させるのはこれまた時間も手間も掛かるし、成功する保証もない。
結局、適当に聞き流して距離を置くのが現実的な手段になってしまう。

そういう価値観が数世代前は当たり前だったことは知識として知っているから、仕方ないのかなと思うけれど。
顔は笑いながらもきっと心の中ではストレスを溜めているであろう友人を見ると、”ほっといてくれればいいのにね”と思うのだった。

最後までお読みいただきありがとうございます。 これからもたくさん書いていきますので、また会えますように。